第三幕
第9話 貧しくとも
貧しくて、日々の食事にも困っていて、そんな生活から脱却したかった。
その一心だけでアカデメイアの入学を目指した。
アカデメイアに入れば、専門の知識と高い技能を身につけることができる。そうすれば安定した職業に就くこともできる。そんな切実な願いからだった。
だからこそ、彼女、ベルチェスタの心の内では我慢ならない感情が渦巻いていた。一人の少女が口にした言葉、それが脳裏を過ぎると怒りさえ込み上げてくる。
『くだらない。そもそも、私は学問になど興味はないです』
『単なる娯楽ですかね……』
何不自由のない暮らしをしてきたであろう貴族の少女、あのアンリエルのようにアカデメイアへ興味本位で入ってきた人間は認めたくなかった。
(あいつら貴族にはわからない。いや、わかってほしくもない。理解されても憐れみなんて御免だ!)
考えてみれば、彼女らのような人間と分かり合おうとしたことが間違いだった。つまるところ自分は気持ちが大きくなっていたのだ。アカデメイアへ入学できたことで、まるで彼らと同等の立場になれたと錯覚してしまった。
(……現実はなんにも変わっちゃいない。これからなんだ。あたしはアカデメイアで、今の苦しい生活から脱け出す力を手に入れる……)
アカデメイアでなら思う存分に勉強ができる。そうなったら、お気楽な貴族になど絶対に負けはしない。平民というだけで蔑むような連中を見返してやる、という反骨心がベルチェスタを突き動かしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
煉瓦造りの質素な家に、両親と弟、そしてベルチェスタを含めた四人の家族が暮らしていた。日雇いで働く父親と、母親の内職程度では十分な稼ぎにならず、寒風の吹く冬であっても暖房用の薪を調達する余裕すらない。
しかし最近は、弟が一人でも手間の掛からない年頃になったおかげで、ベルチェスタも外で働く時間ができた。今はパン屋の手伝いで僅かばかりだが収入を得られている。
加えて、無料で貸し出されているアカデメイアの寮に入れば、軽い食事程度なら学院食堂でこれまた無料で提供される。自分がアカデメイアで生活を行えば、家の口減らしにもなって、残りの家族は少しだけ生活が楽になるのだ。
アカデメイアに入学の決まったベルチェスタは両親に報告を済ませた後、早速、働いているパン屋の店主にも入学の事を伝えに来ていた。
「アカデメイアに入学が決まって、確実に、いい方向へ動き出しているよ。後はあたしの努力次第ってね! 仕事は朝と夕方、今まで通りに働くからよろしく、オヤジさん」
「そうか……。二年越しの悲願がようやく叶ったわけだな。うちの仕事は今まで通りとしても、勉強も疎かにしたらいかん。きっちりやれよ、ベル!」
オヤジさんと呼ばれたパン屋の店主は、アカデメイア入学を自分の事のように喜び、ベルチェスタの頭を乱暴に撫でて労った。白い小麦粉が髪の毛に付いてしまったが、それさえもベルチェスタは悪い気がしなかった。
「それで、今日は入学式も済ませてきたんだろう? ……どうだ、友達はできそうか?」
やや心配そうな顔で尋ねる店主に、ベルチェスタは苦笑で返した。
「無理無理。周りは皆、貴族の子息子女ばかりだよ。どいつもこいつも、あたしみたいな普通市民とじゃ、釣り合わないって」
自嘲気味に話すベルチェスタを見て、店主はやや意外そうな表情をした。
「子息子女……ってことは、ベルの他にも学生で女の子がいるのか? 珍しいな、何人くらい入学したんだ?」
「ああ……、顔を見た限りじゃ、あたし以外には三人かな」
「もう、話はしてみたのか?」
「え? ま、まあね。でも、やっぱ貴族のお嬢様とは話が合わないよ」
「うーん……。やはりなぁ、そうか……。貴族の御令嬢と仲良くなれば、ベルも少しは淑やかになれると思ったんだが、残念だ……」
「何の心配をしているのさ! オヤジさん!」
心底、残念がる店主に、思わずベルチェスタは叫んでしまう。
「いやー、なんだ。ベルにもう少しばかり色気があれば、貴族の次男坊、三男坊あたりを捕まえて玉の輿、なんてことも望めるんじゃないかと思ってな? ほら、まずは友達から始めて、アカデメイアを卒業する頃には男女の関係まで発展――」
「そんなこと、あ、あたしは望んじゃいないっての! アカデメイアには男漁りに行くんじゃないんだ、勉強しに行くんだよ! オヤジさんだってわかっているだろ!?」
「だぁっはっはっ! そりゃわからないぞ、ベル? 男と女なんて、お近づきの場さえあれば、どこでどうくっつくかもわからないんだ! 勉強も大事だが、人付き合いも大切にしなきゃな」
その後も二人のやり取りは続いたが、最後はベルチェスタが半ば説得されたような形になり、「男でも女でもいいから、必ず友達を作ること!」と強引に約束をさせられてしまった。
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