第13話 学ぶ姿勢

 穏やかな午後、暖かな太陽の光が窓辺から差し込んでいる。気怠い空気に包まれた教室で、老齢の教授が壇に立ち講義を行っている。一番後ろの席では、かろうじて聞き取れるか否かという程度の声量。


「……わが国の鉱山資源は調査の結果……で、あった為……外の国から……必要があり……植民地の開拓も……」

 口の中でぼそぼそと呟くような講話は、注意して聴いていなければ何を話しているのかもわからない。そして少しでも聞き逃すと話についていけなくなり、やがて興味が薄れて眠気が襲ってくる。


 講義もまだ概要的な話であるため、シュヴァリエには少々退屈な内容であった。眠気覚ましに軽く伸びをして、暇潰しに前の席の様子をざっと見渡してみる。

 熱心に話を聞いてノートを取る者がいれば、学生の中には欠伸を噛み殺して眠気に耐えている者の姿もちらほらと見受けられる。一緒に講義を受けているエミリエンヌは一つ前の席にいた。座高が高く、そのおかげで黒板が見えない。今度からはエミリエンヌの前か隣に席を取らねばなるまい。


 先ほど廊下で会った三人の姿も視界に入った。最前列にいるベルチェスタは今も熱心にノートを取っているようだった。全体のやや後ろ側に位置する席に座ったアンリエルは真面目に参考書を読んでいる。その隣の席にはグレイスが座っており、彼女は眼を半分閉じて頭をぐらぐらと揺らしていた。


(……初日の講義から居眠りとは……。あんな調子で話についていけるのか?)

 グレイスの頭が、がくっ、と一瞬だけ下がる。ゆっくりと顔を上げたところで、グレイスは講義をしている教授と目が合ってしまった。教授は咳払いを一つし、他に眠りこけている学生はいないか一通り見回してから、子守り歌のような講義を再開させた。


「……採掘された鉱石には不純物が含まれており……これを精製する過程で……」

 グレイスに再び襲い来る睡魔。必死に眠気に耐えようとしているのだろうが、それでも彼女の意思を殺ぐようにして強烈な睡魔は押し寄せてくる。真面目に話を聴こうとすればするほどに、余計に眠たくなっていくものなのだ。

「――くぉれ! 講義中に……いねむりをするんじゃあ、ない!」

「はっ! はいぃっ!」

 擦れた声で叱咤を受けるグレイス。


 今ぐらいの声量で講義をしてくれれば眠たくならないというのに、老齢の教授はこの一喝で体力を消耗したのか、続きの講義はさらに小声になっていくのであった。

 ……長く退屈な講義が終わって廊下に出ると、都合のいいことに眠気はすっきりとなくなってしまった。それは他の学生やグレイスも同じようだった。


「失敗したなぁ……。もっと前に座らないと講義が聴き取れないよ……」

「まあまあ。あたしのノートを後で見せてあげるからさ、落ち込まない!」

「そうです。グレイスが落ち込むことはありません。誰が聞いてもあの講義は、老師の声が小さいと感じるはずです」

 口々にグレイスへ慰めの言葉が投げかけられる。だがシュヴァリエからすれば甘い、気が緩んでいるとしか言いようがない。


「アンリエルは聴き取れたの? さっきの講義?」

「いえ、興味がないので私は初めから聞き流していました。……静かな講義でしたね。読書に集中できました」

 そう言って講義の間ずっと読んでいた一冊の本を、満足そうに胸の前に抱えて見せる。

「……あんたは講義中に何の本を読んでたんだい……」

 本の表紙には『危険な関係 ――コデルロス・ド・ラクロ――』と記されていた。


(真面目に参考書を読んでいたわけではなかったのか!)

