第41話 とある女冒険者の話
「…ま…まさか、これは治癒の光…!?…アタシの…身体が…動かなかった脚が…!!?」
俺が放った光の治癒魔法。
白く輝く光は、やがて静かに消えてゆく。
全てを癒して。
カラン…。
女性は驚きのあまり、右手の杖を落とした。
だがすぐにハッとする。
ガバ!
女性はむしり取るように、勢いよく右目の眼帯を解いた。
「は…ははは…。嘘だろ…これは夢かい…?…潰されちまった…アタシの右目が…」
女性の目から流れ落ちる一筋の涙。
色々と思う所があったのだろう。
「…どうでしょう?全快したあなたの力…スラムの方々と一緒に、正しく使ってみませんか?」
この女性は間違いなく強い。
さっきの威圧からしてもそれはよくわかっている。
きっと何らかの理由で肉体を損傷し、第一線を退いたのだろう。
加えて秘めたる魔力の強さ。
エルフの村長エル程ではないが、闘いを重ねるうちに俺もなんとなく、相手の持つ魔力の強さがわかるようになってきていた。
「……」
訪れる沈黙。
女性はしばらくの間、無言で俺の顔を見つめる。
しかし。
ス————ハ————…。
ス————ハ————…。
女性は何かを確かめるように、ゆっくりと深呼吸を始めたかと思うと、両腕を広げて目を閉じ、小さな声で言葉を紡ぎ始めた。
その瞬間、空気が変わった。
(…これは、魔法詠唱か…)
「…我は喚ぶ…地の底に揺蕩う紅蓮…原初の炎は…やがて悉くを灰塵と化す灼熱へとその姿を変えん…」
ゴォオ!!
女性の両手に小さな火の玉が生まれたかと思うと、それは瞬く間に巨大な炎へと変化し、膨大な熱量を撒き散らしながら、激しく燃え盛る。
女性は静かにその口を開く。
「…まさかアタシの人生で、もう一度この魔法を扱える日が来ようとは思いもしなかったよ…」
女性の両手でゆらめく、美しくさえ見える炎の塊。
周囲の温度もぐんぐん上昇してゆく。
(あっちぃな…。サウナどころの話じゃないな、これは)
ハンカチで汗を拭う俺。
女性はさらに詠唱を紡ぐ。
「…されど…荒ぶる焦熱は我が支配の下に…此の身に纏いて
ボオオォォォォォ!!
ブォフゥゥ!!
巨大な炎は、まるで生命を持っているかの如く形を変え、女性の四肢に巻きついてゆく。
「おお…すごい…。火が…火がまるで生きてるみたいです…」
俺は素直にその魔法を称賛した。
だが女性は、両腕にまとった炎をじっと見つめたまま動かない。
「……」
「…何か訳あり、なんですね?」
目を潰されて云々言ってたし、そりゃあ訳ありで当然なのだが。
しばらくの沈黙の後、やがて女性は重い口を開いた。
「…古い話さ…。かつて、とある女冒険者がいてねぇ…信頼できる仲間たちと一緒に冒険を重ね、日々楽しく暮らしていたんだとさ…」
女性の視線は、どこか遠くを見ているようだった。
「…」
「冒険者稼業は順調だった…金も稼いだし、名声も得たさ…けどそうなってくると…」
「…人間、欲が出てまうっちゅう話か…」
俺の後ろで炎の暑さに耐えつつ、額の汗を拭いながらユリがそう言った。
「…ふっ…そんな時さ。仲間の1人が、とある国にある、凶悪で有名なダンジョンに潜ろうと言い出した。己の力を過信したんだろうねぇ。パーティのリーダーを務めていた女冒険者は反対したが、他の仲間も賛同しちまって、どうしても行かざるを得なくなった…」
(ダンジョン…。数多くの罠や恐ろしい魔獣たちが住むと言われる巨大な迷宮…)
女性は手の平を上にして右手を上げ、そこに小さな火の玉を4つ灯した。
「…結果は惨憺たるもんさ…。酷い罠に掛かったり、恐ろしい魔獣に襲われたりしてね…1人…またひとりと消えていき…あえなくパーティは全滅さ…」
火の玉は、その言葉に合わせて1つ、またひとつと消えていき、最後には全て消失てしまった。
だが、最後の1つだけは、一度消えたかと思うと再び、小さく、弱々しく揺らめきはじめた。
「けどねぇ…神様ってのは残酷さ。…大事な仲間を止めることも…護ることもできなかった女冒険者だけが、目や脚を潰されながらも、なぜだか生き残っちまってねぇ…」
女性が、ふっ…と息を吹きかけると、小さな火の玉は音もなく霧散し、空へと消えていく。
「…それからさ。毎晩毎晩、悪夢を見るようになったのは…。夢ん中で死んじまった仲間に責め続けられるんだよ。…なんでお前だけが…お前のせいだ…!お前も死ね!!ってねぇ…」
「…あんた…」
「こんな魔法が使えても…仲間の命ひとつ、護れやしないのにさ…」
ユリが小さく呟き、女性は力なく笑う。
「ふっ…そして堕ちに堕ちた結果、女冒険者は暗いスラムへと流れ着き…色んな理由で落ち延びてきた奴らと一緒に、日々暮らしてるんだとさ…。つまんない話だろ…?」
女性は俺たちを見ながら肩をすくめた。
…どうやらこの女性は心に深い傷を負っているようだ。
「自分だけが生き残った」という事実を受け入れられず、自暴自棄になっているのだろう。
だが、これだけ才能に溢れた魔法使いが、こんな場所で朽ち果てていくのはあまりに惜しい…。
「…悪夢、ですか…。かつての仲間たちが、その女冒険者に死ねと…?ふーむ。けれど、亡くなった方たちは、本当にそう思ってらっしゃるんでしょうか?」
俺は腕を組み、首を傾げて目線を上へ。
そして、敢えて挑発するような口調で、女性へ言葉を投げかける。
「あん…?」
途端に女性の目が鋭くなる。
「最期はどうあれ、話を聞く限り、信頼し合ったパーティだったのでしょう?…どうも僕には、仲間たちが女冒険者を責める、というよりも…」
小刻みに震えながら俺を睨みつける女性の表情が、見る見る険しくなってゆく。
「…罪悪感に押し潰されないよう、女冒険者自らが、仲間たちを悪霊に仕立て上げている気がしてなりませんけどね」
女性はきつく歯を食いしばり、瞳に暗い光を宿した。
その場に強烈な殺気が満ちてくる。
「知った風な口を…!お前などに何がわかるってんだい…!!」
ゴォオ!!
