12.

 サウビがノキエの姿を目にしたのはその二日後のことだったが、ノキエはまだサウビがそこにいることを知らない。午前の食事の籠を手に、作業場の扉を開けたサウビが見たのは、かじりかけのパンを手から落とし、机に突っ伏して眠る男だったからだ。もう空気が冷えてきている季節なのに、上半身には服を着けていない。そしてその背には、古くて大きな傷がある。

 音を立てぬように食事の籠を交換したサウビは、自分の肩のショールを外してノキエにそっと掛けた。食事の途中に眠ってしまうほど疲れているのなら、身体が冷えても目を覚ますことができないだろう。冷たい風が早々に、冬の悪魔を連れてきてしまうかも知れない。


 家の中に戻ると、マウニが来客の相手をしていた。邪魔をしてはいけないと食堂に下がり、床を洗いはじめたところで名を呼ばれる。

「紹介するわ。私と結婚するギヌクよ。ライギヒの二番目の息子なの」

 逞しい男がマウニの向かいに座っていた。

「ああ、あなたが。なるほど、ノキエが連れてきた理由がよくわかる」

 男はゆっくりと頷き、マウニの隣の椅子を示した。

「ギヌクです。ノキエは忙しいんで、俺が手伝いをしてます」

「市での売上の管理とか、土地の見回りとかを」

 マウニの言葉を、ギヌクは途中で遮った。

「雇い主より先に、俺たちが説明することじゃない。今にノキエから聞かされるだろう」

 得体の知れない女を、家の中に入れているのだ。マウニのように素直に受け入れる人間ばかりじゃない。


 サウビが竈の前に屈みこんで薪を並べていると、外に通じるドアが開いた。てっきりマウニだと思い、これから食事の支度をするのだと言いかけて、気配が違うと振り向いた。

 殺気を纏った男が、こちらを見ている。驚いて声も出せずに、その場に腰をついた。

「おまえは誰だ」

 厳しい声を出した男に、思わず身体を丸めて蹴られる体勢をとる。この形が一番衝撃が少ない。そのとき、男が左手にサウビのショールを握っているのが見えた。

「サウビ。あなたが連れてきた女です」

 身体の形はそのままに、震える声で答えた。


「忘れていた。悪かった、立ってくれ」

 強張った身体で立ち上がるのを助けるために、ノキエは右手を差し出した。それはサウビを打つための形ではなくて、他人から差し伸べられた優しい手だった。

「よく来てくれた。仕事の内容は、妹と同じようにしてくれればいい。給金については、あとで相談する」

 金を出して買った女に、給金を出すというのだろうか。

「兄さん、出てきたの?」

 顔を出したマウニが、ノキエをぽかんと見つめるサウビを見た。

「ねえ兄さん、サウビはとても働き者よ。お料理も縫物もできるし、今日は私の髪を結ってくれたのよ」

 ノキエは苦笑して、サウビに向かって言った。

「この通り、女の仕事を教えることもできなかったし、うるさいくらいのお喋りだ。できればあんたが、少し教えてやってくれると助かる」

 マウニにやった視線は、暖かかった。少なくともサウビに害を加えるために買ったのではないと、感じられる程度には。

「これを掛けてくれたのは、あんたか。おかげで肩を冷やさずに眠ることができた」

 サウビにショールを返して、ノキエは廊下に通じるドアを開けた。


 マウニと一緒に用意した食卓は、北の森を思い出させた。まるで妹と食事の支度をしたようで、とても懐かしい気持ちになる。マウニは仕立てるスカートの話をし、新しく暮らすための家の話をし、ノキエがからかいながらそれを聞く。柔らかい家族の会話だ。


「試しに火を入れたい」

 ノキエが作業場から出してきたのは、美しいランプだった。火をいれてから、燭台の灯りを消す。

 ロウソクの火をガラスが通し、壁に映し出されるのは緑の葉の上に広がる黄色い花の波と、その上の夕日。草原の秋の風景だ。こんな美しいランプを、初めて見た。そしてそれを作り出した人が、目の前にいる。サウビは言葉もなく、壁に映った色を見つめる。

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