22.

 冬の夜は長く、朝の風は冷たい。乾燥した空気は冬の悪魔を連れてきて、熱を出したマウニの看病を頼まれた帰りだった。向かい側から歩いてきたノキエが、サウビの姿を見つけて手を振る。その姿が一瞬少年に見え、サウビは何度か強く瞬きをした。

「お出掛けですか」

「ギヌクに用事だ。すぐ戻る」

「マウニが床に就いているので、長居なさらないでくださいね」

「あんたがマウニの母親のようだな」

「まあ。すぐ下の妹よりも年上なのに」

 笑いあうと、距離が近くなる気がする。


 作業場に籠ったノキエがどんなものを作っているのか、サウビはよく知らない。装飾的なランプは一度見たことがあるが、それ以外に何があるのだろう。作業場に食事を届けるときも、棚をじっくり眺めることは遠慮していた。何かの音が邪魔になるかも知れないし、持ち主の許可なく眺めるのは非礼な気がする。家の中にはノキエの作品らしいものは何もない。

 ギヌクの家から戻ったノキエが食堂の椅子に腰掛け、懐から出したものをサウビに差し出した。

「あんたが言ってた春の花は、これでいいのかな」

 手を出して受け取ると、薄紫の靄が咲いた一枝のガラスだ。

「美しいわ。簪ですか?」

「どんな花だか知らないから、形が作れん。気に入ったら、使ってくれ」

 驚いて、ノキエの顔を見た。

「マウニの相手までしてくれている礼だ。おかげでギヌクを遠慮なく使える」

 夕方の淡い光を受けて輝く簪を、サウビはうっとりと見つめた。


 自分の部屋に下がったサウビは、ゆるく結った髪に受け取った簪を挿す。蝋燭の小さな炎で照らされる鏡を覗き、よく見ようと顔を傾ける。身を飾るものなんて、持ったことはなかった。花の枝を簪に見立てたりリボンを首に結ぶような、少女らしい遊びで飾り方を覚えただけ。母が大切にひとつだけ持っていた首飾りだって、母の母から譲られたものだと聞く。

 簪を髪から外して、蝋燭の光に翳してみる。目を細めれば、森を彩る春が見えてくる。イケレのリボンとこの簪があれば、いつでも森に帰ることができる。輝かしい春の森へ。

 穏やかな風が胸の中に吹き、身体の中に飲み込んでいる重石が溶けるような気がする。怖がっていても仕方がないと自分に言い聞かせ、簪を握りしめる。春の夢を見て眠ろう。


 窓がガタガタと揺れる音で目が覚めた。強い風が吹いて雨が降っているらしい。まだ明け方の薄明かりに目を凝らすと、木の枝が風に撓っている。外に置いてある桶やベンチを家の陰に入れようと、サウビは慌ててスカートを穿いて勝手口へ向かった。

 閂は開いていた。ノキエが作業場に籠るときは外から閂をして鍵をかけるのだが、外側も開いている。疑問に思いながら庭に出ると、ノキエがこちらに向かってくる。

「どうしたんだ、こんな日に」

「桶を干したままでした。それに馬が怯えているのではと」

 まだ纏めてもいない髪が、風に弄ばれて顔の上で踊る。

「家に入っていろ。こんな天気の中、働かなくていい」

 声が飛ばされてしまうので、叫ぶような言いかたになった。背を押すように室内に戻され、ノキエはまた雨の中に出て行く。もう髪から冷たい雨が滴っているというのに。しばらく窓から外を覗いていたサウビは、竈に薪をくべて湯を沸かしはじめた。


 身体中が水浸しになって、ノキエは家の中に戻ってきた。足元は泥だらけだ。湯を張った桶で足を洗わせ、竈の前で温めておいた布で肩を包む。

「早く着替えてきてください。冬の悪魔に見つかってしまう」

 ノキエが着替えている間にミルクを温め、蜂蜜を一垂らしした。サウビに命令して働かせることは容易いのに、ノキエは自分で動く。だからサウビにできるのは、せめて身体を温める手伝いをすることだ。なかなか食堂に戻らないノキエが気になって、ドアをノックした。

「まだ竈の前で布を温めています。着替えたら洗濯物をこちらに渡して、ミルクを飲んでください」

 ドアから顔を出したノキエは、首を竦めた。

「ずいぶん世話焼きなんだな」

「一緒に生活している人を心配するのは当然です」

 サウビの言い分に、ノキエは薄く笑った。

「当然か当然じゃないか、俺の基準はあやふやなんだ」

 その言葉は、とても寂しそうに聞こえた。

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