推しのいない異世界に転生した

憂杞

推しのいない異世界に転生した

 某月某日、私は異世界に転生した。


 前世で二十二歳だった私は、電車に撥ねられて非業の死を遂げた。日頃の疲れで注意力を欠いた結果だ。自分の幸福のために生きようと決めていたのに。


 ――なんであんな死に方をしたんだ。


 もし"彼"が知ったら、きっと怒るだろう。

 見ず知らずの私なんかのために。



   *



 エルフの子供として産声を上げて以降、私はファントム=アデルのブロマイドを探し続けていた。


 私が生まれた辺境の村は、エルフ族だけが暮らしている集落らしい。

 小さな村だった。住民は指で数えるほどしかいなく、緑の豊かな狭い土地からは一歩も出ず、村内の田畑でそれぞれが自給自足をする。のどかな村だと思った。


 私は小さな我が身を歩かせる練習をしながら、新しい暮らしに少しずつ馴染んでいく。

 記憶のほとんどを引き継いでいる私としては、前世以上の平穏な生活に少なからず安心していた。


 ただ――

 民家の中をいくら探し回っても、彼のブロマイドはどこにも見当たらない。

 やがてこの世界にファントム=アデルが存在しないと気付くと、私は少しずつ焦り始めたのだった。




 かれこれ三年以上村じゅうを探し回ったけれど、彼のブロマイドはどこにも落ちていない。


 ダークファンタジーアニメの登場人物であるアデルのブロマイドは、劇場版の前売り券特典として前世の私に送られた。

 映画化されただけでも喜んでいた私は、最推しのグッズを貰ったことで狂喜乱舞した。以来、死ぬまで家宝として自室で保管していた。


 あのブロマイドは今頃どうしているかな。両親の手で遺品として整理されたのかな。ふと想像してしまう。


 手足を器用に動かせるようになると、私は記憶を頼りに紙とペンで絵を描く。

 子供の落書きだと思って、今の両親は温かく見守ってくれた。けれど完成品らしき絵を見るなり、二人揃って眉根を寄せる。


「なんだこの化け物は?」


 父親の無神経ながらごもっともな意見に、私はシンプルに傷付いた。


 描く経験なんてからっきしだった私の絵は、それこそ子供の落書きにも劣る最悪な出来だった。

 目の前にあるのはアデルではなく、知らない化け物の肖像画だ。

 愛さえあれば描けると踏んだ自分が愚かだったのか、それとも本当の自分は彼を推してなどいなかったのか。疑ってしまうほどに化け物は歪んで見えた。


 せめて見本絵を見ながら描きたい。

 けれどこの異世界に彼はいない。ブロマイドも漫画も同人誌もない。

 彼の尊さを共有できる相手は、自分以外にいないのだ。




 さらに五、六年が経っても、エルフの村は常に平和だった。

 天候の周期が決まっているため作物は順調に育ち、隣国に攻められたり焼き討ちにされたりすることもない。


 近所には小さな図書館があって、そこで居合わせた子供エルフと友達になれた。

 両親もお隣さんも村長さんもみんな良い人で、アデル推し仲間とも話せないコミュ障だった私でも徐々に打ち解けていく。

 全員に彼のことを話しても「誰それ?」と返されるばかりだったけれど、それでも種族柄か話は積極的に聞いてくれた。それだけでも嬉しかった。


 本当に居心地の良い村だった。

 彼の熾烈な戦いが不要に思えて、寂しくなるくらいに。


 友達が外で風魔法の練習をする中、私は図書館で本を読み漁っていた。異世界特有の言語の読み書きを習いつつ、エルフの村の外について知りたかったからだ。

 手に取った地理書には、見開き一面に異世界地図が描かれている。


「世俗には実に様々な文化がある」


 難読字だらけの地理書を持って訪ねると、村長さんは曖昧に噛み砕いてくれた。

 質問を重ねるうちに、エルフの村の領土が世界の万分の一に満たないことも分かってくる。

 私はさらに訊いた。


「アデルを必要とする人はこの世界にもいる?」


「どうだろうな」


 村長さんは笑って返す。

 私がエルフ達に伝えられていたのは、まだ彼の性格くらいだった。




 後日、エルフ族が数千年以上の寿命を持つと知った私は、新たに生まれた疑問を母へぶつけた。


「ねえ、エルフは長生きするのに、こうも村の住民が少ないのはどうして?」


 すると母は一瞬目を丸くした後、どこか悲しげに微笑みながら言う。


「わたし達は詩人となって旅をするのが好きな種族でね」


 母は自分自身の過去も交えつつ教えてくれた。

 必要な知識を蓄え村長さんから認められたエルフは、村から広い世界へ出ることを許されるのだと。

 母も歴史学に苦戦しながらも旅立ち、また村へ帰ってきて家庭を築いたのだという。大人のほとんどは帰巣しているだけで、一度は外へ出た経験があるらしい。


「お母さんもうたいたくて外へ出たの?」


「実は、そうでもないわ。好奇心で外を見てみたかっただけ。しばらく旅した頃には、この村のことを詠いたくなっていたけど」


「外は村のことを詠いたくなるような場所ってこと?」


 母はしまった、とばかりに口を覆った。

 村長さんとの会話でも聞いていたけれど、大人が子供に外の姿を教えることは良しとされないらしい。両者とも「初めて見た時の刺激が薄れるから」と誤魔化した。


『百聞は一見にしかず』。

 アデルを記憶から呼び起こす。

 彼の尊さもきっと一目見れば分かるのだ――私は心の中でぼやいた。けれどこの異世界ではそうも言ってられない。


「あなたも、きっと旅に出ると思っているわ」


「私も?」


「あなたは昔から詠っていたものね」


 そう言う母の笑顔を見て、私はとうとうこれ見よがしの膨れっ面をした。

 推しより推す側が注目されるのは、何となく心外だ。


「私は、もっと勉強してから外へ出たい」


 私は教えてくれたことにお礼を言うと、絵の続きを描くために子供部屋へ入った。


 ファントム=アデルの物語を切り取った絵は、描き続けているうちに上達している、と思う。

 完全再現は不可能だろうと絶望するし、近付けているかどうかの答え合わせもできない。

 それでも私は推しを推し続けるだろう。前世で彼に救われた私が死ななければ、そう在ったように。


 もし私が旅先で出会った誰かを、彼を通して救うことができたらと願う。

 そのためにまず描き残すのだ。私のヒーローの尊さが色褪せていかないうちに。

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