第53話 その正体は

 ポタッ…ポタッ…。


 滴り落ちる真っ赤な液体。

 ガラテアの身体から流れ出る深紅の血。

 腰の辺りから肩口にかけて、まるで鋭利な刃物で切り裂かれたような傷口。


「くっ…!こ…これは…」


 俺の叫び声に咄嗟に反応し、後ろに飛び退いたガラテア。

 多くの出血が見られるものの、かろうじて致命傷を避けることができたようだ。


「ぐひっ…ぐひひひひっ…外したか…。まあいい…いずれ死ぬのは同じこと…早い遅いかだけの話…」


 そこに立っていたのは、紛れもなくピケットだった。

 さっきまできっちりガラテアに押さえ込まれていたはずなのに。


 そして。


 グググ…。

 ビクンビクン!

 ググ…ググググググ…!

 ビクンビクンビクン!!


 ニヤニヤと笑っていたピケットの身体が不気味に蠢きはじめ、一瞬収縮したかと思いきや、その直後、大きく拡張を始めたのだ。


 ベシャッ!

 ブシュゥ!!


「うぐっ…!!…うくく…くはははっ!…もはや…!汚らしい…人間の…皮を…ぐうっ!!かぶる必要など…なくなったな!!私…いや…吾輩は…うぎぎぎ…!!…ただ…お前たちを蹂躙する…のみ…!!」


 身体中の穴という穴から、変な液体や時には肉片のような物体Xを撒き散らすピケット。

 …いや、これはもはやと呼称すべきか。


 あまりにもショッキングな光景に、その場の誰もが顔を青くする。

 嘔吐する者、卒倒する者も続出だ。


 ひえぇ…俺も気持ち悪すぎて吐きそうだよぉ…。

 なんか最近、よくこういう目に遭うなあ(涙)

 早く家に帰ってエリーと花壇のお手入れしたい…。


「父上…、何か危険な雰囲気をビンビン感じます。王や宰相、その他の貴族の方々を一箇所に集めてお守りください。最悪王様を連れて脱出することも頭の片隅に置いておいてください。…あと怪我をしたガラテアさんの手当もお願いします。事が落ち着けば僕がみますので」


 しかしながら、ここでとち狂ったピケットだったものをほったらかしにするわけにはいかない。

 百害あって一利なし、という言葉がこれ程ぴったり当てはまる例なんて他にないだろう。

 俺は今すぐにでもお家に帰りたい気持ちを抑え、マッチョ父に防衛に徹するようお願いする。


「う…うむ、わかった。だがレイン、くれぐれも気を付けろよ。こいつはあまりにも異常だ…」


「承知しております…」


 マッチョ父はそう言うと、陪席の貴族たちを王のいる玉座の方へと誘導し始める。

 セドリック宰相やエドワードもいるので、こちらは心配なさそうだ。


 俺は、なおも奇声を上げながら肥大し続けるピケットだったものに対峙する。


 そんな折だった。


「おやおや…。またおかしなことになっちまったねぇ?こいつぁヤバイ臭いがプンプンするよ…。豚みてぇな奴とは思ってたが、そもそも人間じゃあなかったとは思わなかったねぇ」


 ゆっくりと俺の右側に立ったのはイザベルだった。

 相変わらず口が悪いが、その身体はうっすらと炎に覆われており、既に臨戦態勢を取っている。

 そしてもう1人。


「ピケット…いや、最初からピケットではなかったのだろうな。ふっ…私は全てを民に捧げると誓った王国騎士なれど、今日ばかりは唯1人の剣士として、我が祖父の受けた痛みや苦しみ、存分に思い知らせてくれるぞ!」


 俺の左側ですらりと剣を抜いて構えるのは、爺ちゃん大好き侍のヴィンセントだった。

 こちらからは、炎さえ凍り付くような魔力を感じる。

 ハクション!

 さらに。


『グルルルル…』


 鋭い牙を剥き、俺の前に立ったのはシロだ。

 さっきまで涎を垂らして寝ていたが、どうやらシロも何かただならぬ雰囲気を感じ取ったらしい。

 無論、既にシロの周りにも螺旋状の気流が渦巻いており、準備万端といったところ。


「…なんだかパーティを組んでるみたいで、新鮮な気分です」


 自分の左右や前に立ってくれる頼もしい人たち、まあシロはフェンリルだが。

 我ながら、こんな異常事態であるにもかかわらず、ついはにかんでしまう。


「あっはっはっはっ!こんな糞みたいな状況でそんなことが言えるあんたは、やっぱ只者じゃあないね!ハンサム君もいるし、いやあ、お姉さんてば嬉しいねぇ!」


「ふふっ、私こそ。レインは元より、かの有名なイザベル殿とともに戦えるなど、光栄の至り。よろしくお願いしたい」


 ヴィンセントは左手で前髪をかき上げ、爽やかスマイルを飛ばす。


 おお?

