第101話 兄と弟

「やべぇ!遅れる…!遅れちゃうぅ!」


 カーミラ理事長のところに長居しすぎた俺は、次の講義の行われる学科棟へと繋がる渡り廊下を小走りに移動していた。


 理事長話長ぇんだもんな…、ちょくちょくエロ目で見てくるし…。

 ま…まあそこまで悪い気はしないけど…ゲフンゲフン!

 い…急がないと、次の授業が始まっちゃうぜ!


「…にしても遠いなぁ、ここ!次の授業は遅れたら絶対怒られるやつだっつうのに…って…んん?…何だこれ…?どっかから声が聞こえる??」


 俺は、何やら言い争うような声が聞こえた気がして足を止めた。

 そして舗装された渡り廊下から少し逸れ、大きな木々の生い茂る校舎裏を確認する。


「…は…!?…だ…ら…!!」


 んん…やっぱり聞こえるぞ?

 こんなトコで何やってんだ?

 あぁ…!!

 もしかしてカツアゲ…!?


「か…勘弁してくれよ〜…、めちゃくちゃ急いでるってのに…」


 学科棟裏。

 そこは日本では普段あまり目にすることがなかったような背の高い常緑樹が生い茂って日陰になっていて、まるで小さな森のようになっている。

 もちろん背の低い木々も多く、中へ入れば外からは死角になっていて、多少のことなら誰の目にも触れることはない。


「…とは言っても、放っておくのも寝覚めが悪いしなぁ…。う〜ん、ちょっと確認だけして、やばそうなら陰からコソッと殺気でも飛ばして、止める感じにするか…」


 俺はそんなことを考えながら、少し奥の方へと進んでゆく。

 だがそんな風に軽く考えていた俺の前に、思わぬ光景が。


(えっ…!?あ…あれは…!?)


 そこにはこれまで何度も目にしてきた、たぷたぷと揺れる顎の下の肉と下っ腹を持った男の姿。

 貫禄だけは、スラ○ダンクの安○先生にも肉薄しようかという、ぽよんぽよんの丸っこい体型。

 もう一つ言えば、さっきまで理事長室で話題に登っていたアルバトロス男爵家の次男坊。

 …そう、クラスメイトのクリントン君だ!


「…さあ、早く!出るんですか!出ないんですか!?」


 クリントンは大声を張り上げながら、何やら別の男子生徒に対して勢いよく迫っている様子だった。


(こっ…これは、クリントンの方から絡んでいってる感満載…!?もしや、オヤツとか食糧とかを出すように要求してるのか…?まったく…ちょっと出自が可哀想かも…なんて思った矢先にこれかよ…)


 俺は、即座にクリントンをオヤツ目当ての恐喝の犯人と断定すると、次に絡まれていると思しき相手の男子生徒を見た。


 その生徒は、身長180センチぐらいはあろうかという長身で、体型は痩せ型。

 ビシッとオールバックに固められた金髪と整った目鼻立ち、そしてクール&ビューティな青い瞳が特徴的な、かなりの美男子だった。


(あの服は3年生の人か…?おいおい…相手はえらくイケメン男子だなぁ。これは女子にモテないクリントンが、ただただイケメン男子に嫉妬して因縁を付けた線も…?)


 俺は身をかがめ、しばらくの間、生垣の隙間からこっそり様子を窺うことにした。

 まあ暴れてるのがクリントンなら、相手の先輩も余程のことがない限り、負けやしないだろう。


 しかし、なんかこういう覗き見って、ちょっとドキドキするよねー!

 家政婦のミタさん…?…じゃなくて、家政婦は見た!…的な?


「答えてください!…き…聞いておられるのですか!?何とか言ったらどうです……兄上…!!」


(ア…アニウエ…!?)


 クリントンの奴、今兄上って言った…!?

 …と、いうことはもしかして、あの金髪イケメン男子が、カーミラ理事長の言ってたクリントンのクレイジー兄貴こと、セオドア・アルバトロス!!

 となるとこの状況…ちょっと話が変わってくるかも…?


(か…考えてみりゃあ、あのクリントンが理由もなく誰かに因縁付けたりする筈ないしな!お…俺は最初からわかってたぜ、クリントン!)


 クリントンのことを疑いまくっていた俺、何なら恐喝の現行犯人として取り押さえてやろうかとさえ思っていた俺は、そんな記憶を100万光年の彼方へ葬り去ると、そろりそろりと2人の所へと近づいてゆく。


 近くでよく見てみると、クリントンは鬼気迫る表情で、必死に何かを訴えかけていた。

 …だが他方、“兄上”と呼ばれたその男セオドアは、さも煩わしそうに、大きなため息をついた。


「ふぅ…。こんな所に私を呼び出しておいて、一体何の話かと思えば…」


「あ…兄上…?」


「愚かな弟クリントンよ…。私は貴様に申し向けたはずだな?私が戻るまでに、アルバトロス領から退去する準備を進めておけ、と…」


 セオドアは、ゆっくりと首を横に振りながら、静かに目を閉じた。


「…!」


「それがどうだ…。私の命令を聞き入れず退去の備えをしないばかりか、何を勘違いしたのか、この魔法学校へ入学してくるとは…。魔法もロクに使えぬ、落ちこぼれの貴様がな…」


