9.

 俄かに道が整ってきて、家と家の間隔がそれほど大きくなくなったころ、ライギヒは一軒の家の門をくぐった。贅沢な家ではなく、庭園があるわけでもない。ライギヒは迷わずに家の横にまわり、ロバを繋いでからサウビを伴って玄関を開けて中に呼ばわった。

「マウニ! 到着したよ!」

 奥の部屋から若い娘が、走り出してくる。

「早かったのね、ライギヒ。待ってたわ!」

 ライギヒに抱き着く娘は、ふっくらした頬に赤みが差し、褐色の巻き毛が豊かだ。

「待っていたのは俺じゃなくて、イネハムの焼いた菓子だろう」

「意地悪ね、食いしんぼって言いたいの?」

 ひとしきり挨拶が終わってから、娘はサウビに向いた。

「あなたが私の代わりに家のことをしてくれる人ね? 私はマウニよ、よろしくね」


 家のことをさせるために、自分を買ったというのか。どこの馬の骨ともわからず、ただ目の前で怯えて見せただけの自分を。呆然としたまま、ただ膝を折った。

「兄さんは作業場に籠っているわ。荷物は兄さんが預かったショールだけかしら。お部屋の準備はできているのよ、案内するわ」

 マウニは気さくに笑った。

「荷物は勝手口から入れておくよ。その前に許可証を貰えるかい、マウニ」

「忘れてたわ、ライギヒに商売させないところだった。待っててね、兄さんの部屋に用意してあるはずよ」

 マウニはバタバタと走って行き、数枚の紙を手に戻ってきた。

「そろそろ他の人も来ると思うの。ごめんなさいね、サウビ。疲れているでしょう?」

 買われてきた家で労われるとは。おどおどしたサウビの視線を捉えて、ライギヒは大丈夫だとでも言うように、ゆっくりと頷いた。

「ああライギヒ、お茶が冷めてしまったわ。食堂へ」

 マウニの言葉を遮って、ライギヒが言う。

「どうせ帰りにも寄るんだ、このまま商売してくるよ」

 腰を下ろさないまま、ライギヒは出ていった。入れ違いに何組かの客があり、マウニは紙を渡したり近況の質問をしたりで、忙しくしている。取り残されたサウビは、ここで待っていてと案内された食堂で視線を巡らせていた。

 質素だけれど清潔で、燭台も綺麗に磨かれている。窓に下げられた目隠し布にはドレープもなく、ただひとつの装飾として食器を置いた飾り棚だけがある。


 飾り職人は、自分の家を飾り立てたりしないのだろうか。ツゲヌイの店の隣の飾り物屋には、色とりどりのランプや飾り玉や絵皿、凝った形のフックを取り付けた吊り棚があった。もちろん男や女が身に着ける飾りも扱っていて、とても煌びやかに見えた。そんなものを作る人の家は、こんなにもガランとしているのか。貧しい北の森ですら、食堂には色ガラスのランプくらいあったのに。


「お待たせして、ごめんなさいね」

 食堂に入ってきたマウニが立ったまま茶を喉に流し込み、照れたように笑った。

「お行儀が悪いって言わないでね。すっかり喉が渇いちゃって。お部屋に案内するわ、こっちよ」

 マウニの後に従って家の中を歩くと、日当たりの良い部屋に案内された。てっきり窓のない使用人部屋だと思っていたサウビは、目を疑う。部屋の隅の椅子に母のショールが掛けられている。

「このお部屋を好きに使ってね。勝手に私の服を持ってきちゃったけど、新しく仕立てるのなら市で布を買ってくるわ」

「いただいてよろしいのなら、着古しでかまいません」

「いやだ、好きなものを着ていいのよ」

 ノキエは自分のことを、どうやってマウニに説明しているのだろう。

「ねえ、そのショールはとても素敵ね。まるで嫁入りのためのショールみたい」

 嫁入りのためのショールだったのだ。そう答えることもできず、サウビは無言で頷いた。

「私ばっかり喋ってるわ、ごめんなさい。私、とってもお喋りなの。私が三人いるみたいだって、兄さんにもよく言われるのよ」

 朗らかなマウニには何の屈託も見えず、サウビの唇の端に、やっと微笑みが浮かんだ。

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