第35話 扉の向こうに待つモノは

「着いたぞ、ここだ…」


 ヴィンセントはそう言った。


 俺たちは今、廊下の突き当たりに設けられた部屋の前に立っていた。

 他の部屋よりも一際大きく、凝った作りの扉。

 おそらくはこの邸宅の主人の寝室として作られたのだろう。


「もう一度言う。この扉の中を見たら、お前たちはもはや後戻りはできない。それでもいいのだな?」


 扉の前の俺たちにヴィンセントはそう言った。

 何故か部屋へ入る前から、その額に若干汗を滲ませている。


「この中の事情を知る者は、我々グレイトウォールの人間と、極々一部の信頼できる古参の使用人のみ…もしも他言しようとするなど、何か不穏な様子が認められれば…続きは言わずともわかってもらえるな…?」


 場に緊張した空気が漂う。

 なんだろう?

 この扉の向こうに一体何がいるって言うんだ?


 もしや、中で鶴が機織りでもしてるとか?

 羽が薄くなる度にポーションで回復させて、ほらほら、キリキリ働け!的に延々と作業をさせているとか…?

 ひゃ!鬼畜!!

 確かに外には出せない事情だわ!


「僕は大丈夫ですよ」 


 あほな想像をして、ちょっと笑いそうになりながら、澄ました顔で答えた。

 どんな時もユーモアは必要だよね。


「うちもかまへんで。けど、スーケとカークは部屋に入らんと、ここで待っといてくれへんか?」


「えっ…ここまできて何故です、お嬢」 


「ちょ…お嬢!?」


 スケさんカクさん…じゃなく、スーケさんとカークさんにそう言ったユリ。

 当然2人はユリに詰め寄る。


「あのな…?公爵家の方が、うちらにこんだけやめといた方がええんちゃうかって言うとるねんで?この中に入って、わーい楽しいな、ルンルン!ってなるわけないやろ?ヴィンセント様には申し訳ないけど、うちの勘やと多分ロクな事ないで」


 腰に手を当て、片目をつむって首を傾けながら、ユリはため息をつく。


「…道理だな」


 ヴィンセントも目を閉じて相槌を打つ。


 …ま、そりゃそうだわな。

 実際俺もこの扉の向こうから、何か気持ち悪い気配をムンムン感じている。

 生温いというか、なんというか、まあ人を不快にさせる何かがあるには違いない。


「せやからな、この部屋ん中に入りさえせえへんかったら、少なくともあんたら2人だけは大丈夫っちゅう訳や。そういう解釈でよろしいですね?ヴィンセント様」


「そうだな。扉の中の事情に触れない者に対し、我々としては縛り付ける理由は何一つ無い」


 ヴィンセントはあっさりと肯定する。


「だそうや。うちは何もあんたらをのけもんにしよ思とるわけやない、信頼しとるからこそや。もしこん中でうちに何かあってみぃ、誰がエチゼンヤ商会を助けてくれるんや、盛り立ててくれるんや?家におるおとん助けてくれんのは、あんたらしかおらへんやんか」


「そ…そこまで心配してんなら、お嬢も無理に入んなくても…」


 カークさんは不安そうな目でユリを見つめる。

 しかしユリは即答した。


「そらできん!うちはエチゼンヤ商会の娘や。たしかにお金は大事やで?そう、うちはお金が好きや、うんめちゃくちゃ好きや…あぁ…さっきもろた金貨のことを考えとったらよだれが…って何言わせんねん!はよ止めんかいな」


 よ…よっぽど、お金が好きなんだな…。

 さっきは報酬貰いすぎ!とかなんとか言ってたくせに、しれっと受け取ったことにしてるし。

 商魂たくましい…。


「まあお金も大事やけどな。それよか、こん中には回復のポーションを必要としとるお客様がいらっしゃるんや。ほなら他にも、うちに何かできることがあるはずやろ?そない考えてしもたら、うちは、よう引き返さへん。これは単なる一商人としてのわがままや。ごめんやで、2人とも」


