8.
三日間、イネハムの家で世話になった。イネハムは変わらず親切で、ライギヒは無口ながらもサウビのために薬草を摘んできたり秋の果物をもいできたりした。本当にノキエの客人としての扱いで、サウビは戸惑いつつも数年ぶりの安寧を満喫する。
「ねえ、イネハム。ノキエはこの家とどんな関係なの?」
「それは本人にお聞き」
母娘のように台所に立ちながら、イネハムはサウビの腰に気を遣う。ツゲヌイの家から持ち出せなかった衣類の代わりにイネハムのブラウスを一枚譲り受けると、北の森に帰ったような気がした。ずっとここにいたい。
出発の前の晩に荷車に荷を積み終えたライギヒが、その中の選りすぐりを小分けにしていた。
「これだけあれば、坊ちゃんと嬢ちゃんの冬支度になるだろう」
「坊ちゃんなんて呼ぶと、また叱りつけられるよ、ライギヒ」
イネハムの言葉で、ノキエがこの夫婦と長い付き合いだと理解できる。腕の良い飾り職人だと聞いた気がするけれど、農地で作業するこの家とはどんな間柄なのか。
「サウビ、もう腰の痛みは大丈夫か」
ライギヒがそう言うと、腰ではなく心臓がズキンと痛んだ。こんな短い時間でここを出なくてはならないのかと、それだけで胸が痛い。
「なんて顔をしてるんだい。顔の傷はずいぶんマシになったし、歩く形も良くなったよ。それに今度は馬の背じゃなくて、荷車だ。大丈夫だよ、サウビ」
サウビが道中の心配をしているのだと思ってか、イネハムが陽気な声を出す。
「私も行きたいところなんだけどね、秋が終わる前に片付けなくちゃならないことがある。ノキエとマウニによろしく言っといとくれ」
行かなくてはいけないのだ。自分を買った男の元に送られるのだ。
まだ東の空が暗いうちに、ロバの引く荷車に乗って出発した。ライギヒの持つカンテラが、踏み均しただけの道を照らす。ときおり、民家が見える。広がる農地と果樹園に少しずつ影ができ、ライギヒはカンテラの火を消した。
「腹が減らないか」
イネハムの持たせてくれた蜂蜜を塗ったパンを口に入れ、冷めたお茶を飲んだ。
「まだ、遠いの?」
「半分ほどってところか。もうそろそろ、家が増えてくる」
それだけ言うと、ライギヒはまたロバの手綱を握り直した。マルメロの甘い香りが荷車の中に充満し、縄で縛られた野菜が重そうだ。ライギヒは黙って歩き、サウビもまた黙って揺られ、美しい秋の風景の中をロバは進む。これが最後の働きとばかりに蜜蜂は飛び回り、残った花を探している。
北の森の秋は短かった。木の実を拾いキノコを探しているうちに冬が訪れ、冷たい風の中で小さく育つ青菜を摘んだ。街は冬でもたくさんのものが手に入ったけれど、北の森より寒かった。
ああ、秋は美しい。世の中は美しいのだ。冬が寂しい北の森ですら、木の芽が一斉に伸びて輝く春や、羊歯に囲まれた冷たい泉で足を洗った夏がある。きっと街には街の美しさがあったに違いないのに、それを感じることを忘れていた。鏡の中の自分に気がつかなかったように、外の世界の美しさにも気がつかなかった。
これから先がこんなに不安でも、今は秋を見ることができる。風に揺れる黄色い花が、サウビに手を振ったように見えた。
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