第40話 どうも、エチゼンヤ商会採用担当です
「そ…そんな…ばかな…一瞬…だと…?」
うちのシロちゃんにきっちりと押さえ込まれたまま、男は首だけをキョロキョロと動かして呟いた。
なぜかって?
そりゃ俺とユリを取り囲んでいたスラムの住人たちが、全員のびてしまっているからじゃあないかな?
「レイン君…。…やっぱ君ってすごいんやなぁ…」
ユリは目の前の光景に唖然としながらも、胸に手を当ててほっとした様子だ。
まあもともと棒や角材や鍋などを持ってただけの、ただの一般ピーポーだしね。
身体も不健康そうだったし。
軽い無属性魔力で威圧してみたら、効果てきめん。
全員まとめてお休みなさいしてしまったというわけだ。
「あの…、どうです?そろそろお話していただけそうですか?」
俺はシロの下にいる男に再び話し掛けた。
シロは既に飽きたのか、男の上ですやすやと寝息を立ててしまっている。
口から垂らした涎が男の顔をベトベトに濡らしているが、串焼きの夢でも見ているのだろうか。
「くそっ…なんなんだよお前!?魔法使いだったのか…?…け、けどよ…。へっへっへっ…。勝ったと思うのは、ちょこっと早いんじゃねえか…?」
男はまだ諦めておらず、不敵な笑みを浮かべながら、スラムの奥へと視線を送る。
一応言っておくが、涎まみれの顔で。
するとそこへ遠くから足音が聞こえてきた。
カツ…カツ…カツ…。
やがて姿を現した足音の主に、俺は少し驚く。
現れたのは身長180センチぐらいの長身で、スラリとした細身の体型。
大胆に前を開けた真っ黒い大きなコートに、これまた黒色のズボンを着用。
そして腰まで届こうかという紫色の髪を、後ろで1つに束ねていた。
また右足が不自由なのか杖をついており、加えてその右目については眼帯が施されていた。
そして何より…、新しく現れた人物は、20代後半と思しき女性だったのだ。
「一体なんの騒ぎだい?おちおち昼寝もできやしないじゃないか…」
女性は後頭部をポリポリと掻きつつ、辺りを見回しながら顔を顰めた。
「あ!こいつ…!?レイン君、こいつがスーケを怪我させた張本人やで!ほんであん時、他の人間に色々指示出しとった元締めみたいな奴や!!」
ユリは現れた女性を指差して叫んだ。
「お…お頭…!!…面目ねぇ…。こいつらエチゼンヤ商会の奴らで…。お…俺ぁこのでっけえ犬に捕まっちまって…うわっ口んなかに涎が…ぺっぺっ!」
男はシロの下から叫ぶ。
一方、お頭と呼ばれた女性は、そう叫ぶ男から視線を外すと、俺やユリそしてシロを一瞥した。
「成程…。こりゃあんたたちの手には余るだろうねぇ…。ふふふ…あんたの上の白くて可愛いやつ、少なくとも犬じゃあないよ?んん…フォレストウルフにしちゃあ、ちと大きい気もするけどねぇ…」
女性はシロから視線を外すと、今度は俺たちの方へと向き直った。
「小さいボクのことは知らないけど、あんたはこないだのユリ・エチゼンヤだね?ふふふ、先日はどうも。あの時怪我をした男は元気にしてるかい?」
俺はまた驚いた。
目の前の女性はいとも簡単に、エチゼンヤ商会の荷馬車襲撃を認めたのだ。
にっこりとユリに笑いかけているあたり、全く悪びれた様子はないが。
「へぇ~…。うちらを襲ったこと認めるんやな…?ほなら話は早いわ。まずはこないだの件、きっちり詫び入れてもらおか!こっちは怪我人まで出とるんやさかいな!!」
ユリはそう言って思い切り女性を睨みつける。
まあ厳密に言うと、怪我人は俺が治したからもういないんだけどね。
…だが次の瞬間ユリは突然、胸をギュッ!と締め付けられるような感覚と、頭のてっぺんからつま先まで強烈な寒気を感じた。
何か恐ろしいものを見て総毛立ったような、そんな感覚。
「…ひうっ…?」
ユリは真っ青な顔をして、その場で驚きすくみあがった。
それもそのはず。
目の前の女性が、俺たちに対して鋭く殺気を込めた威圧を飛ばしてきたからだ。
「…おやぁ?そっちのボクは平気なのかい?…となると…こっちの可愛い魔獣の飼主さんは、ボクの方なのかねぇ?」
女性は笑顔で俺に話し掛けてくる。
「えぇ、そのとおりです」
俺が頷いてそう答えると、女性はゆっくりと周りを見渡し、倒れているスラムの住人たちへ目をやると、ニヤリと笑いながら口を開いた。
「…見事なもんだねぇ。誰も怪我ひとつしてないみたいじゃないか。そっちの魔獣の力かい?…ところで、今日はここへ何をしに来たんだい?その娘っ子の言うとおり、アタシらんとこにお礼参りにでも来たのかねぇ?」
「…申し訳ありません。その話をする前に、どうかユリさんを威圧しないでもらえませんか?とても辛そうなので…」
ユリは顔を青くしたまま立ちすくみ、苦しそうに息を荒くしている。
この状態が延々と続けば、気を失ってしまうかもしれない。
「ああん?最初に絡んできたのはそっちじゃなかったかい?まあどうしてもってんなら、別にやめてやってもいいけどねぇ?…ふふふ…。けど、もしアタシが嫌だと言ったら…ボクはどうするんだい?」
女性がニヤニヤと笑いながらそう言った瞬間。
ブワアァァァ…!!