 意外に息が合いそうな感じだな、この2人。

 性格が正反対っぽいから、それが逆にいいのかも。


『ふふ…ふはははははは!どうもお待たせして申し訳ありませんでしたね、皆様…。して、末期の語り合いは、もう十分堪能されましたかな…?』


 うおっと、コイツを忘れてた。

 あらためてピケットだったものに視線をやると…こりゃでかい!

 そしてごめん、めちゃくちゃ気持ち悪い!


 ピケットだったものの肉体は縦にも横にも肥大化し、高さはおよそ3~4メートル、横幅も2メートル程度。

 驚くべきことに、その皮膚は黄緑色に変色するとともに、白目と黒目が逆転したような、不愉快かつおぞましい顔つきになっている。


 また、さっきまで着ていたキングサイズの高級そうな装いは、気合を入れた北斗〇拳伝承者のように見事に弾け飛び、かろうじて黒の半ズボンを穿いているような形に。

 ホッ、汚らしい部分が露出しなくてよかった…。


『久々にこの姿に戻りましたが…少々やり過ぎてしまうかもしれませんなぁ…。どうぞご勘弁を』


 肉体の変化に酔いしれるピケットだったもの。

 丁寧な物言いが逆に腹立たしい。

 だがその口調とは裏腹に、ピケットだったものは、自分の身体の臭いをくんくん嗅ぎ回ったり、ズボンの中に手を突っ込んでごそごそ動いてニヤニヤしたりと、いかにも頭は悪そうだ。


「そうか…お前はピケットではなかったのだな。奴もお前のようなおぞましい者に取って代わられたとあっては、浮かばれんな…」


 玉座に座ったまま、王は汚いものを見るような目で、冷たくそう言い放つ。


『ふふふふふ…。吾輩を前にしてもそのように虚勢を張れる姿勢だけは褒めてあげましょう。ご褒美として、この中の誰よりも惨たらしくうつくしくゆっくりと時間を掛けて喰い殺してあげましょうね?…あ、それと。申し遅れましたが吾輩アバドンと申します。ごくごく短時間であろうかと思いますが、以後お見知りおきを』


「アバドン…聞かん名だ。いかにも頭が弱そうに見えるが、お前はカエルか何かの一種か?だとすれば、ここは人間の国の高貴な場所だ。さっさとそこいらの沼に帰ることを勧めるがな」


 王は手でシッシッと払いのけるような仕草をする。


『うふふふっ!この高位悪魔である吾輩に向かって言うではありませんか…?しかしながら、吾輩は自らのことを語る気持ちはございません。あなた方も、これから食べる蟻や芋虫に対してわざわざ出自を語ることはありませんでしょう?まあ名前だけでも知っていただければ結構ですとも』


 アバドンと名乗った奴が笑う度に、肥大した身体中の脂肪がぶるんぶるんと不快に動く。

 そんな様子を見ながら、王は肩で大きくため息をつき、ゆっくりと首を横に振る。


「成程。アバドンなどと名乗るお前は、ある程度の位に就く悪魔なのだな?だとすると、お前の他にも上位下位問わず、まだ汚らしい悪魔が存在するという話か。まあ、今はこの程度分かれば十分だ。多くの情報提供感謝するぞ?」


 王の言葉に悪魔はハッとする。

 自分の言葉から色々なことを見透かされ、意外だったらしい。


(しかしアバドン…アバドンか。女神○生とかペル○ナとかで出てきてたよな…。なんとなくこないだの変態黒山羊さんとは雰囲気が違うが…)


「最後に1つ言っておくが…。ここにいる者は蟻や芋虫は多分食わんぞ?ピケットとしての立ち振る舞いもお粗末であったしな。ところでお前…周りの者から、お前は頭が悪いから黙っていろ!とか言われたりしないか?」


『むっ!?むぎぎぎ…!!ぎ…ぎざまぁ…言わせておけば調子に乗りおって…。吾輩は賢い…賢いんだ!帝国の支配基盤をより強固なものにするため、王国貴族を利用することを思い付いたのは吾輩なのだぞ!?』


