第42話 星空の下で

 ガラガラガラガラ。

 カタン、カタン…!


 王都の裏通りを走る2台の大きな荷車。

 日本で言う、いわゆるリヤカーといえば想像しやすいだろう。


 まもなく食事を…という時間帯だが、突然それぞれの自宅に突撃してきたユリのため、温かいご飯は手付かずのまま自宅のテーブルに。


 荷車を引いているのは、もちろんスーケさんとカークさんだ。


「あれぇ?さっきの串焼き屋台、もう店仕舞いしてしもたんかなぁ?串焼きも買うてきてって頼まれとったんやけどなぁ…」


「お嬢…勘弁してくださいよ?今日俺たち休みなんスよ?何が悲しくて、昼飯を目の前にしてお預けくらわなきゃいけねぇんですかい?」


「私の野菜スープ…温かい野菜スープ…」


 食事を邪魔された2人からは非難轟々。

 だがユリもさしたるもの。


「ごめんごめん。さっきから何回も謝っとるやんかぁ。レイン君が無茶苦茶なこと言い出したんやから、しゃあないやんか。な?こんなぎょうさんの荷物、か弱いうち1人やったら運ばれへんやろ?」


 そう言いながら、ユリはスーケさんとカークさんが引く荷車を指さす。


 そこに積まれていたのは、給食のおばさんもびっくりの巨大な鍋、鍋、鍋。

 そして後は食材&食材。

 豚肉、鶏肉その他たくさんの野菜やキノコ、調味料そしてお酒まで。


「お嬢…うちの店の懐事情わかってます…?馴染みのみんながこっそり物を売ってくれたのはいいとして…いや、もはやこっそりでも何でもねぇんだけど。支払いの方は大丈夫なんですか…?」


 カークさんは、山盛りに積載された荷物を見ながらため息をついた。


「あぁ、ごめんカーク。今は食材だけやねんけど、あとまだまだ買わなあかん物があんねん。他に言われとるんは、服やら石鹸やら他にも靴とかタオルとかもうなんやわけわからんけど、滅茶苦茶ぎょうさんや」


 ユリはカークさんに身振り手振りで伝えた。

 意識を失いそうになりながら、荷車を引き続けるカークさん。


「…お嬢のご乱心により、ついにエチゼンヤ商会も倒産ですか…。再就職先は…と」


 そんな不安に駆られ、スーケさんは職業斡旋所の所在地を思い起こしていたのだが。


「いや、ご乱心ちゃうし!心配せんでもお金は全部プラウドロード男爵家もちやねん!レイン君曰く、エチゼンヤ商会は資材の購入と搬送さえしてくれれば、必要経費の他、依頼料や手間賃をくれるらしいわ。既にうちの店との契約関係は始まっとるみたいやで?」


 そんなユリの言葉に目を丸くする2人。


「本当ですかお嬢?…確かにあの少年は、普通の子供とは一線を画した異彩を放っておりましたが…さすがは貴族の長男様といったところですか…」


「ははは!いや、そうとわかりゃ安心安心!美味い酒のためなら、えんやこーら、えんやこーら…なんですけどね…お嬢?…俺たち一体何処へ向かってるんです…?」


「実は私もさっきから気になっておりました…。お嬢この先にあるのは…」


「そらスラムに決まっとるやんか」


 さっき以上に目を丸くする2人。

 口を開きすぎて、顎が地面に着きそうになる。


「さてと…やはり再就職を…」


「はぁ…その前に俺たち生きて帰れんのか…?」


 そんな肩を落とす2人の前で、ユリは何やらキョロキョロしている。


 道に迷ったのだろうか?

 いや、それはあり得ない。

 ユリは生まれも育ちも王都の下町、地理については相当に詳しい自信もある。


「あれぇ?うち道まちごうた??暗闇の町ってここらちゃうかったかなぁ?おっかしいなぁ…うちさっきまでおったのに…」


 2人からは返事がない。


「なぁ聞いとる?スラムってこの辺ちゃうかったっけ?」


 2人はまたしても答えない。


 ガシャコーン…!!