女性がまとった炎は、大きくその勢いを増して燃え上がる。
「いーえ。僕はなんにもわかりませんよ?あなたに会ったのは今日が初めてですし、当然、仲間の方々に会ったこともありませんしね。けれど…」
俺はじっと女性を見つめる。
女性もじっと俺を見つめる。
「亡くなった仲間がどう思っているのか…そんなことわかりきってるくせに、
ポタッ…。
固唾を飲んで状況を見守るユリ。
その額から頬へ、そして頬から顎を伝って地面に流れ落ちた汗。
その瞬間だった。
「抜かせぇ!ガキがぁ!!」
巨大な炎が立ち昇る。
女性は凄まじい勢いで地面を蹴り、猛然と俺の方へ迫ってくる。
極限まで強化した右腕に、全ての炎を集中させて。
「うおりゃああああああ!!」
常人には目で捉えることすら不可能な一撃。
渾身の右ストレートが繰り出された。
バシィィィィィィン!!
ピシッ…バリバリ!
バコォォォン!!
「なん…だと…?」
俺は女性の強烈な右ストレートを魔力で強化した左の手の平で受け止めた。
本来であれば、右腕の炎が相手を消し炭と変えてしまうのだろうが、燃え盛る炎も、俺の無属性魔力によりかき消えた。
凄まじいその圧力で、俺の足元は、古くなった舗装を突き破り、地面にめり込む。
(強烈…!!ブリヤート族のバゼル族長とおんなじぐらい強いんじゃないの、この人?)
全力の一撃を止められ、ほぼ放心状態の女性。
俺は女性の拳を掴んだ左手を離すと、今度はすぐに相手の手首を握り、そのまま左手を引きつつ、さらに右手を伸ばして襟首を掴み、最後に身体を返して懐に滑り込むと、力任せに一気に前へ引き寄せた。
ズダァン!!
「ぅぐぁっ!?」
俺が軸となり、縦に回転して背中からまともに地面に叩きつけられた女性。
もはや身動きは取れない。
そして今度は俺の方が、火の魔力を身体中に練り込むとともに、自身を無属性魔力で強化しつつ、右手に全力の炎を集中させた。
静かに燃え上がる俺の炎を見た女性は絶句する。
「あ…青い炎…青い炎だって…?は…ははは…。こいつぁ…桁違いすぎるだろ…」
「えいっ」
俺はそのまま拳を振り下ろした。
ボッゴオオオォォォォォォン!!!
巻き起こる爆発。
全てを吹き飛ばすような爆風。
事実、スラム街の古い建物や簡易のテントなどはそのあまりの勢いに消失してゆく。
そして。
「ゲホッ!ゴホッ!ごっつい砂埃…やっと晴れてきたけど…て、うえええ!?」
ユリは驚愕した。
その視界には、巨大なクレーターがポッカリと口を開けていたからだ。
その深いクレーターの中心部に人影が2つ。
立っているのはレイン、大の字で倒れているのは女性だった。
「ご…ごめんなさい。ちょこっと地面に穴を開けるだけのつもりだったんですけど…ちょっとやり過ぎてしまいましたね」
俺は指で頬を掻きつつ、周りを見ながらそう呟いた。
仰向けに倒れたままの女性は、しばらく間を置いた後、力なく言葉を発する。
「…なんで…殺さないんだい…」
俺はフッと笑って肩をすくめた。
「…過去に囚われた女冒険者の亡霊は、たった今、僕がこの手で焼き払いました。ここにいるのは、スラムの人たちの生活を必死に支えているただの女性ですよ?どうして殺す必要があるんです?」
女性の両眼から堰を切ったように溢れ出す涙。
止めどなく、次から次へと流れ続ける涙が地面を濡らしてゆく。
「アタシは…アタシだけが…のうのうと…生き…てても…生きてても…いいの…かねぇ…」
嗚咽で途切れ途切れになる言葉。
女性はこれまで抱えていたものを絞り出すかのように、必死に言葉をつなぐ。
「…僕のようなちびっ子に、そんな小難しいこと聞かれても困りますよ…。でも」
ふと空を見上げる。
さっきまでの熱さが、まるで嘘だったかのように、吹き抜ける風は優しく頬をくすぐる。
「仲間の方々は、今なんとおっしゃってますか?」
天を仰ぎながら俺は質問する。
女性は左手で、泣き腫らした両眼を押さえた。
「…なんかさ、ゲラゲラ笑ってるよ。…何ガキに負けてんだよバーカ…さっさと立て…立って俺たちの分まで楽しめよ……だってさ…」
そろそろお昼かぁ。
今日もいい天気だ。
雲ひとつ無く澄み切った青空は、どこまでも、どこまでも遠くまで広がっていた。
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