24.

 翌日洗濯を終えて室内に戻ると、マウニがギヌクと共に来ていた。何か深刻な話をしているようなので、座を外していたほうが良いと次の仕事に手をつけようとしていると、ノキエの声が聞こえた。

「村に住む人間以外は市に出店させない、なんていう決まりは作れない。外部との交流がなければ、村は停滞してしまう。俺が許可しなくても呼びたい人間は許可するし、俺が市の全部を仕切っているわけじゃない。最終的にはすべて僧院の判断であって、個人のためにどうこうって問題じゃない」

「ノキエの言う通りだ。俺たちができることは、気をつけるくらいしか」

 ギヌクが同意している。

「でも、それではサウビが」

 マウニはサウビのために、市の出店者を規制してくれと訴えたのか。自分のためにそんなことはさせられない。


 思わず部屋に入っていくと、三対の目がサウビに向いた。

「大丈夫です。私が市に行かなければ良いのですから。食べるものを譲っていただける家はあるし、そんなに困らないかと」

 市に行かなくとも、最低限の生活はできる。

「でもサウビ、布は? 籠は? 乾いた果物やきのこや、香辛料や」

 マウニが心配そうに言うのを、微笑んで受け止める。妹を安心させるためのサウビの心得だった。

「どうしても必要な時はほら、あなたもイネハムもいるんですもの。助けてくれるでしょう?」

「もちろんよ、そんなことは何でもないわ。でも、いつまで?」

 いつまでなんだろう。サウビは呆然とマウニを見る。もしかすると、死ぬまで怯えていなくてはならないのだろうか。僧院に離縁を認めてもらい、ツゲヌイが新しい嫁を娶るまで? いや、ツゲヌイは欲深で執拗だ。一度自分の自由になったものは、一生自分のものと認識するだろう。新しく手に入れたものと交換するのではなく、自分のものが増えるだけ。


 耳を塞いで目を閉じても、蘇ってくるあの姿。ここしばらくは自分の中で抑え込み、忘れたと言い聞かせることに成功していたのに、浮上してしまったものが宙に揺れる。

「サウビ、サウビ。大丈夫よ。いつまでだって私、市で代わりに買ってくるくらいするわ」

 マウニが袖を引いているのがわかる。心配はないと安心させてやりたいが、自分がこんなに揺れているのに微笑んでみせることはできない。頭の片隅で、もうここにいてはいけないと思う。買い物にも行けず、雇用主に心配をかけるばかりの使用人なんて、役に立たない。


「金で他人を従わせる奴は、金で他人に従う。拳にものを言わせる奴には、拳がものを言う」

 サウビの耳に、ノキエの声が聞こえた。

「あんたは殴り返したことはなかったろう。あんたのご亭主は、気持ち良くあんたを殴っていたはずだ。ご亭主が留守のとき、あんたは何故逃げ出さなかった? 留守の間に商売した金を握って、逃げ出すこともできたのに」

 自分から逃げ出すなんて、考えなかった。捕まったら酷い折檻が待っていると思うだけで身が竦み、逃げたあとの生活があれよりマシだとも思えなかった。この村に来てから離縁された女や結婚しない女を見たが、それまでのサウビの生活の中には嫁がない女なんていなかったのだ。

「俺の母も、逃げれば良かったんだ。あの男に継承の証を渡して、小作がどうなるかなんて考えないで。それならばいっそ、俺があの男を殺せば良かった」

 とても静かな声だ。

「ご亭主に殺されるくらいなら、殺してしまえ。誰もあんたを責めん」

 マウニとギヌクは何も言わず、ただ飲んでいた息を吐き出した。


 言われたことを消化したとて、染みついたものは消せないのだろうか。ノキエの言葉を何度も反芻するたびに、拳を振り上げるツゲヌイが浮かぶ。マウニは毎日のようにサウビの顔を見るために訪れ、自分でも身動きができない。

 そうこうしているうちに、次の市が開催される日がきた。


 朝から出店する荷車を見送り、馬に飼葉をやったあとに、サウビは庭に立った。以前見つけた薔薇の木に春の準備の芽が見え、冷たい風に枝が撓む。花ですらこんなに強いのに、自分は弱い。

 髪に刺した簪に触れ、襟のリボンに触れる。私は幸福を思い描くことができるのだから、いつかまた幸福になれるはずだ。もう少し薔薇の芽がはっきりしたら、枝を整えよう。春の終わりに大きな花をつけるように。


 そのとき、庭に荷車を引いたロバが入ってきた。ノキエはもう市の巡回に行ってしまったのに、まだ出店する小作が残っていたのか。ロバを御する男の他に、庭にもうひとり男が入ってくる。その姿を、サウビは知っていた。

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