 スーケさんとカークさんが急に荷車の取手を離したため、たくさんの荷物を積載した荷台の後部が地面と衝突し、大きな音が鳴り響く。


「ちょっ…!2人とも何しとんねん!?いつも商品を大事にせなあかんとあれ程…って、どなしたん、あんたら?」


 2人は引き攣った笑いを浮かべつつ、棒立ちになっていた。


「…お嬢…スラムは…暗黒の町は…ここに間違いありませんよ…ただ…なんだあのでっかい建物…」


「お…俺…夢でも見てるのかなぁ…スラムどころか…こりゃあ…新しい街…か…?」


 2人の尋常ではない様子に、ユリは後ろを振り返る。


「んん?2人ともなに言うて…ってええええええ!?な…なんやこれぇええ!!?」


 ユリもスーケさんカークさんも、付近に居住するおじさんもおばさんも、そして道行く通行人までもが脚を止め、目の前の信じられない光景に驚愕していた…。


 ※※

 時は少し遡って…。

 ※※


「なんだいこれは…?はははは…やっぱり何もかも夢なのかねぇ…」


 そう言いながら黒いコートを羽織った女性は目の前の光景に愕然としていた。

 何度か自分の頬をつねるが、夢ではないのですごく痛そうだ。


「しかしあんた…マジでぶっ飛んでるねぇ…。アタシの身体を治したり、青い炎を出したりした時から、ちょっとおかしいんじゃないかとは思ってたけどさ…」


 人を化け物のように言うのはやめていただきたい。


「ところで、僕はまだあなたのお名前を伺っていませんでしたね?差し支えなければ教えていただけますか?」


 俺は女性に名を尋ねた。


「あ…あぁ、アタシかい?アタシはイザベルって名さ。ここらじゃお頭っていう方が通りがいいけどね」


 イザベルと名乗った女性は、苦笑いで肩をすくめた。


「承知しました、イザベルさん。僕のことはレインと呼び捨てで結構ですよ?みんなそう呼んでますしね」


「よ…呼び捨てねぇ…。まあアタシはこんな感じだし、そう言ってもらえるのはありがたいけどさぁ。貴族の発言にしちゃあ驚くべきなんだろうが…。…アタシにとっては目の前の光景の方が異常過ぎてねぇ…」


 俺とイザベルの前にはスラムの住人たちが並ぶ。

 しかし今は果たしてスラムの住人・・・・・・と呼ぶのがふさわしいのかどうかわからない状況だった。


 まず、現在彼らの身体は、長年の垢や汚れが全て取り除かれ、つやっつやになっていた。

 ボディソープやシャンプーのコマーシャルに出演できそうなほど、肌や髪の艶がヤバい。


 またつい先程までは、小さな怪我から大きな傷、果てはイザベルのように脚が不自由な者や腕を失った者等、大小様々な負傷を負った者たちがほとんどだったが、今は誰一人として怪我をしている者はおらず、空腹以外、全て健康体といったところである。


 矢継ぎ早に展開されるレインの規格外の魔法により、治療・洗浄・殺菌されていくスラムの住人たちを見ながら、最初は口を開きっぱなだったイザベル。

 途中からは、目玉が落ちるんじゃあないか?と思うくらい目を見開いていたが、最後にはなぜか死んだ魚のような目になっていた。


「いやぁ、まあまあ魔力を使ってしまいましたけど、皆さん健康になったみたいでよかったです。文句を言ったり暴れ出したりする人もいませんでしたし、イザベルさんの人徳の賜物といったところですね?」


 俺はニッコリとイザベルに笑いかけた。


「いやぁ…人徳とかそういう話じゃ…。はぁ…まあいいや、あんたの魔法を見ていると、常識ってのを見失いそうになっちまうよ。…ところであんた、魔法詠唱無しでも魔法を使えるって、それは何の冗談なんだい?そんなの見たことも聞いたこともないんだけど…?」


 イザベルはげっそりと力なく呟く。


「ははは、大切なのは魔法のイメージですよ?機会があればイザベルさんにもお教えしますね。そう難しいことじゃあありませんので。そんなことよりも、次は住居ですよね…?ざっと見て300人程度の人たちが住める家…そしてあんまり広い敷地が無いとなると…うーむ」


 俺は顎に手を当てて次のことを考える。

 だがイザベルはその件に関しては、あまり気にしていない様子だ。


「はっはっはっは、住居だって?みんな身体が治ったんだ、またそこらに藁でも敷いて適当に眠るさ。あんたが気にするこっちゃないよ」


 イザベルは豪快に笑うが、そういう訳にはいかない。

 

 やはり野宿なんて体にもよくないし、当然、周りからの見た目もよろしくない。

 大都市などでは、建物のガラスが割られている光景にみんなが慣れてしまうと、また別の誰かが他のガラスを割り、それがどんどん連鎖していくと、結局スラムのような場所が出来上がってしまう。

 いわゆる、割れ窓理論というやつだ。


 俺はここをそんなスラムに戻してしまう気は、さらさらないのさ。

 住人の皆さんだって、大切な労働者の方々だしね!


