門出

鳥柄ささみ

門出

「あー、やっぱり来てたか」


 妊活を始めてから21回目の生理がやってきて、我ながらよくもまぁこんなに続けたなぁなんて思う。

 今まで生理が来るたびに、胸の中に黒いモヤが沈み込み、吐き出せない感情が絡まりすぎて解けないほどにこんがらがって、ずぅんと重しのように私の胸の内に留まっていた。

 だが、それも今日までだ。

 今回もできなかった。

 今までそれがとてつもなくつらかったが、今はもう晴れやかな気持ちであった。

 これでやっと諦めがつく。

 空っぽのお腹を撫でて「ごめんね、ありがとう」そう呟くと、私はトイレを出た。



 ◇



「生理来ちゃった」

「はぁ……。またかよ。一体いつになったらできるんだ? お前の身体、おかしいんじゃねぇの? やっぱり昔堕胎とかしたんじゃ……」


 帰宅したというのにこちらに顔も向けずに視線はスマホのまま。

 夫の吐き出す言葉はどれもこれも今までの私だったら悲しくて苦しくて申し訳なさでいっぱいになるものばかりだったけど、今の私にとってそんな感情はなくなっていた。


「ねぇ、離婚しましょ」

「……は?」

「よく聞こえなかった? 離婚しましょう、って言ってるの」


 私がまっすぐに彼を見つめてはっきりと言えば、不機嫌そうな表情を取り繕うこともせずに彼は私を睨みつけて手近にあったティッシュ箱を私に投げつけた。


「ふざっけんなよ! お前が不妊治療したいって言うから金出してやったんだぞ!?」

「よく言うわよ。一部しか出してないじゃない。それに何回も言ったけど、私にはどこも異常がないの。原因があるのは貴方でしょう?」


 今まで言わなかった……言えなかった言葉を吐き出す。

 今までずっと、彼に怯えて言うことが出来なかったが、今はもう最後だからと溜め込んだ言葉を外に出すのはスッキリした。

 そして、まさか私が口答えするとは思わなかったのだろう、夫は目を見開きわなわなと震え出す。


「はぁ!? 何言ってんだよ! いっつもいっつも受精しなかっただの着床しなかっただの、原因はお前だろ!! そもそも、畑が悪いから芽吹くもんも芽吹かないんだろ! 俺には過去に実績が……っ!」

「えぇ、知ってる。元カノを妊娠させて逃げたんでしょう?」


 自分でも驚くほど冷めた声が出る。

 その言葉に夫も驚いたようで、酷く狼狽していた。


「え、なっ、何でそれを……っ」

「お義母さんから聞いた。あのとき産ませておけばよかったって、言われたわ」


 頭の中がだんだんと冷えてくる。

 いつも義母から電話が来るのがストレスだった。

 スマホの通知を見るたびに胸がドキドキとし、吐きそうになる。

 それを意を決しておずおずと出れば、罵倒罵倒罵倒。

 畑が悪い、過去に悪いことをしたのではないか、売女、石女、疫病神……よくもまぁこんなにも罵倒の言葉が出てくるなと感心するくらいの罵詈雑言のオンパレード。

 それを今まで聞いて必死になって謝ってきたが、もう今となってはよくもまぁあんなキチガイじみた説教に謝ってたなと自嘲してしまう。


「でも、よく考えてみてよ。貴方今いくつだと思ってるの? 妊娠させた当時はまだ大学生だったかもしれないけど、今の貴方はもうアラフォーよ? 42なの、わかる?」

「はっ、お前だってもう30じゃねぇか!」

「えぇ。でも結婚して3年も経つのよ? 妊活を始めたときだって私はまだ28。先生だって運動率が悪いとか、奇形が混じってるから早めに体外受精がいいって言ってたのに頑なにお金かけたくないって体外受精断ったの貴方でしょう?」

「それは……だったらやればいいんだろ!? 金だってしょうがないから折半してやるよ! それで文句ねぇだろ!! 何で急に離婚になるんだよ!」

「もう貴方の子供を産みたくないの」

「はぁっ!?」

「いっつも帰ってくるなりゲームゲームゲーム。私も働いているってのに家事はしない、文句ばっかり、生活費は半分も出さないし、勝手に義両親呼んで私が責められている間どっかに行っちゃうし、帰ってくるなり義両親と一緒に私のことはバカにしてくるし、たまに機嫌悪いと壁殴ったりもの投げてきたり。タイミングもこの日がいいって言っても飲み会に行ってドタキャンするし、お酒控えるように言われても一向にやめないしで全然妊活にも協力しないじゃない。もういい加減うんざりなのよ」

「な、な、な……」


 今まで積りに積もっていたものがするすると溢れ出してくる。

 もう自分でも止められなかった。


「あと、同僚の子に言っておいて? 不貞行為の慰謝料請求するからって。あぁ、貴方もそのつもりでね。連絡はここの弁護士事務所を通してね、それじゃ」

「は? え……」


 呆気に取られている夫をよそに、既にまとめておいた荷物を持って玄関を出る。

 3年も結婚してて荷物は鞄両手分というのも何だかちょっと情けなくなりながらも、これで心置きなく家を出られると思ったら清々しかった。

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門出 鳥柄ささみ @sasami8816

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