第36話 黒山羊さんたら読まずに…なんてかわいいもんじゃなかった

「ひぇぇ…な…なんか出てきよったで…?」


 ユリの驚愕と不安に満ちた声が、部屋に響く。


『グフ…グフフフフ…』


 俺たちの前に立つモノ。

 それは人に似た形ではあるが、人ではなかった。

 もちろん、ドワーフでもエルフでもない。


 それは山羊の頭を持っていた。

 体はなんとなく人の形で、人間っぽい腕もある。

 しかし下半身はまた山羊のそれ。

 そして頭から爪先まで真っ黒で、ビッシリと黒い毛に覆われているが、モフりたいとは到底思えない。

 こいつは…。


「き…貴様…何者だ…?貴様が我が祖父を貶めていた元凶か…!?」


 戸惑いながらも怒るヴィンセント。

 まったく訳の分からない相手だが、それよりも、お爺さんへの仕打ちに対する怒りの方が勝っているようだ。


『グフフフフ…やあやあ、かわいい人間たち。お目にかかれて光栄です…。まずもって、本日はお日柄もよく…』


「質問に答えろ!貴様が我が祖父を苦しめていたのだな!?」


 ヴィンセントは、黒山羊を指さしながら叫んだ。


『んん…?これはこれは、気の早いお坊っちゃんだ。せっかちな男性は、お顔が良くとも、女性にはモテませんよ?』


 黒山羊が挑発するような口調でそう言い終わる前に、ヴィンセントは既に魔法詠唱を始めていた。


「我は告げる。其の氷は極地の果てから我が元に。我が魔力を糧として、ここに氷結の地獄は顕現せり。されどその刃は怨敵の喉元に集いてこれを切り裂かん」


「わわわわ、寒い!めちゃめちゃ寒い!これが氷結王子と名高い、ヴィンセント様の魔法かいな!」


 ぶっ…氷結王子とか…!

 ヴィンセントの奴、そんな恥ずかしい二つ名を持ってんのか…。

 俺は真剣な顔をしつつ、ちょっと笑いそうになってしまった。

 ごめん!


「氷の刃で朽ち果てろ…!!氷結地獄・コキュートス!!」


 四方八方からもの凄いスピードの氷の矢が、黒山羊に向かって飛んで行く。

 うちの家に税金の取り立てに来た時も使った魔法だ。

 しかし。


『グフフフフ…素晴らしい魔法ですねぇ』


「な…なに…!?」


 ヴィンセントは驚愕に大きく目を見開いた。

 なんと黒山羊は、高速で飛んで来た氷の矢をすべて、いとも簡単に素手で受け止めてしまったのだ。


『ふむふむ。殺傷能力の高い形、程よい冷たさ…魔力の質も素晴らしい。グフフフフ…そして何より、私に向けられた、狂おしく激しい憎悪…。…あぁ…滾ってきますねぇ…』


 掴んだ氷の矢に頬擦りしたり、ペロペロと舐めてみたり、体の至る所…特に股の間に擦り付けてみたりと、あれやこれや、やりたい放題の黒山羊。

 最後にはヴィンセントをとろんとした眼差しで見つめながら、恍惚の表情を浮かべている。

 …変態だわコイツ。


「くっ…おのれ…私を愚弄するか…!?ではこれならばどうだ…。我は告げる…」


 ヴィンセントが別の魔法詠唱を始めたその時だった。


『んん…。私、もっともっとあなたのイイ所、見てみたいです。ですので…ほら、お返ししますね』


 変態黒山羊の声のトーンが、一段低くなったかと思ったその瞬間、把持していた氷の矢の1本が、ヴィンセントへ向かって飛んで行く。


 ザシュ!


「ぐっ…!?」


 超高速の氷の矢は、ヴィンセントの右肩を掠めると、部屋の壁に深く突き刺さった。

 ヴィンセントの負傷したその肩を、赤い血が伝う。


「ああ、ヴィンセント様が!?」


 ユリが青い顔で叫んだ。


『ああ…血が出てしまいましたね…。うーん、赤い…赤いですねぇ。その色、香り、実に素晴らしい…。私…もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともーーーっと見たいです、嗅ぎたいです、ペロペロしたいです!…さあ、張り切って踊ってくださいませませ!!』


 その瞬間、変態黒山羊が持っていた氷の矢が、まるで弾丸のように、ヴィンセントに向かって飛んでいった。

 そしておそらく、わざと致命傷に至らないよう、肉を掠めて多く出血するように攻撃しているようだ。


「うぐああああああ……!」


 ヴィンセントの叫び声が響く。

 耳、肩、腕、脇腹、脚…。

 ヴィンセントの身体は、自らの魔力で作り出した氷の矢によって、他にも多数の傷を負い、鮮血にまみれていた。


『素晴らしい…。ああ素晴らしい…。あんなしわしわの萎びたご老人よりも、やはり若い血はいい匂いがしますねぇ…先程は唐突なエリクサー・・・・・の光にあてられ、思わず術を解いて外に出てきてしまいましたが…いやはや、正解でしたね…グフフフフ…!』


 エ…エリクサー?