「よし!じゃあワンルームマンション的な物にしましょう!」


「んん?わんるうむまんしょん…?」


 俺はよくわかってなさそうなイザベルをスルーしつつ、身体に土と火の魔力を練り込み始めた。


(寝具なんかは後でユリに用意させるとして、まずは建物だよな…。俺が学生の頃住んでたワンルームのレイアウトでいいか…。クローゼット、棚、ベッド…。えーっとトイレ、キッチンは今のところ共有にしておくか…。あとイザベルは管理人として別棟にして…。よし!そんなかんじでいこう!!)


 俺は両手を前に出す。


「それ!!」


 俺は身体中に練り込んだ土と火の魔力を混ぜ合わせると一気に開放し、耐熱レンガのような素材を使い、頭の中でイメージしたとおりの、頑丈な建物を造り出す。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!

 ボコッ!

 ボコボコッ!!

 ガシャン!

 ガシャーン!!


「は…ははは…。…こいつぁ…また…」


 ペタン…。


 青い顔をしながら、ついにイザベルはその場に尻もちを着いて座り込んでしまった。

 スラムの住人たちも、目の前の衝撃に絶句したまま動かない。


 それもその筈。

 彼らの眼前には、突如、俺が魔法で作りだしたワンルームタイプの3階建ての巨大なマンションが幾つも出現したのだから。

 …もちろん俺がぶっ壊しちゃったクレーターもしっかり埋め埋めしたよ…、てへ。


 工事終了後、俺は固まっているイザベルや住人たちを呼び、建物の出入り口や内装などを説明しつつ、それぞれ好きな部屋を自由に使うように申し向けた。


 これまで雨風に吹きさらしの生活を強いられていた人々は、自分たちの身体を治療してもらったばかりか、屋根付きの家に住めるということがわかると泣いて喜び、まるで神様のように俺を崇めてくれた。

 

 そんなことはどうでもいいので仕事で返してくれればオッケーです!

 全員エチゼンヤ商会で働くことを了承してもらってるんだしね?

 あ!後でちゃんと契約書と念書に署名か指印させとこう。


「は…ははは…。もうここまでくりゃあ笑うしかないねぇ…あんた一体何者なんだい?」


「ふふふ…。ただの地方貴族の、ただの長男坊ですよ?」


 俺は引き攣った笑顔のイザベルに、爽やか笑顔で答えたのだった。


 ※※


 既に日も落ち、夜の帳が当たりを包んでいる。


 だが、スラム街…もとい、スラム街は、香ばしいかおりと、美味しそうな料理で、かつてないほど盛り上がっていた。


「おーい!ちょっと、こらこら、そこの人!!横入りしたらあかんって、ちゃんと並んでや!心配せんでも全員分あるがな!!」


 俺はユリに頼んでいた食材を使い、大規模な炊き出しを行なった。

 チョイスした料理はズバリ、鍋。

 大きな鍋に材料を切ってぶち込むだけだし、味も調味料でなんとかいける。

 肉や野菜もたくさん摂れるし、消化もいい。

 まさに炊き出しには最適の料理なのだ。


 そして若干値段が安いとはいえ、お酒まで用意したとなると、この大宴会の盛り上がりようときたら、言わずもがなというところだ。


(…もちろん、お酒は俺のためでもあるんだけどね…うしししし)


 俺はそれぞれの食事の場所に寄り、挨拶や雑談を交わした。

 最初は貴族である俺を多少警戒する人もいたが、それも最後には打ち解けることができた。


 皆抱えていた事情は様々。


 家の借金のために両親に奴隷として売られた者。

 小さな子供の身で親に捨てられ、物乞いとして生活していた子供。

 戦士として活動するも、魔獣に襲われて腕を失くした途端、役立たずと言われ集落を追放された獣人。

 元々は商人だったが、騙されて借金を背負わされ、鉱山奴隷として捕らえられる直前で逃げてきた者などなど。


 俺は漠然と犯罪者の集団のようなイメージを抱いていたが、決してそうではなかった。

 働きたくても色んな事情で働くことができない人ばかり。

 みんな今後はエチゼンヤ商会の一員として、元気に働いてほしいと願うばかりだ。


 そして最後に俺は、ユリやスーケさんカークさん、そしてイザベルがいる場所に戻ってきた。

 全員程よく酒も入ってできあがり、かなり盛り上がっている。

 シロもたくさん食べ、満足そうに丸くなって眠っている。


(しめしめ…これでやっと俺も、ちょいと一杯引っかけられるぜ。にしししし)