 ユリは胸を張ってそう言い切った。

 にっこり笑うその笑顔に迷いはなく、寧ろ清々しい。


「はぁ…わかりました、お嬢。ですが、危ないと思ったら即逃げてくださいよ…エチゼンヤ商会にはお嬢が必要なのですから」


 諦めたようにスーケさんはため息をついた。


「ほんっと、言い出したらテコでも動きゃしねえんだから…気付けて頼みますよ?お嬢」


 カークさんもそれに続く。


「シロ、お前もここに残っておいてくれ。なんかあった時はスーケさんとカークさんを頼むな」


 俺はシロの頭を撫でてお願いする。

 シロは俺に体を擦り付け、喉を鳴らして応えてくれた。


 そのやり取りを優しげな目で見ていたヴィンセントは、一息つくとまた険しい表情に戻った。

 いよいよか。


「話はまとまったようだな。では行くぞ」


「お願いします」


「よっしゃ、なんでも来いや」


 ガコン…。


 ヴィンセントは重い扉を開いた。

 そして俺たちはヴィンセントに続き部屋の中へと入ったのだが…。


(…これは…!?)


 俺は部屋に入った瞬間、強烈な違和感に襲われた。


 なんだこの仄暗い部屋は…?

 外は昼間で、窓の外からも日の光が差し込んでるのにもかかわらず、なぜこんなに暗いんだ?

 これは闇の魔力…?

 いや、魔力というよりも、闇そのものが具現化したような…。


「な…なんやのこの部屋…。ちょっとレイン君…?なんか雰囲気おかしない…?」


 俺の肩あたりを思いっきり握りしめるユリ。

 痛い…けっこう痛いからね?


 そんな俺たちを尻目に、ヴィンセントは部屋の奥に設置されたベッドの方へと歩いていく。


(感じる…。ベッドの方へと近づくにつれ、闇が深くなっていく…)


 ベッドの上には誰かが寝かされていた。


 誰だろう…。

 顔こそよく見えないが、えらく黒っぽいベッドに寝かされているのだけはよくわかる。


 ヴィンセントはそこに寝ている誰かに話しかけた。


「お祖父様…ヴィンセントが参りました…お祖父様…」


 お祖父様…?


 静かにそう言ったヴィンセントに続き、俺やユリもその横へ立ったのだが…。


「「…!!」」


 ヴィンセントがお祖父様と言って呼びかけた人。

 そこには確かに痩せこけた高齢の男性が寝かされていた。

 しかし…これは…。


「ヴィニーか…よく来たな…」


 お爺さんは、薄っすらと目を開けてヴィンセントの方を見ると、しゃがれた声で苦しそうにそう言った。

 しかし。


 その瞬間、俺は戦慄した。

 ユリも口を手で押さえ、絶句している。


 ヴィンセントの愛称を発したお爺さんの口から、どろりとドス黒い粘着質の血液のようなものが流れ出したからだ。


 だが、口からだけではない。

 掛け布団から出ている両手、ここからもドス黒いものが少しずつ流れていた。

 しかも驚くべきことに、俺たちの目の前で、小さな傷が次から次へと増えていくではないか…。

 そしてまたその新しい傷口からドス黒いものが滲み出る。


(これは血…なのか…?…そしてこれは黒っぽいベッドではなく…お爺さんの身体から流れ出たもののせいで、白いシーツが黒く変色していたのか…しかも傷が…増えていく…)


「友達と一緒か…ヴィニーよ?…ゴホ…何もこんな汚らしいわしの所へ来ずともよかったろうに…」


 お爺さんはそう言って一息つくと、上を向いて目を閉じた。


「驚いたろう…2人とも…?この方はライアン・グレイトウォール公爵…私の祖父だ…」


 ヴィンセントは俯いたままそう言った。


「ライアン公爵て…この国の財務局のトップやないの…。…病気…ですか?でもこの様子は…」


 驚くユリ。

 しかしユリは気丈に振る舞ってはいるが、全身から汗が吹き出し、その手も震えている。

 確かにユリみたいな普通の人には、この状況はあまりにきついだろう。


 例えるなら、極寒の南極に薄着で放り出されたような、そんな感覚。

 もちろん実際に気温が低いわけではないのだが、訳の分からない悪寒が全身を襲うのだ。

 …そしてごめん、マジで申し訳ないけど、俺もめちゃ吐きそうです。


「これは…何かの呪いですか…?」


 俺はヴィンセントに問う。


「呪い…なのだろうな…」


 しかしヴィンセントの答えは歯切れの悪いものだった。

 原因はわかっていないのか?