 俺は教えてもらってハイポーションっていうのを作ったはずなんですけど…。

 

 俺はユリの方を見たが、ユリも俺の方を見て首をかしげていた。


「はぁ…はぁ…くそっ…。貴様のような汚らわしい奴に…お祖父様は…」


 俺の疑問をよそに、息も絶え絶えのヴィンセントは、手ぶらになった変態黒山羊を睨みつける。


『あはん…その汚らわしい私に汚されるのですよ、あなた…?グフ…グフフフフ!想像しただけで絶頂に達してしまいますねぇ…あなたの息の根が完全に止まる前に…あんなことやぁ、こんなことをしてぇ…あぁ…アァ…嗚呼…。そして最後の最期は…脳みそを…バン!しましょうねぇ…?』 


 右手で何かを握りつぶすような仕草をしつつ、ダラダラと口からよだれを流しながら、体をのけぞらせてビクビクと痙攣する変態黒山羊。

 うっひゃあ…気持ち悪すぎだろコイツ…。


「レ…レイン君…?このままやとヴィンセント様、ちょっとあかんのと違うやろか…?ど…どないしたらええやろ…」


 俺の服を首の後ろでギュッと握るユリ。

 く…首が締まる…ぐええ…。


『グフフフフ。ではでは、とりあえずハンサムなお坊っちゃんの両脚でももぎ取って、今日の記念のペナントとして壁に飾っておくとしましょうかね…』


 そんなふざけたことを言いながら、ヴィンセントに近づこうとする変態黒山羊。

 その時俺は。


「ひ…ひぃぃいああああ!?たっ…助けてください…!!」


 俺はその場に尻餅をつき、思いっ切り情けない声を出して、変態黒山羊に向かって命乞いをしてみた。


『ンン…?』


 変態黒山羊はこちらを見る。

 その口元はいやらしく、汚らしい笑みを浮かべている。


「ひええ!?あんたいきなり何言うとんねん!?きっしょい変態の黒山羊がこっちの方向いてしもたやんか!」


 おぉ!

 ユリもあいつに対して同じ感想を抱いていたとは!

 しかも、きっしょい、頂きましたー!


「レ…レイン…ユリを連れて、ここから逃げろ…!」


 床に片膝をついてしゃがみ込んだまま、血まみれのヴィンセントは言った。

 自分の大怪我をよそに、俺たちの心配をしてくれるのか…お前。


「そ…そんなこと言われましても…。こ…腰が抜けて…。僕は…僕はただ、頼まれてあのお薬を持ってきただけなのに…」


『んん…?グフフフフ…先程のエリクサーは坊やが持ってきた物だったのですか…?私は対象者の体内で術を使っている最中は、外のことが分からないのでねぇ…。ですが少々驚きましたよ?神代の遺物が奇跡的に残っていたのでしょうか?なかなか素晴らしいものでしたね…』


 成程なるほど。

 どうやら俺が作ったハイポーションは、エリクサーと勘違いされる程の効果らしい。

 

 エリクサーは、前世のゲームでの知識だが、HPやMPの回復をはじめ状態異常等を含め、全てを完全回復させるスーパーお薬だったように思うが…、まあ詳細な効能については要検証だな。

 それよりも、これで変態黒山羊の興味が、完全にヴィンセントから俺の方へ向いたみたいだ。

 ごめんなユリ。

 …にしても…見れば見る程気持ち悪いな!


「そ…そこの騎士様に無理矢理持ってくるように言われただけなんですぅ。我が家の家宝だったんですぅ…。で…ですから、なんの関係もない僕のことは…た…助けていただけますよね…?」


『グフフフフ…ダメよ…ダメダメですよ、坊や?ここでは誰も、助からないのですよ。みーんな、死ぬのです。私にとーっても楽しいことをされて…死ぬ寸前まで、絶望と苦痛に身悶えしながら、血と涙と糞尿にまみれて死んでもらいますよ。坊やは小さいけど私の言ってること、分かりますか?』


