第99話 クリントン・アルバトロスに関する記録

——————クリントン・アルバトロス。


 彼の生家であるアルバトロス男爵家は、王都の北西に位置する海に面した小さな領地である。

 豊かな海に面したその土地は、古くから漁業や海運業が発達するとともに、海上交通の要所として多くの人々に親しまれて来た場所でもある。


 そんな場所を統治するのが、アルバトロス男爵家である。

 同家の歴代当主たちは皆穏やかで優しい性格の持ち主であり、領民から徴収する税などは必要最低限の他は極力低く抑えるとともに、集めた資金についても、領内の公共施設の維持管理や老朽化した住宅の整備、領民の福利厚生などに使われていた。


 またアルバトロス家は、古くから質素・倹約を旨とし、圧政などとは無縁の、領民のことを第一に考えた統治を行っていて、多くの人々から慕われていた。

 そんなアルバトロス家のことを、彼らは親しみと尊敬の念を込め“海神の加護を授かりし家”などと呼び、慎ましくも幸せな毎日を送っていたという。


 彼、クリントンは、そんなアルバトロス男爵家を治める、トルーマン・アルバトロスと母ヒラリーの次男としてこの世に生を受けた。


 2歳年上の兄セオドアとともに、溢れんばかりの両親からの愛情を一身に受けて育った彼は、家臣とともに身を粉にして日々領地経営に励む父の背中や、常に笑顔を絶やさない慈愛に満ちた母の姿をその目に焼き付けながら育っていった。


「よく聞きなさいセオドア、クリントン。勘違いしている者も多いが、貴族というものは、生まれもった身分や財産の多寡でその価値が決まるものではない。たとえ貧しくとも、たとえ自らが空腹であっても、民たちの笑顔のために働くという強い意志を貫くことこそが、真の貴族の有り様なのだ。なればこそ民たちも、我々に報いようとそれぞれが一生懸命に頑張ってくれる。領民と共に生き、領民と共に発展してゆく、それが我々アルバトロス家に与えられた“ノブレス・オブリージュ”という天命なのだ」


 幼き日、水平線の彼方に沈む夕日の幻想的な光景の中。

 父に語り聞かされたその言葉を、クリントンは片時も忘れたことはない。


 またアルバトロス家の人間は、代々王国内でも有数の水属性魔法の使い手としても名を馳せていた。

 父や兄と同じく、自分自身にも水の魔力に適性があると分かった時の興奮と喜びを、彼は生涯忘れることはないだろう。


 “早くいちにんまえになり、父さまや兄さまを助け、このアルバトロスだんしゃくりょうを、もっとみんなの笑がおでいっぱいにしたいです。 クリントン・アルバトロス”


 記念すべきその日、幼いながらに羊皮紙に書き記した拙い決意表明。

 だが両親や兄は、そんなクリントン少年の優しい気持ちを心から喜んだ。


 “さすが僕の弟だ!この羊皮紙は宝物だね!”

 兄セオドアはクリントン少年を抱きしめた。

 兄はとても優しく、そして温かかった。


 クリントン少年は心に誓った。

 王国のため、領民のため、そして…熱い想いを抱いた父、慈愛に満ちた母、聡明で誰より優しい兄…こんなにも素晴らしい家族のため、自分も精一杯努力し、少しでもアルバトロス家の力となることを。


 ある時、食べることが何より楽しく感じた彼は、少々体型が丸くなっていき、現在のクリントンを形作る原形となったが、そこはご愛嬌。


 クリントン少年は、何事にも前向きかつ積極的に、精一杯努力する少年だった。

 貴族として必要な一般教養を始め、テーブルマナーから渉外対応術に至るまで、様々な事柄を貪欲に学んだ。

 また、彼は必死に修練を積んだ。

 剣術、槍術、体術の他、特に自身の水魔法の適性を活かして父や兄から魔法を学ぶと、徐々にその頭角を顕した。


 歴代アルバトロス随一と言われた父の水魔法、そんな父に並び立つ程の才能に恵まれた兄。

 だがクリントン少年は、持って生まれた才能に溺れることなく、日々血の滲むような努力を誰よりも繰り返し、幼いながらその小さな身体には見合わないような、強力な魔法を使いこなすまでに成長した。


 両親や兄、またアルバトロス家に仕える家臣たちも彼を讃えた。

 だがそれは決して魔法の力やその才能にではない。

 クリントン少年もまたアルバトロス家の人間らしく、“誰かのために一生懸命になれる才能”に溢れていたからこそだった。


 “この力を、魔法を、民や両親そして兄のために使うんだ!僕が頑張れば頑張るほど、きっとアルバトロス領は栄えていくんだ!”