俺はユリの前に出ると、身体に練り込んでいた魔力に強く殺気を込め、逆に女性を威圧した。
「…なにっ…!!?」
女性は咄嗟に半身になり、俺に向かって身構えた。
杖をついているわりに、かなり素早い身のこなしが見て取れる。
「ぷはっ!…はぁはぁ…ふぅ…。す、すまんレイン君。なんか知らんけど、めちゃくちゃ楽になったわ」
俺が相手の威圧を吹き飛ばしたため、ユリはずいぶん楽になったことだろう。
「は…ははは…!どうやらあんた…ただのボクじゃないねぇ…?この圧…まるで歴戦の猛者と対峙してるようなこんな感覚、久方ぶりだよ…」
左手を前にして半身に構えたままニヤリと笑う女性。
だが実際には、その額からは汗が吹き出し、背中には滝のように大量の冷汗をかいていた。
幾度となく修羅場をくぐってきた強者のみが感じる、その感覚。
目の前の小さな存在から発せられる、信じられない程の強烈な圧力。
女性はゴクリと唾を飲み込んだ。
「(一体何だってんだい…!?…こいつはちょっと普通じゃないよ…!!)」
「あっ!そう言えばまだ自己紹介をしていませんでしたね。はじめまして!僕はレインフォード・プラウドロードと申します。プラウドロード男爵家の長男です」
ちょっと殺伐とした空気になってしまったので、俺は場の雰囲気を変えるべく、まずは挨拶することにした。
礼儀正しく、ペコリと頭を下げる俺。
その様子にまたまた驚いたのは、身構えたままの女性だった。
「…ど…どういうつもりだい…?お貴族様がスラムの住人に頭を下げるなんて…」
女性は訝しげに俺を見ながらそう言った。
んん??
よくわからんが、挨拶ぐらいはするでしょ?
ビジネスでは基本中の基本じゃん!
「…?スラムの方でもなんでも、礼儀として、相手の方にご挨拶をするのは当然のことだと考えますが?」
女性はより一層の驚きに目を丸くする。
その様子を見たユリは、女性とは対照的にフッと笑った。
「あんたもな、そこんとこはあんま気にせん方がええで?うちもまだ付き合いは浅いんやけど、そこのレイン君は、ええ意味でちょっと普通とちゃう感じやからなぁ」
「…ふふ…そうみたいだねぇ…」
ユリは困惑する女性に助け舟を出す。
…人を変わり者扱いするのはやめていただきたいんですが?