「ほう、お前たちは帝国の周辺で糸を引いているわけか。警戒対象が絞れて助かった、重ねて礼を言おう」


『むがーーー!!』


 アバドンは額に青筋を立て、恐ろしい形相で王を睨みつけながら地団駄を踏む。

 やっぱり頭がちょっとアレなんだな…。

 

『わ…吾輩は…吾輩はぁ…!』


 怒りに震えるアバドン。

 黄緑色の見るに耐えないぶよんぶよんの肉が、ぶるぶると揺れる。


『…吾輩は間違ってなどいない!!…ぐひっ!ぐひゃひゃひゃひゃひゃぁ!!貴様等を1人残らず喰い殺し、さらに外に出て全員を喰い殺し、この国を支配するのだぁ!!』


 アバドンはそう叫ぶと、王が座る玉座へ向かって猛然と走り出す。

 

 もはや最初の丁寧さはどこへやら。

 全員喰っちゃったら支配も何もあったもんじゃないだろうに。

 やっぱ頭が…。


 その時。


 ブオフゥ…!!


 アバドンの足元から、強烈な紅い火柱が上がった。


 ぅあっちぃっ!!

 このすんごい熱波は…!


『むぐぅ…!?』


 思わず立ち止まるアバドン。

 いや、立ち止まらざるを得なかったというべきか。


「どこへ行こうってんだい?そっから先は立ち入り禁止さね」


 立ちはだかったのはイザベルだった。


『ぐひひひひ…美味そうな女…。吾輩に可愛がってほしいのですかな…?』


 にちゃあ…という効果音が聞こえそうなくらい、下卑た笑いを貼り付けるアバドン。

 おもむろにイザベルの方へ歩き出そうとした。

 

 …しかし。

 アバドンの足は前に出ない。


『んんん…これは…?』


 自分の足元を確かめるアバドン。

 その視界に入ってきたのは、極度の冷気を放つ氷の結晶だった。


 あたかも高価な美術品であるかのように美しく構築された氷塊は、アバドンの足の裏から大腿部の辺りまでを氷漬けにしていた。


「醜い悪魔め。我がアイスソードの威力、その身をもって知るがいい」


 自らアイスソードと語った長剣の剣先を、アバドンの喉元へ向けて構えたヴィンセント。

 

 頼むから、殺されて奪い取られないでよ?

 ところであの剣、どっかで見たことがあるような気がしないでもないが…気のせいだよね?


「くらいな!!」


 ドズゥ…!


『うむっ…!?』


 紅蓮の炎をまとったイザベルから繰り出された渾身のパンチ。

 その一撃がアバドンの腹部に刺さるや、恐ろしい程の炎が噴き出し、全身へと燃え広がってゆく。


 …俺がスラムでイザベルと闘ったとき、あの攻撃をまともにくらっていたらあんな風になったのかと思うと、背筋が寒くなるよ。


『アオーーーーーン!!』


 ズバッ!

 ズババッ!!


 ベシャア…!


 続いて天井近くまで飛び上がったシロが、アバドンに向かって風の魔法を行使した。

 放たれたのは、切れ味凄まじい真空の刃。


『ぬぐっ…!?』


 アバドンの両腕が、二の腕付近から鈍い音を立ててその場に落ちる。

 床の腕に一瞬目を奪われたアバドンが、視線を前に戻したその時。


「止めだ!」


 ヒュン!


 軽やかに宙を舞ったヴィンセント。

 シロの風魔法による攻撃から間隙なく放たれた、目にも止まらぬ横一条の剣閃。

 

 ヴィンセントは優雅に着地すると、剣を一振りし、そのまま鞘に収める。


 キィン…。


『………』


 ゴト…。

 

 ズシーン…!!


 納刀の響きが合図であったかのように、ピケットの首が床に転がり落ちた。

 時間差で、黄緑色の巨体も轟音とともにに沈む。

 

 すげえなヴィンセント!

 一瞬で首がとれちゃったよ!


「おお…やったぞ!!」


「さすがは氷結王子だ!」


「いや、冒険者イザベルの一撃があればこそではないか!!」


「あ…あの白い犬、魔法を使っていなかったか?」


 一様に沸き立つ王国貴族たち。

 怪物の討伐に、王を含め、全員が歓喜していた。

 ヴィンセントとハイタッチなんかしつつ、俺たちも喜んでいた。

 …けど、油断もしてた…。

 

「あぶない!!」


 耳をつんざくような誰かの叫び声が、玉座の間に響き渡った。

 

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