「…!!…あ…兄上…!」


 クリントンは歯を食いしばりながら、怒りとも悲しみとも取れるような、複雑な表情でセオドアを見つめている。


「…クラス別対抗戦…?自分の力を認めてほしい…?貴様のようなクズから、よもやそんな言葉が飛び出すとはな。まだそこいらのゴブリンの鳴き声の方が、余程耳障りがいい。…そうは思わんか?クリントンよ」


 セオドアは、再び目を開くと、氷のような冷たい瞳でクリントンを見下ろした。

 あるいは、冷たいというよりも、一切感情がこもっていないと表現した方が正しいのかもしれない。


「わ…私は…私はただ…、兄上に自分の力を認めてもらい、2人であの魔法使いリヒャルトを打倒し、平和なアルバトロス領を取り戻したいと…」


「…黙れ!愚か者めがぁ!!」


「…ひっ…!?」 


 突如、セオドアの顔色が変わる。

 先程までの蔑むような冷たい目は一転、今度は激情と憤怒が同居したかのような、感情的な色を帯びていた。


 …ペタン…。


 クリントンはセオドアの気迫に驚いたのか、その場で崩れ落ちるように尻餅をついた。

 セオドアは続ける。


「貴様という奴は…。未だに我が政務補佐官リヒャルトを打ち倒そうなどと、愚かしい妄想を抱いていたとはな…」


「あ…兄上…?」


「そのような愚かな弟…いや、もはや罪人にも等しい貴様には、この兄手ずから罰を与えねばなるまい…」


 セオドアは、鬼のような形相とは対照的に静かな口調でそう話すと、静かに、だが確かに魔法の詠唱を始めた。

 クリントンの表情が、瞬く間に青ざめてゆく。


「あ…あぁ…。そ…その魔法は…」


「我は告げる。溢るる水は大海の如く、彼方から此方へと集うべし。我が魔力は水神の呼び声、なれば応えてその身を捧げよ。汝らの献身をもって、我は全てを押し流さん!」


 ギュイイィィィィ……ィィィィィィ!!!


 右手を上空に向けて大きく上げたセオドア。

 その手の平から2メートル程度上の空中に、怒涛の勢いで大量の水が集まり、収束してゆく。

 マ…マジかよクレイジー兄貴!?

 こんなもん、まともに食らったらクリントンの奴…。


「…死にはせん。だが1月はまともに動くことも叶わんだろう。その間、己の無力さを見つめ直し、恨むがいい。そして…」


 セオドアの目から再び光が失われてゆく。

 その氷のような冷たい瞳は、容赦なくクリントンを射抜く。


「…うっ…うあぁ…!」


「どこか遠くへ消え失せ、二度とは私の前に現れるな…クリントンよ!…くらえ!タイダル・ウェイブ!!」


 セオドアが勢いよく腕を振り下ろしたその瞬間、空中で収束していた大量の水が解き放たれ、凄まじい勢いでクリントンに襲いかかった。

 その名のとおり、まるで全てを押し流す津波のような膨大な水。

 直撃すれば、どんなに低く見積もっても、打撲や骨折などの重傷は免れないだろう。


(…やれやれ…まったく、兄弟ゲンカにしても程があるだろうに…)


 そう思考を巡らすや、俺は自身の脚を無属性魔力で超強化すると同時に、身体の中で強烈な火の魔力を練り込んだ。


 その刹那。


 ブオワァァァァァァァ!!!


 ジュワアアアァァァァァァ…!!


「…!」


「…うわぁぁ!?」


 突如、押し迫る水流の前に、豪炎が巻き起こった。

 無論、ただの炎ではない。

 それは宝石のように蒼く輝く、超高温の炎。


 クリントンに襲いかかった大量の水は、輝く炎とぶつかると同時に瞬時に蒸発、大量の白い蒸気を撒き散らしながら、霧散していった。


 そんな異様な場所に響く声が1つ。


「うわっちぃっ…あちちちぃ…あちちちちちちっ!?ひえぇ〜!!」


 もちろん、声の主は俺。

 巨大な水魔法をササッとかき消し、華麗に登場するつもりだったが、残念なことに風向きが悪く、炎と水との衝突によって発生した熱い蒸気にまともに巻かれてしまったかわいそうな俺だ。

 だがそんなことでへこたれやしない。

 鈍臭い失敗なんて慣れっこなのさ!


「…いやぁ、お兄さ〜ん。今のは弟に対して向ける魔法としちゃあ、ちょっと行き過ぎじゃあないですかねぇ…?」


 その場にへたり込んだまま目を白黒させるクリントンを背に、セオドアに向かって仁王立ちした俺。

 少々ダサい登場シーンを華麗にスルーし、胸を張ってそう言った。


「…レインフォード・プラウドロード…」


 自身の魔法をいとも簡単に打ち消されことなど全く気にする素振りもなく、セオドアは小さくそうつぶやいた。


 昼休みはとっくに終わり、既にサイモン教授の魔術理論の講義で出席を取っている頃だろうか。

 “うぬぬ…!レインフォードはどこで油を売っているのだ!?”…などと心の中でモノマネをしてみる。

 また廊下に立たされるかなぁ…などと思いながら対峙する俺を、セオドアは、さっきと変わらない氷のような冷たい目で、じっと見据えていた。

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