15.
婚礼の宴の支度は、三日前から始まった。イネハムが泊まりこみで料理や菓子を仕込むのを手伝い、しまい込んだままの食器を数え、たたみ皺のついた布類を広げて、客を迎える準備をする。
訪れた男が宴で歓待されたのちに、その家の女を嫁としてもらい受ける。家付きの娘ならばこれで終わりだが、嫁に出る娘の場合だと馬車に乗せるまでが送る側の仕事になる。旅装束の男と嫁入りのショールを纏った女は、見送る人々に手を振って男の住処に向かうのだ。
サウビにも、そんなことがあった。街までは馬車で二日もかかり、途中で泊まった宿屋でのツゲヌイは、布を買い付けに来たときと同じように朗らかで優しかった。疲れたろうから寝なさいと、足を洗っているサウビに寝床を叩いてみせた。一夜だけの幸福だった。
ノキエはギヌクと一緒に新居の準備をしているらしく、日がとっぷり暮れてからランタンを片手に帰ってくる。夕食は自分の部屋へ運んでくれと言い、やはりほとんど顔を合わせない。ときどき薪をくべてもいないのに、家屋の隣にある湯を使う小屋の煙突から煙が上がる。サウビを呼びつけて仕事をさせることは考えつかないのか、もともと必要でもない立場なのだろう。マウニがいなくなれば、サウビはひどく手持ち無沙汰になってしまう。それが幸運だと思うには、サウビは働き者過ぎる。
そして宴の日がやってくる。朝から庭の花を両手に抱えたサウビが大きな壺に飾れば、庭に出したテーブルにイネハムが布をかける。手伝いに来た女たちが竈の前で賑やかに笑い、男たちが古い椅子を庭に運び出す。秋の空は高く、時折吹く冷たい風でさえ心地良い。
「サウビ、サウビ! 髪を結ってちょうだい!」
娘らしく高い位置で髪を結うのだと、マウニと打ち合わせていた。昨晩ノキエに渡されたというガラスの髪飾りは、凝った中にも温もりのある美しい形で、マウニの巻き毛によく映える。
「とても綺麗ですね。ノキエが?」
「いいえ、母さんのものなの。残っているものがとても少ないから、大切な日にしか出さないことにしているのよ」
髪をいくつも編み込んで纏め、花を散らしてから髪飾りをつけた。少し古い形のブラウスも、母親のものだという。
「あんまりね、顔を覚えていないの。でもイネハムが、私ととてもよく似ていたって」
立ち上がってスカートと帯を整えると、どこに出しても恥ずかしくない花嫁の出来上がりだ。
宴は和やかに進んだ。招待客の多くがノキエの土地に住まう者たちで、この家のつきあいが広くないことを知る。大きな土地を持ち、市を仕切る立場の人間としては異質な気がする。不思議に思いながら、サウビは宴のために忙しく働いた。客席にいるのでなくても華やかな席は楽しく、マウニが招待客たちに愛されていることが伝わってくる。祝福されて幸福そうに笑うマウニから、自分もまた少しの幸福を分け与えられているような穏やかな時間を過ごした。
夕暮れ近くなり、用意された馬車にショールを纏ったマウニが乗り込む。馬を御するギヌクが静かに前を向くと、盛大に花が投げられた。
行ってしまう。行ってしまうんだ。置き去りにされるような悲しみが、サウビに襲い掛かってくる。遠いところに行くわけじゃない、道を少し左に曲がればいつでも会うことができるのに。祝いの声に送られて庭から出て行く馬車を、サウビは唇を噛んで見送った。たった一月一緒に過ごしただけなのに、こんなに辛い。自分を送り出した両親や妹は、どれほど寂しかったろう。
招待客が帰り片付けも翌日に頼んで、ライギヒ夫婦とノキエと共に、家の中に入った。食堂で灯りに火を点けお茶を淹れると、奥に下がろうとしたサウビも一緒にと誘われた。
「これで役目は果たした」
祝いの酒の残りを口にしながら、ノキエは言った。
「マウニを守るためにだけ生きてきたんだ。これからはギヌクがいてくれる」
「何を言ってるんだい、これからはノキエが幸福を探さなくちゃ」
イネハムが言う。
「嫁をもらって子供を作って、あんたが家庭を持つんだよ」
ライギヒも頷く。ノキエは曖昧に笑った。
「俺は父のやりかたを、幼いころから見て育ったんだ」
そしてそのまま口を噤んだ。
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