11.
一番鶏が啼く前に、目を覚ましてしまった。まだ外は薄暗く、室内に闇が滲んでいる。ここはどこだっただろうかと考え、イネハムの家にしては広い部屋だと思ってから、昨日ここに連れて来られたのだと思う。そして自分が見慣れぬ肌着で眠っていたことに、やっと思い至った。昨日マウニに渡されたものだった。
身の回りの世話のために買われたのなら、家の中の誰よりも早く働かなくてはならないだろう。寝床から身体を起すと、腰がズキンと痛んだ。腫れあがった腕は痣を残すだけになったが、腰のほうは倒れた衝撃と蹴られた衝撃が後を引くのかも知れない。そろそろと立ち上がって服を身に着け、靴に足を入れた。
冷たい水で顔を洗えば、少しは気持ちが綺麗になるかも知れない。街のように道の端の井戸まで水を汲みに行かなくても、庭に井戸があるだろう。足音を忍ばせて外に出れば、東の空が白んで見えた。おそろしく装飾のない庭には、花だけが咲いている。
マウニはとても親切だし、あの部屋の様子を見れば扱いは悪くない。けれど働かせるだけならば、こんなに怪我だらけの女をわざわざ買わなくても、いくらでも探せるだろう。そしてノキエが嫁を取ろうとするならば、身の回りの世話だけの女など要らない。
何故。買ったっきりでいつ届くかも関心のない男は、まだ作業場から出てこない。
作業場に目をやると、窓の中が光った。続いてまた聞こえてくる音で、中で人が動いていることがわかる。こんな朝早くからと考えて、夜を徹したのだと思い至った。何を作っているのかは知らないが、ずいぶん熱心なことだと感心する。
井戸の水で顔を洗い、背を伸ばして髪をかき上げた。北の森のように視線の先がすべて樹木ではなく、街のように雑多な建物に覆われてもいない大地は、夜明け前の冷えた空気に包まれている。少し離れて、隣の家の輪郭が見えてくる。
こんな知らない場所まで来てしまった。嫁入りしたときのような期待はなく、ただ知らない人ばかりの場所へ。いきなり足が震えそうな不安が押し寄せ、サウビは身じろぎもせずに昇ってくる日を見た。
マウニが起き出してきたのはずいぶん日が高くなってからで、サウビが自分の着ていたものの洗濯と食堂の掃除を済ませてからだ。
「ああ、いい匂いがする」
伸びをしながら食堂に入ってきたマウニは、嬉しそうに叫んだ。
「そこにあったものを使ってしまいました。よろしかったでしょうか」
ビクビクしながら伺いを立てると、もちろんよと元気な声が返ってきた。
「もうじき隣の家からミルクが届くわ。なんて御馳走なのかしら」
ツゲヌイの表現では田舎くさい貧しい朝食が、マウニには魅力的らしい。木の実と蜂蜜を混ぜた粥と、軽く湯通しして塩を振っただけの青菜が歓迎されるなんて。
朝食を終えてマウニがスカート地を出してくる。広げて長さの相談をしているうちに、サウビはふと思いついて提案した。
「少し襞を入れて、膨らませましょうか。残った布で幅の広い帯が作れますから、それを腰に」
マウニの目が大きく開くと、サウビにまた怯えが走る。余計なことを言うな。何も考えずに言われたとおりに動け。おまえの考えなど、誰も必要としていない。蘇った言葉に耳を塞ごうとした刹那、マウニが抱き着いてきた。
「サウビったら、なんて素敵なの。なんでもできるのね。ああ、兄さんは素敵な人を連れてきてくれた!」
自分の行動に感謝される喜びをふんだんにもたらされて、はしゃぐマウニに手を握られながら、サウビはぽろぽろと涙をこぼした。
「いやだ、どうしたの。私が悪いことを言った?」
「嬉しいんです。こんな幸福があることを、思い出せて」
思い出さなくてはならない感情が、扉を開けていく。
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