「あんたたちにはほんと悪いことしたねぇ。この通りさ…」


 ふと見ると、イザベルがユリたちに深く頭を下げて謝っているところだった。


「いや、もうええて、イザベルさん。レイン君のお陰で怪我も治ってしもとるし。なあ?スーケ、カーク?」


「そうっすよー。いやぁ、俺なんてこんな美人さんと酒が飲めるだけで大満足でさぁ。あん時はビビったけど、今は寧ろ切られてよかった的な?というかもっと切ってください的な?わはははははは」


 そう言うと、赤い顔をしながら一気にグイッと酒を呷るカークさん。

 酔っているのか、元々そういう趣味なのかはわからんが、カークさんとの付き合いはよく考えることにしよう。


「ところでイザベルさん?もうこないだの事は全部水に流したから、ちゃんと教えてや。うちらの荷馬車に積んどったハイポーション、もう全部つこてしもたん?それとも誰かに渡したん?」


 ちょっと赤い顔をしたほろ酔い加減のユリが、イザベルに話しかける。


「あんたらの荷馬車を襲うように依頼してきた男に全部渡したねぇ。あいつは確かラプトン商会に出入りしていた、冒険者崩れのゴロツキさ」


(やっぱりここでもラプトン商会か。となると奪われたハイポーションは、そのままピケット侯爵に流れたと考えるのが妥当か…)


「そう言えばあんたたち、さっきピケット侯爵だのアタシが切札になるだの言ってたねぇ。あれはどういう意味なんだい?」


 お酒の入ったカップを片手にイザベルが質問してきたので、俺たちはヴィンセントたちとの経緯を説明する。

 イザベルは時折頷きながら、真剣な眼差しで俺たちの話を聞いていた。


「成程…ピケット侯爵とラプトン商会…、挙句の果ては悪魔召喚ってか…。胸糞わりぃ話だねぇ…それに少なからず加担しちまってたかと思うと、我ながら情けないよ…」


 イザベルはスッとその場から立ちあがる。


「…ちょっとそこらで風にでも当たってくるかね。そっちは適当にしといてくんな」


 イザベルはそう言うと、ゆっくりと歩いてどこかへ行ってしまった。


「…ねぇユリさん。件のハイポーションは箱詰めのまま仕入れたんですか?それとも1本1本確かめて購入したんですか?」


「えぇ?そら1本1本うちがじっくり手に取って品定めするに決まっとるやんか。箱買いなんか危のうてようせへんわ。商人がパチもん掴まされたやなんて、かっこ悪うて文句も言われへんさかいな」


 ユリは目の前に置いてあった空の酒瓶を手に取り、ハイポーションの瓶に見立てて、目利きの真似をする。

 上から下から、そして横から。

 様々な角度からしっかりと見るらしい。


(成程。そういうことなら奪われたハイポーションとユリのつながりを証明できるかも…。けどそれを明らかにするためには準備が必要だな…)


「しっかしレイン君、この鍋ちゅうのは美味しいなぁ。スープに肉や野菜の旨味が染みわたって最高やんかぁ…。お酒にも合うしなぁ」


 お酒の話を振られ、つい思考停止してしまう。

 今日こそは…お酒を飲む!

 酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞー…って歌うんだ!!


「そうでしょう?ふふふ…。しかしこの鍋はまだここから究極の進化を遂げるのです…。この鍋の残り汁に、コーメを投入して温め、最後に溶き卵をくるりと放り込むと…」


 ゴ・ク・リ…。

 立ち昇る香ばしい香りと、卵とご飯が絡み合った光景に、ユリ、スーケ、カークが鍋をのぞき込む。


「雑炊という料理の出来上がりです!さあ召し上がれ!!他の皆さんにも教えてあげてくださいね?」


 目をキラキラさせつつ、その熱さに口をハフハフさせながら、夢中で雑炊をむさぼる3人。

 ふふふ…ゆっくり食べていてね。

 その隙に俺は…。


 スッと1本、新しい酒瓶とカップを失敬して、少し静かな所まで歩いていく俺。


(ふっふっふ…。ここなら邪魔は入らんだろう。ではでは、異世界のお酒をゆっくりと堪能して…って…あれ?…あれは…)