 変態黒山羊はどこまでも優しく、穏やかに子供を諭すように、そして、それがさも当然のことであるかのように言葉を発していく。


「そ…そんな…し…死にたくない…死にたくないです…」


 俺は涙を流し、鼻水も垂らして、できるだけ悲痛な表情で命乞いをした。


『あらあらあら…グフフフフ…そんな貌をされちゃあ…たまらないですねぇ…。ちょっと順番ぬ・か・し』


 ジリ…ジリ…。

 

 今度は俺の方へとにじり寄ってくる変態黒山羊。

 俺は続けた。


「ど…どうあっても助からないというのなら、どうか…どうか人生の最期に真実を教えてください…。お…お宅は、なんであのお爺さんの中にいたのですか?…たまたまの通りすがり…なんですか…?」


『グフフフフ…これから素晴らしい出来事が待っている坊やだものね?お兄さん、教えてあげちゃおうかな』


 変態黒山羊は、指を頬に当てて首をかしげながらそう言った。

 どうでもいいけど、お前お兄さんなんかい。


『私は喚び出されたのですよ。悪魔召喚・・・・って言うんですけど、坊やにはちょっと難しいでしょうか?グフフフフ…』


 ほう。


「あ…あなたのように恐ろしい方を喚び出したのは、一体…?」


『…グフフフフ…。雇い主の言うことはちゃあんと聞かないといけない決まりでしてね。私これでも従順な悪魔なんですよ?坊やはピケットさんってご存知ですか?私と契約して、あそこに眠っているご老人を抹殺する計画だったみたいなんですよねぇ…』


 ほほう。


「…ピ…ピケット…だと…!?…ピケット侯爵か…。お…おのれ…おのれ、あの豚めぇ…!!」


 ピケット侯爵…?

 血まみれのヴィンセントは、拳を握りしめ、歯がみする。

 俺は全く知らん人だが、何か心当たりでもあるのか?


「…な…なんのために…?」


 俺は尻餅をついたまま、後退りをする。

 変態黒山羊も、そのまま歩をすすめる。


『…さぁ、なんのためでしょうかねぇ?私は人間の目的になど興味はございませんねぇ…。面白いことができればそれでよいので…。さぁ、もういいですか坊や。私ね、あなたを見ているとそれはもう、我慢できなくてねぇ…。あなたの大事な部分を切り取って、ペロペロ舐めて…味や食感を楽しんで…グフ…グフフフフ…!』


 ここまでかな。

 もうそろそろ問答無用でぶっこんできそうだわ、この変態黒山羊。

 まあ、俺の方もそろそろ見るに堪えんわ。


「…いよいよ終わりかぁ…。さ…最後に1つだけ教えてください…。お…お宅も攻撃されると、痛かったり、苦しかったりするのでしょうか…?」


『グフフフフフ!!もちろんですとも。召喚されたとはいえ、私もこの現世うつしよに受肉した身。もともと闇の塊のこの身は、光の魔力にはとーっても弱いんですよ?…ただし、人間程度が使う光の魔力など、私にとっては寧ろ心地よいマッサージ程度にしか感じませんけどねぇ』


 変態黒山羊は黄色い歯を剝き出しにしてニィ!と笑った。

 ははは、いいこと聞いた。


「そうですか、それを聞いて安心しました」


 俺はスッとその場に立った。

 そろそろ怯えるふりをするのも疲れてきたし。

 魔法で涙や鼻水の演出をするのにも飽き飽きしたところだ。

 

 俺は水と光の魔力を勢いよく、身体の中で急速に練り込みはじめる。


「マッサージ程度ですが、どうぞ」


『うん…?どうしました?ついに、恐怖で頭がおかしくな…』


 パチン。


 俺はフッと笑って小さく指を鳴らした。

 すると。


 ザッパァン!

 ジュウウウウウウウウウウ!!


『ぎ…ぎぃやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!?』


 変態黒山羊の上から落ちてきたのは、光魔力増し増しの水。

 

 お宅ペラペラしゃべってくれたよね?

 エリクサーにびっくらこいたとか、光魔力に弱いとかさ。


 ブシュウウウウウウウゥゥゥ…!!


『ああ!!あづ…あづあづ…熱いいいいいぃぃいぃぎぃい…!!!』


 変態黒山羊の全身から立ち昇る真っ白な煙。

 変態黒山羊は苦しそうに、床をのたうち回る。

 どうやら、気持ちのいいマッサージだったようで、よかったよかった。


「…お宅、踊りを見るのが好きなんですよね?でしたら今日は、せっかくの機会ですし…思う存分、ご自分で踊りを堪能して…逝きませんか?」


 俺は爽やか笑顔で、変態黒山羊にそう告げる。

 俺の数少ない友達を傷つけた罪は重いぜ…?


 俺は右手で拳銃の形を作り、自分のこめかみに当てると、小さく「BANG…」と呟くのだった。

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