 幼き日の遠き誓いを、クリントン少年はより強固なものとしていった。


 この時、そこにいた誰もが、アルバトロス領のより一層の発展と、未来永劫の栄光を信じていた。

 クリントン少年自身も、そんな幸せな日々が永遠に続くと信じて疑わなかった。


 …だが、運命の歯車は狂い出す。

 突然、何の前触れもなく。


 ※※


「父上…父上!?う…うわああああ!!父上ー!!」


 程なくして、父であるトルーマン・アルバトロスは病に伏し、間も無くこの世を去ってしまった。


 どんなに名医と呼ばれる医者に診せても、出てくる言葉は同じだった。

 “原因がわからない上に、…申し訳ありませんが、これはもはや、手の施しようがありません…”


 クリントン少年は泣いた。

 母や兄とともにこれ以上ない程に号泣した。


 これだけみんなから愛されていた領主様が何故…。

 領民たちも、早すぎるその死を心から悼んだ。


 だが当主が亡くなっても、アルバトロス家に課せられた領地運営という責務が無くなるわけではなく、いつまでも悲嘆に暮れているわけにはいかなかった。


 母ヒラリーは、領民に心配させまいと気丈に振る舞っていたが、実際の領地経営に関してはそれ程精通しているわけではなく、また次期領主の兄セオドアも、本格的な運営手法を学ぶ前に父が亡くなってしまった。

 クリントン少年に関しては、言わずもがなだ。


 そんなある日のことだった。


 アルバトロス家に古くから仕える古参の家臣、カール・プロイセンが1人の魔法使いを連れてきた。

 カール曰く、リヒャルト・エスターライヒと名乗るその魔法使いは、火・風・土の3種の魔力属性を自在に操ることができる類稀なる魔法使いで、さらに魔法だけでなく、政治や経済、ひいては領地経営にも精通した王国屈指の人材であるとのこと。


 皆が全幅の信頼性を寄せていた最古参カール・プロイセンの言葉、そして父の早すぎる死というあまりに悲しい出来事も相まって、アルバトロス家は、リヒャルト・エスターライヒという男を兄セオドアが正式な領主に就任するまでの領主補佐官として迎えることになった。


 …だがこれ以降、アルバトロス男爵領は徐々に変貌してゆく。


 低く抑えられていた税率は倍近くまで引き上げられ、途端に領民の生活は苦しくなった。

 税の支払いが滞れば、強制的に土地や家財道具を召し上げられ、低価格での売却を余儀なくされた。

 それでも足りなければ老若男女問わず、領主補佐官リヒャルトの命令で鞭打ち刑が行われたり、無理矢理過酷な遠洋漁業に連れていかれたり、そして最後には借金奴隷に落とされるなどした。


 程なくして、あの温かな笑顔に溢れていたアルバトロス男爵領は、飢餓や貧困、そしてやり場のない怒りと悲しみに満ちた地獄へと様変わりしていった。


 —————これはおかしい。


 いかに信頼できる家臣や、母や兄が了承したとはいえ、このあまりに行き過ぎたリヒャルトの苛烈な統治はおかしい、いや異常とさえ言えるだろう。


 そう考えたクリントン少年は、父や兄をも凌駕する、まさに水神の加護を受けたかの如き水魔法を用い、独りリヒャルトの打倒を画策する。

 だがその時、思いもよらかなった事態が、突然彼を襲った。


「ま…魔法が…、弱くなってる…?」


 何度魔法を行使しても、クリントン少年の魔法は、何故か従前のような威力を発揮できなくなってしまっていた。


「な…何故だ…?詠唱を間違えてはいないのに、魔法がうまく発動しない…。そんなばかな…」


 母や兄をはじめ様々な人間にも相談したが、その原因は誰にもわからず、クリントン少年の魔法が以前のように戻ることはなかった。


 そしてさらなる悲劇がクリントン少年を襲う。

 その日を境に、あれ程優しかった兄セオドアの態度が急速に冷たくなっていったのだ。


「クリントン…。お前にはほとほと愛想が尽きた…。私はリヒャルトの助言で、魔法による力の統治を確固たるものとするため、来年王都魔法学校へ入学し、帰領後には正式な領主となるだろう。その際には、魔法が使えず必要のなくなったお前はこのアルバトロス男爵家から追放する」


「そ…そんな!?…兄上、何故ですか兄上!!」


「黙れ。語り聞かせる言葉などない。私が戻るまで、せいぜい独りで生きていけるよう、準備を進めておくことだ」


 そればかりか兄セオドアは、これまで共に支え合っていた領民にまで牙を剝き始めた。

 命まで奪うことはなかったが、リヒャルトの政治手法を倣うように、自ら積極的に領内の至る所へ足を運んでは、領民に対する理不尽な処罰を繰り返した。


「酷い…。トルーマン様がいらっしゃった時は、こんなことはなかったのに…」


「黙れ。私やリヒャルトの統治が気に入らねば、早々にこのアルバトロス領から立ち去るがいい。殺さないだけ感謝してほしいものだな」


 そんな兄の姿を陰から見ていたクリントン少年は、まるで頭を鈍器で殴られたかのごとく衝撃を受け、秘かに涙した。


 “あの優しかった兄上は一体どこへ…?”


 そして翌年、兄セオドアは宣言どおり王都魔法学校へと入学していった。

 だが兄がいなくなった後も、リヒャルトの領民に対する仕打ちは一向に変わらなかった。

 いや、変わらないというよりもむしろ酷くなる一方で“他国からの領地防衛”を名目に、ますます税率は跳ね上がり、領民の生活は日々苦しくなってゆくばかり。


 そしてクリントン少年は決意する。


 “僕もいずれ必ず王都魔法学校へ入学し、失った魔法を取り戻す。そしてリヒャルトあいつをこのアルバトロス領から追放し、兄上の心を取り戻すんだ…!”

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