14.
この色が似あうあの色を当ててみろと目の前に布を積まれ、手に取るものに迷いながらもまだ困惑して、マウニとイネハムの顔を交互に見る。
「青が似合うわ。これは外出用にすると素敵」
「これから作るのなら、毛織のショールにおし。風が通る分、街よりも寒いんだよ」
女の買い物は、自分のものでなくても夢中になる。布地を数着分選んでもらい、イネハムが支払いを済ませたときにはサウビも高揚していた。これはどんな風に仕立てようか。街で見た娘たちのように、裾回りに刺繍をしてみよう。マウニから譲られたブラウスにも手を加えて、もうみすぼらしい自分を見なくても済む。
ついでのように自分の買い物をしているマウニが、甘えた仕草でサウビの腕をとる。
「私も自分で仕立ててみたいわ。教えて頂戴、一緒に縫いましょう」
それを見たイネハムが、もう私はお役御免だねと笑った。
イネハムが先に立って家の中の細々したもの、つまり敷布にする布や台所で使うもの、掃除にあると便利なものを買い集め、ライギヒの荷車まで運ぶ。
「さて、これはあとで家まで運んでもらうからね。お嬢さんがた、あとは好きにすればいいよ」
イネハムはライギヒの商売に合流するらしい。女の声は通るから、ライギヒだけよりも客が足を止めると言う。
「あっちでお茶にオレンジを絞ってたわ。それにクルミのお菓子が売ってたのよ」
マウニに手を引かれ、サウビも一緒になって市の中を歩く。買ったものを歩きながら食べるなんて初めてで、活気のある呼び声に驚きながらも楽しい。あちらこちらからマウニに声が掛かり、曖昧な会釈をしながらキョロキョロと市の中を見ていた。北の森でも街でも知らなかった景色が、そこにある。こんな生活もあるのだ。
数人の娘に呼ばれ、マウニの顔が輝く。若い娘が揃うと、あんなに華やかで艶やかなのか。少し離れた場所から、サウビはそれを眩しく見つめた。そこにだけ桃色の靄がかかっているような空気が漂っている。自分にあんな季節はあっただろうか? 娘らしい賑やかなお喋りや、つやのある頬に浮かぶ弾けるような笑み。
森の中できのこを探しながら、干した果物を分け合いながら、飽きることなくお喋りしていた。自分にもあったのだ。街に嫁入りすると決まったときに、羨ましがらせて得意になった自分がこんなふうになるなんて、想像もしなった。貧しくとも夢見る未来はあり、北の森に残った友達たちだって、慈しむべき家庭を守りながら、或いは山羊の世話をしたり或いは新しい織り方を模索して機に向き合ったりしているはずだ。
すっかり遠ざかってしまった風景が、たまらなく懐かしくせまってくる。思い出すこともなくなっていたことが、悲しい。
「いやだ、サウビ。何故泣いているの? 仲間外れにしてしまったから?」
心配そうに自分を覗き込むマウニと数人の娘に囲まれ、サウビは戸惑った。自分は泣いていたのだろうかと頬に手を当てると、急に視界がぼやけた。
「違うんです、マウニ。私にも娘だったころがあったと思い出して。仲間外れとかじゃ」
言い訳の途中で、大きくしゃくりあげた。向けられる驚いた視線をどうすることもできないまま、サウビは顔を覆ったまましゃがみ込んだ。涙腺が壊れたかと思うほど涙は止まらず、肩を抱いて励ましてくれるマウニの体温が、ただ暖かい。
「気が済むまで泣いていいのよ、サウビ。あなたたち、お茶を一杯買って来てくれない? 落ち着いて私の新しいお友達を紹介したいの」
前半をサウビに、後半をまだそこにいる娘たちに向けて、マウニは言った。初めて会う人たちの前でこんな顔を見せてしまうなんて。泣き終えると気持ちは澄んだが、今度は恥ずかしさのあまり顔が上げられなかった。
マウニと親しそうにしているのは皆未婚の娘だと思ったが、そうでもないらしい。ノキエが雇った人だと紹介されると、ひとりが口を開いた。
「あら、私も家の管理が仕事なのよ。あっちの端の農家で手伝いをしてるの。去年離縁されたんだけど、里には戻れなくてね」
「お姑さんをひっぱたいたんでしょ」
「そうそう! 箒の柄で背中を殴られて、思わず平手で叩いちゃったのよ。私が虐められてるのは黙って見てたくせに、やり返したら離縁だってさ。でも今の方がずっといいわ」
やり返すなんて、考えなかった。もうひとりが口を開く。
「私はね、子供に読み書きを教える仕事をしているの。男の世話よりも楽しいわよ」
自分で自分の生活を組み立てることができるのか。
目が覚めたような気分で、マウニと帰り道を歩いた。考えてみれば、マウニも過去のことは話さない。今のことと未来のことだけだ。大きくはない集落から人間がたくさんいる街に場所だけは移動したけれども、膠着したような時間を過ごしただけで、自分は何も得ていなかったのだ。
「サウビには戻りたくなるような懐かしい場所があるのね。私はこれから、ギヌクとそれを作りたいの」
兄とだけ生活してきたというマウニもまた、抱えているものがあるのだろう。屈託のない笑顔だけでは、何も言わずに他人にただ寄り添うだけの優しさは持てない。
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