 彼女らは一体アカデメイアに何をしに来たのか。シュヴァリエには到底理解できないことだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ヴォークラン教授の講義が終わった後、エミリエンヌは「ギリシア語の講義がある」と浮かれた様子で早々に去って行った。シャンポリオンが同じ講義を受ける予定なのだろう。シュヴァリエはギリシア語を取る必要性も、興味もなかったので他の講義を受けることにしていた。


 廊下では相変わらずグレイス達三人がお喋りを続けている。横を通り抜けて次の講義へ向かおうとしたところ、不意に聞き覚えのある声に話しかけられた。

「おお、シュヴァリエではないか。早速、講義に出ておったのか?」

 声の主は、立派に整えられた白銀の巻き髪に、鮮やかな刺繍が設えられた紅白のスーツ姿で現れた威厳ある雰囲気の老人。フーリエ学院長である。シュヴァリエも個人的によく見知った顔だ。


「まあ、一応。初回の講義には出席して、聞く意味のある講義か判断しています。既に知っている話であれば、時間の無駄でしょうから」

「ふむっ。相変わらず隙のないことだの」

 苦笑されてしまった。シュヴァリエとしては、おかしなことを言ったつもりはなかったのだが。


「ん。おや、君達は。グレイス、それにアンリエルと言ったかな? もうアカデメイアには慣れたかね?」

 フーリエは近くにいた女学生三人が目に入ると、彼女達に大らかな笑みを浮かべて話しかけた。

「……? どこのどなたです、ご老体?」

「ばっか……! フーリエ学院長じゃないか……! し、失礼しました、学院長!」

 学院内で知らぬ者はいないはずのフーリエに向かって、不遜な態度を見せるアンリエルと恐縮しきりのベルチェスタ。だがグレイスはフーリエ学院長を前にして、二人とは違う態度を示した。


「こんにちは、フーリエ学院長。お気遣いありがとうございます。私達、たった今までヴォークラン教授の講義を受けていたところです」

「ほお、ヴォークラン教授の講義を聴くことにしたのかね? 彼の話は長年の経験に基づいておる。大いに価値のある講義だからね、よく聴いておくといい」

「はい。……あの、ところでフーリエ学院長、つかぬ事をお聞きしますが……以前にどこかでお会いした事はありませんか?」


 この唐突な質問に問われたフーリエは元より、ベルチェスタとアンリエルも不思議そうな顔をしている。シュヴァリエもフーリエが彼女と面識があるとは思わなかった。

「ふむ……? いや、すまないが初対面ではないかの? 儂の方としては、アカデメイアに入学してくる女学生は珍しいので名前を知っていただけなのだよ。入学試験で五番におさまったエミリエンヌ・デュ・シャトレ、彼女はまあ昔から知っておったが……。ほれ、補欠合格で入ってきた二人、グレイス・ド・ベルトレットにアンリエル・ド・マウル・ラヴィヤン。それから……」


 フーリエが短髪赤毛の女学生に向き直ると、彼女は輝かんばかりの敬愛の眼差しでフーリエを見つめていた。

「えー……あー……。今年は予想以上にたくさんの女学生が入ってきたものでな……」

 ベルチェスタの、その何かを期待する表情に気圧され、フーリエの首筋を一滴の汗が伝って落ちる。しかしフーリエの口からはなかなかベルチェスタの名前は出てこなかった。


「あ、あたしっ、あ、いえ、わたしはベルチェスタ・パストゥールです! フーリエ学院長のことは、本当に尊敬しています……! わ、わたし、普通市民の出だけど、アカデメイアで勉強して、学者になりたいと思ってるんです! あの、よ、よろしくお願いします!」


 フーリエの言葉を待ちきれず、緊張で顔を真っ赤にしながら自己紹介をする。その初々しさと溢れんばかりのやる気を感じ取ったフーリエは、自然と優しげな笑みを溢していた。

「存分にがんばりなさい。出身など気にすることはない。アカデメイアは全ての人に開かれた学問の場なのだから」

「は、はい! ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、努力します!」

 畏まって返事をするベルチェスタの肩に、フーリエは軽く手を乗せて励ましをかける。

 ベルチェスタは完全に舞い上がってしまい、フーリエが去った後もしばらく頬に赤みが差したままだった。


「……ベルチェスタ。学院長相手では随分と態度が違いますね? あなたの敬語は、聞くに堪えない。おぞましくて鳥肌が立ちましたよ」

「へん、何と言われようと構いやしないよ。フーリエ学院長に声をかけてもらっただけであたしは充分だ」

 フーリエの去っていった廊下を眺めながら口にしたその言葉には、一片の偽りも含まれてはいないようだった。

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