第100話 呪いが解ければ痩せるのか、それが問題だ
「…というのが、私の手元の資料にある、クリントン君の人となりだね」
静かにそう言うと、カーミラ理事長は分厚い羊皮紙の束を無造作に机の上に放り投げた。
ここは魔法学校教授棟の最奥にある理事長室。
急な階段を登り、長い長い廊下を必死で歩いて、ひいひい言いながらやっとたどり着いた。
場所の不便さもさることながら、うんと広い理事長室は、窓にしっかりと黒いカーテンが掛かけられていて、今日は雲一つない日本晴れ(無論日本ではないが)であるにもかかわらず、室内は不気味な程薄暗い。
また時間としては昼休みであるが、午後からの授業や実習に胸躍らせる生徒たちの笑い声や話し声など、外の喧騒なども全くもって聞こえない。
そんな外界から隔絶されたかのような雰囲気の中、カーミラ理事長は、クリントンの出生や生い立ちについて話してくれた。
「随分とまた詳細な情報が揃ってるんですね。ただの一生徒のことなのに…」
俺は理事長室のソファーに腰掛けながら首を傾げ、そうつぶやいた。
「ふっ、個人情報を含め、他言無用で頼むよ?けれどね、たとえ一生徒といえど、この王都魔法学校に入学するということは、平均よりも高い水準の魔法適性を備えているということさ。そしてその多くは、王国の未来を支える大切な礎となってゆく。こう言えば賢いレインフォード君なら理解できるだろう?」
カーミラ理事長は、いかにも座り心地の良さそうな革製の椅子にふんぞり返って頭の後ろで腕を組み、さらにいかにも高そうな木製の立派な机の上に長い脚を放り出してにやりと笑う。
「成程…。王国の統治に反感を持って謀反を企てる勢力や、他国のスパイなんかが紛れ込んだりしては困る…ってとこですか」
「ご明察。私は別にそういう部署の人間ではないけれど、君が思っている以上にこの国の諜報機関は優秀だよ?近所の服屋の店員、馴染みのパン屋のおばさん、はたまたお屋敷のメイドさん…。ありとあらゆる場所で情報収集は行われているのさ。ふふふ…私が知る限りのプラウドロード領に散らばる諜報員のことも教えてあげようか?」
カーミラ理事長は悪戯っぽく笑いながら、俺を見つめる。
俺は大きくため息をつき、首を横に振った。
「けっこうです。知らない方が幸せなこともあるでしょうから。それに、たとえ諜報員であったとしても、うちの領内で暮らしてるなら、僕にとっては大切な領民ですからね」
「…あっはっはっ!さすがだね、レインフォード君!君のその年齢に見合わない物事に対する理解力や、事象に対する俯瞰的な物の見方、私は好きだなぁ。…あぁ…やはり君はいい…。すぐにでも昨晩の続きを始めたいところだけどねぇ…」
一瞬の沈黙の後、右手で顔を覆って大笑いし始めたカーミラ理事長だったが、その手の平の向こうで、深紅の瞳がこちらを捉えている。
まるで密かに獲物を狙うカマキリのように。
「…遠慮しときます、それはまたの機会に。それよりも僕が聞きたいのは…」
「わかっているさ。クリントン君の呪いのことだね」
カーミラ理事長は机から脚を下ろすと、そのままゆっくりと椅子から立ち上がった。
そして広い理事長室の窓側まで移動し、カーテンを少しだけ開くと、カーテンの隙間から、麗かな日差しが顔をのぞかせる。
「…レインフォード君。君はついさっき、“知らない方が幸せなこともある”…そう言ったね?」
カーミラ理事長は、その場でしばらく校内の様子を眺めていたが、やがて陽光の眩しさに目を細めながら、静かにつぶやいた。