「さて。今日ここに来た理由でしたよね。単刀直入にお伺いしたいんですが、あなたを含めたこのスラムの皆さん全員、エチゼンヤ商会で働く気はありませんか?」
俺は真っ直ぐに女性の目を見つめながら、そう問いかけた。
突然のことに、さらに深く困惑する女性。
ちょっと何言ってんのかわからない、という目で俺を凝視する。
どうやら思考が追いついていないらしい。
「ほらほら、聞いた?ちょいちょい変なこと言うやろ?全員まとめてエチゼンヤ商会で働かへんかって…えええええええ!?ちょっ…ええええ!?いきなり何言うとんねん!?レイン君!!?」
盛大に驚くユリ。
だが俺は本気だ。
「いやほら、これからエチゼンヤ商会でうちの特産品を売るには、まずプラウドロード領からここまで物資を運んでもらわないといけませんし。その他にもうちの領には、やらなければならない仕事が山のようにあるんですよ」
「さ…最後の方は、あんまエチゼンヤは関係ない気がするけど…。せ…せやかてあんた、そもそもあいつはうちの荷馬車襲撃した犯人やで!?そこらでねんねしとるその他大勢はさておき、少なくとも実行犯は詫び入れさして、お役人に突き出さなあかんやろ!?」
ユリが俺の顔の前で必死に捲し立てる。
近い、近いから。
「…役人に突き出したところで、おそらくピケット侯爵辺りに
ピク…。
女性の眉が反応する。
同時にユリもハッとした表情を浮かべた。
「もちろん、ユリさんが彼らを許せない気持ちはすごくよくわかります。けれど僕としては、背後関係の手掛かりとなる大切な証人を、むざむざと殺させてしまうような事態は避けたい。彼らはきっとヴィンセント様の件に関しても、切札になると思うんですよ」
ユリはゆっくりと俺から離れると、その場で俯き、拳を強く握り込む。
感情のやり場に困っているのだろう。
もちろん裁きは受けさせたい。
けれどその実、彼女らはライアン公爵絡みのハイポーション案件に関わってしまっている。
おそらく…裁かれる前に、病死なり事故死なりの不審死を遂げる可能性が極めて高い。
ピケットは、侯爵という特権階級であると同時に、他人を貶めるためなら悪魔まで召喚するような、いわゆる腐れ外道だ。
口封じのためなら、大喜びで悪辣な方法を選択するだろう。
ユリにもそれがよくわかっているのだ。
しばらくするとユリは大きくため息をつき、諦めたように口を開いた。
「…はぁ。たしかにレイン君の言う通りかもしれんな…。…けど!けどや!うちは許したわけやないで…!?スーケに対する詫びだけは、後できっちり入れさせるからな…!」
「わかりました、ありがとうございます。勝手言ってすみません」
「…ブツブツ(…全員雇う言うてどんだけお金かかる思とんねん…。せやけどポーションの件とかが軌道に乗ったら十分元は取れるか…?いや寧ろ人数おった方が後で色々手広く)…ブツブツ…」
頭を切りかえ、今後の青写真を描きはじめるユリ。
ほんっとにごめんね。
「さて…」
俺は構えたままの女性に視線を戻す。
お頭と呼ばれ、頼りにされているだけあって、一瞬たりとも警戒は緩めないらしい。
「ユリさんも快く承諾してくれましたし、どうです?あらためてエチゼンヤ商会で働いてみませんか?」
快くはしてへんからな!という後ろからの野次は無視する。
「…ボクは一体何を企んでるんだい…?荷運びだって…?使い捨てのアタシらに、死体や禁制品でも運搬させようって腹かい…?」
疑念に満ちた目で女性はそう言った。
うおい!
何わけわからんこと言ってくれちゃってんの?
「ちょ…人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。業務内容は、プラウドロード領からこの王都を含めた各所への野菜や果物等の荷運びと、その他はうちの領内の公共工事ですよ。待遇は応相談ですね」
俺は右手の人差し指と親指で輪っかを作ると、笑顔でそう言った。
だが。
「はんっ!そんな話に騙されるわけにはいかないねぇ?お貴族様の甘言に乗って、ここの住人たちを危険な目に遭わせるわけにはいかないんだよ!…まぁ、仮にそれが本当の話だとしても…」
女性は、ぽんぽんと、自分の右脚を叩いた。
「アタシだってこんな身体さ…?馬車で何日も旅をできるような体力なんて、残っちゃいないからねぇ…」
女性は視線を落とし、まるで何かを諦めたような、そんな自虐的な笑いを浮かべた。
「…察するに、あなたを始め、ある程度働ける人間が、良い仕事や時には悪い仕事も請け負って、ここの住民たちを養っている…という訳ですね?」
女性は何も言わず、じっと黙ったまま。
まあ、俺として一番の問題は…。
「…頼まれたら、人殺しまでやるんですか?」
俺がそう言った瞬間、女性はものすごい剣幕で怒鳴り散らした。
「馬鹿にすんじゃないよ!!たとえスラムに住んでいようが、人として越えちゃあいけない一線ってのはわきまえてるつもりさ!!殺しなんて外道、絶対しやしないよ!」
め…めちゃくちゃ怒られた。
馬車の襲撃も十二分に人として駄目なことだとは思うが…。
まあ、その辺りはおいおい考えるとしよう。
「成程。よくわかりました」
スッ…。
俺はゆっくりと右手を上げ、手の平を女性の方へ向けた。
「な…なんのつもりだい!?」
さらに腰を低くして身構え、警戒する女性。
「まあいずれにしましても、とりあえずは、しっかりと働ける身体に戻ってもらいます。色々考えるのは、その後にしましょう」
俺はそう言いながら、身体に練り込んだ光の魔力を手に集中させると、そのまま光の治癒魔法を女性に向かって放った。
「……!?」
神々しくさえ見える真っ白な光。
やがて光は、女性を優しく、そして温かく包み込んでいくのだった。
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