「…イザベルさん?どうしたんですか、こんなところで」


 俺は建物の影で、1人座って星空を眺めるイザベルに声を掛けた。


「ん?…あぁ、あんたかい…。別に、何もないよ…。少し昔のことを思い出していただけさ」


 イザベルはフッと力なく笑う。


「…そんなしょんぼりした顔で別に何も…とか言われても、全然説得力がありませんよ?まあ一杯どうです?」


 俺は持ってきたカップをイザベルに手渡し、酒を注ぐ。


「ふっ…ありがとうよ。…アタシはさ、あんたにも謝らないといけないと思ってたところさ」


 イザベルは注いだ酒を一気に飲み干すと、俺の方を向いた。


「昼間は本当に悪かった。傷つき、朽ちていくのを待つばかりだったアタシの身体を治してくれた恩人に、アタシは拳を向けちまった…」


 頭を下げるイザベル。

 俺は全然気にしてないのに。

 いや、寧ろ…。


「頭を上げてください、イザベルさん。僕は全く気にしていません。というか、そうなるように仕向けたのは、僕の方なんですから」


 俺は空になったイザベルのカップに、再び酒を注ぎながらそう言った。


「そりゃどういう意味だい…?」


 イザベルはカップのお酒に少しだけ口を付けると、首を傾げて俺に尋ねた。


「イザベルさん。あなたはかつて仲間を護れなかったこと、失ったこと。そして紆余曲折を経てスラムに辿りついた後、過去の自分と今の自分との落差に、半ば自暴自棄になってましたよね?」


 イザベルは、俺の方をじっと見つめている。


「あなたが悪事に手を染めてまでスラムの人々の生活を守ろうとしたのは、形は違えど、自分の手からこぼれ落ちてしまった大切なものを護るためだったのではないでしょうか。それをあなたが意識しようとしていまいとね」


「さぁ…どうだろうねぇ…」


 イザベルはカップの酒に視線を落とし、くるくるとカップを回す。


「そんな不安定な精神状態にもかかわらず、僕の治療のせいとは言え、魔法の力だけが元のように使えるようになったとしたら…。正直今度はその有り余る力がどこに向いてしまうのかわかりません。ですので…」


「…アタシを焚き付けて、暗い過去を吹っ切らせるために全力の一撃をぶっ放すよう仕向けた…ってわけかい?…正気かあんた?いくらあんたが強かろうと、下手すりゃ大怪我してたかもしんないんだよ?なんでアタシなんかのためにそこまで…」


 俺は右の手の平を上げてイザベルの方に向け、そこに紅い炎を4つ灯した。

 3つの炎が、真ん中の1つの小さな炎の周りをクルクルと回る。


「正直なところ深い理由はありません。…ただ、あなたの話を聞いているうちに、こんな所で消えてしまうのはあまりにもったいない…そう思っただけです」


 イザベルはじっと炎を見つめている。

 俺は微笑んで続けた。


「加えて手段の良し悪しはさておき、あなたがここでたくさんの命を守ってきたのは揺るぎない事実です。…であるのならば、これからは亡くなった仲間の方々の分まで、あなた自身が幸せにならないでどうするんですか」


 4つの炎はやがて1つとなり、輝く青い炎へとその姿を変えると、次第に小さくなって消えていった。


「はっ…まったく…あんた本当に子供かい…?見た目と発言がまるで合ってない…。というか歳上の兄貴か誰かに諭されてるような気分だよ…?けどまあ、その…感謝するよ。レイン」


 再び星空を見上げるイザベル。

 その頬からは一筋の涙が流れ落ちる。

 

 俺もにっこりと笑い返す。

 中身はおっさんだけどね!


「さて、辛気臭い話はここまでにしましょう?最後は締めの乾杯といきませんか」


 持ってきた酒瓶を手に取り、イザベルのカップに再び酒を注ぐと、手元に土魔法でもう1つ自分用のカップを作り、自ら酒を注いだ。


(あぁ…芋焼酎にも似た、癖があるけど芳醇な香り…)


 よだれを我慢する俺。


「あんた未成年だろ、酒なんて飲めるのかい?…まあ別に止めやしないけどさ」


 肩をすくめて俺を見るイザベル。


 ふっふっふっ…。

 この瞬間を待ちわびたぜ…。

 ニヤニヤがら止まらない…。

 い…いただきまっする!!


「それでは!えー、今後のイザベルさんの益々のご活躍とご多幸を祈念して、かんぱ—————…」


「あ、こんなとこおったん、レイン君とイザベルさん。ヒック…。あっ!お酒まだあるやん。いただきまー」


 ぱしっ

 ゴクゴク…。


「お?豪快な飲みっぷりさねぇ」


 突然現れた酔っぱらいのユリに奪われた俺のカップ。

 …俺ってお酒の神様かなんかに嫌われてるのかなぁ…?

 しくしく…。


 ————かくして、暗闇の町として忌み嫌われたスラム街は、後に目覚ましく発展し、王国の財源の一角を担う程の経済特区へと様変わりしていくのだが…、それはまた別のお話。

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