「私はこれでも教師だ。生徒の疑問には答えてあげる義務があるし、知的な欲求に対しては、さらなる高みを目指せるよう、適切な助言をしてあげたいとも思う」
「…」
カーミラ理事長は、ゆっくりと目を閉じるとカーテンを閉め、今度は俺の方へと歩いてくる。
「君も貴族ならわかることだろうが…。聞いてもおそらくロクなことにはならないと思うよ?いや、むしろ非常に面倒な厄介ごとに巻き込まれる可能性だってある。…それでも聞きたいのかな?」
長身のカーミラ理事長は、俺を上からじっと見下ろした。
“中途半端な好奇心は身を滅ぼすぞ?”とでも言わんばかりの、有無を言わせぬその迫力。
だが…。
(…優しいんだな…。この人…)
カーミラ理事長は、決して俺を軽く見ているわけでもなんでもなく、むしろ心から心配してくれているのだろう。
男爵家当主の急死、タイミングを計ったかのように現れた外部の魔法使い。
さらに優秀な次男の急激な魔法力の弱体化と、それに伴う長男の変貌…。
こんなの誰がどう考えたって、きな臭いにおいがぷんぷんする。
けど…。
「理事長…。クリントンの奴はですね、普段からそりゃエラそうだし、むしゃむしゃとよく食べて丸々太ってるし、おまけに足は臭いし…って、あれれ?いいとこ無し??」
俺は顎に手を当て、考え込む仕草をした。
カーミラ理事長はそんな俺を、真剣な顔でじっと見つめている。
「…ま、そんないいとこ無しの彼かもしれませんが、僕の数少ない友達の1人でもあるんですよ。なんだかんだ文句を言いながら、最後には助けてくれたりしますからね?僕はそんな彼を大切だと思ってますし、何か深い事情があるなら助けてあげたいとも思います」
「…彼はそうは思っていなくとも…?助けなど必要ない、余計なことをしやがって、などと拒絶されても…かい?」
「それでもです。大事なことは、“相手にどう思われるかよりも、自分が相手を大事に思っているか”ではないでしょうか」
無言で視線を交わすカーミラ理事長と俺。
だがしばらくすると理事長は、諦めたように小さく笑うと、ゆっくりと自分の席へと戻り、椅子に深く腰掛けて少しずつ話し始めた。
「…一般的に、よく“呪い”と呼ばれている類の案件は、闇の魔法によるものであることが多い。
カーミラ理事長は、艶かしい仕草で舌を出した。
成程。
経験上というのは、これまでにも血をご馳走になった相手が呪いに掛かっていたことがある、ということか。
しかし理事長自身は呪われている血なんて貰って下痢とかしないんかな…?
「私は対象者の血を頂いた時、それが呪いに汚染されているとわかれば、その汚染の原因となっている魔力を自身の魔力で覆い、そのまま体外に排出する。呪われるのはごめんだからね。…もちろん、君が想像しているような症状に苛まれるようなことはないよ。体表から直接魔力を拡散できるからね」
カーミラ理事長はにっこり笑ってそう言った。
おっと、考えを読まれていたか。
怖い怖い、しかしトイレに籠りっきりになることはないっと…メモメモ。
「話を続けるよ。闇魔法によるいわゆる呪い、これは大きくわけて二種類に分類することができる」
「二種類…?」
「ふむ。まずは至近距離において対象者に対し、闇の魔法を用いて多大な悪影響を与えるもの。例えば相手の体内に呪詛を送り込み、短時間で死に至らしめたり、強力な毒素を発生させて内臓を破壊したりするものなどがある」
(うひゃー、怖えぇ!!そんな魔法があんのかよ!?ドラ〇エでいうザ〇キみたいなもんか…?)
「まあこれらは効果は絶大だけれど、相手の至近距離で長い詠唱が必要になってくるため、あまり実戦向きじゃあないね。どちらかと言えば、…報復や拷問なんかに用いられることが多いんだ」
目を閉じてそう話すカーミラ理事長の声のトーンは低い。
「はぁ…。なんだか聞いてるだけで胃が痛くなりそうです…」
そんな魔法が存在するというだけで、俺はうすら寒い気持ちになる…。
もし大切な家族や友人にそんな魔法を行使されでもしたら…。
俺はブンブンと勢いよく頭を振って気を取り直す。
「そしてもう1つ。これは遠く離れた対象者に対し、継続して小さな悪影響をもたらすもの。目の前で魔法を行使するわけじゃないから、効果は薄い。…薄いんだが、その影響は小さいながらも永続的に消えないものが多いね。最近体調が悪い、頭痛が止まらないなどといった日常の小さなものから、徐々に体力が低下していく、いつの間にか足が動かなくなっていく、そして…」
「ある日突然、魔法がうまく使えなくなる…ですか」
「然り。おそらくクリントン君に掛けられた呪いは、後者である可能性が高い。断定はできないけどね」
「う~ん…」
俺は腕を組んで視線を落とし、考え込む。
うーむ…成程。
やはりそうなると、クリントンは誰かに闇の魔法を用いた呪いを掛けられた、ということか。
…とすると、考えられるのは……。
いやしかし…。
「はぁ。だから忠告したんだけどね、ロクなものじゃあないとさ」
そう言ってカーミラ理事長は肩をすくめた。
ほら言わんこっちゃない。
声には出さないが、不機嫌な表情が如実にそう物語っている。
「…十中八九、後継者問題だろうね。貴族なんていう特殊な家柄ではよく聞く話だろう?つまるところ、優秀な弟を槍玉にあげて跡継ぎ問題に関して不安を煽り、手を汚さずに済むいい方法がある…、なんて言ってうまく丸め込んだんじゃあないかな?…全く。年端のいかない子供を騙して悪事に加担させるなんて、胸糞悪いったらありゃしないね」
「…理事長の話、すごく筋は通っていると思います…。思いますが…」
俺も一応この世界では貴族の端くれ。
成程そういうものかと、理解はできる。
おいそれと納得することはできないが…。
「まあ、気分の悪い話はさておき、問題は呪いの解き方なんだけどだね。これがまた難しい…」
カーミラ理事長は、再び長い脚を机の上に投げ出すと、椅子にもたれかかって頭の後ろで腕を組んだ。
「えっ…?」
俺はハッとして理事長を見た。
おいおい、呪いに精通していると定評のある(勝手な評価だが)カーミラ理事長なら、クリントンの呪いぐらいぽんぽーんと解けるんじゃあないのか?
「そんな意外そうな顔をされても困るな。私はヴァンパイアの体質として呪いを排斥できるだけで、他人に掛けられた呪いを解くことなんて芸当はできないからね」
「そ…そんなイケズ言わないでくださいよぉ…。例えばほら、クリントンの血を全部吸い取って理事長の身体の中で浄化したり濾過したりした後で、もいっかいクリントンの身体の中に戻すとか、なんかそういう裏技的なものがあるんでしょう…?」
「あのなぁ…、君は私のことを茶こしか何かと勘違いしてるんじゃあないだろうな?そんな器用なことができるわけがないだろう!?」
「じゃ…じゃあ理事長は、クリントンが闇の魔法の悪影響でブクブク太ったままでいいとおっしゃるんですか!?」
「いや、あれはただの肥満だと思うけど」
そ…そうか、そりゃそうだ…。
「じゃあ僕が光の魔力作り出し、それを一気にクリントンに流し込んで闇の魔力とぶつけ、双方を打ち消させるとか、そういうのは無理でしょうか?」
カーミラ理事長は、顎に右手を当てて考え込む。
「うーむ…。君のように魔力に対する抵抗力が高ければそんな方法も可能かもしれないが…。だが今のクリントン君では、おそらく体内で相反する2つの魔力の反動に耐えきれず…」
「耐えきれず…?」
「ボンッ!だね。ボンッ!」
カーミラ理事長は目を大きく見開くと、今度は右手の拳をパッと広げた。
ボ…ボンッ!か…。
へっ…汚ねぇ花火だ…なんて展開は勘弁だな…。
「…まあ、そうは言っても、1つ方法が無いではない。そしてその鍵を握っているのは、やはり君なんだよ、レインフォード君?」
「…!」
カーミラ理事長が悪戯っぽくニヤリと笑った。
薄暗い理事長の中、昼休みの終了を告げる澄んだ鐘の音だけが、いつまでも響いていた。
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