「呪いて…そんな…」


 ユリもヴィンセントとお爺さんを交互に見ている。

 その間も少しずつ、少しずつ、だが確実に傷は増えていく。


「治せども治せどもこうして傷が増えてゆく…。おまけに治癒の魔法もなぜか全く効果がない。ゆえに私はポーションを、そしてより効果の高いハイポーションを求めたのだ…」


「成程…そうだったんですか」


 確かにお爺さんの雰囲気はおかしい。

 エルフの村に張られていた幻惑の結界とはまた違ったものだが、お爺さんの身体全体を、何か魔法の効果を阻害するような、嫌な膜が覆っているような感じがする…。


(全力で治癒魔法をかければ、この嫌なモノを突き破って回復させることができるかも知れないが…。お爺さんの肉体が、その反動に耐えられそうにないか…)


「お祖父様は清廉にして堅実なお方でな…。国の財務の全権を任されている身だ、当然私腹を肥やす輩などは厳しく処断していたよ。私もお祖父様に、財務の何たるかを1から叩き込んでいただいた」


 ヴィンセントはお爺さんを見ながら、拳をきつく握りしめる。


「そんなお祖父様だ…肥太った悪徳貴族どもの賄賂や甘言などには一切耳を貸さず、誤った既得権益を廃止し、緊縮財政に奔走されていたよ…。だがお祖父様のような方がいれば、やはり少なからず、それをよく思わない愚か者もいる…」


「恨みを買った…というわけですか」


 酷い話だ。

 身を粉にして、日々真面目に働いたら恨まれて…挙句の果てにこんな呪いまで受けるなんて…。

 こんなの絶対許されねぇだろ…。


「ちょっと前に噂があってん…」


 唐突にそう呟いたユリ。

 俺とヴィンセントはユリの方を見た。


「もうすぐ財務卿のライアン様は退任され、グレイトウォール公爵家も、財務担当の任を解かれる…。だから王都の商家は全部、後任とされる貴族様の傘下に入るべきやと…」


 ヴィンセントは目を見開き、ユリの言葉に絶句する。

 俺は固まったヴィンセントの代わりに尋ねた。


「ユリさん、その後任の貴族というのは…」


 だがその時だった。


「ヴィニー…ヴィニーはまだおるのか?」


 お爺さんが弱々しく口を開いた。

 …お爺さん、目が…。


「はっ!お祖父様、ヴィンセントはここに!」


「…そうか。国の財務はどうだ?順調か…?」


 上を向いたまま、声を絞り出すように話すお爺さん。

 その視線は定まらず、ふらふらと天井を彷徨う。


「はい、問題ございません。父上や兄上ともども、王国のため、そして国民のため、日々励んでおります」


「そうか…それはよいことだ…。…ヴィニーよ…」


「はい…」


「今のわしが言うのもおかしいが…決して無理はせず、己の身体を十分に労わるんだぞ…よいな…?…わしの自慢の…孫…よ…」


 最後にそう言うと、お爺さんはまた目を閉じた。

 眠った…というよりも、これは恐らく気を失ったのだろう…。


「承知いたしました…お祖父様…」


 ヴィンセントの両目から、一筋の涙が流れた。


「…毎日この繰り返しなのだ…。目覚めては気絶し、話しては気を失う…。…レイン…、お祖父様はな、それはそれは厳しいお方だったよ…」


 ヴィンセントはベッドの側でしゃがみ込むと、その両手でお爺さんの手を優しく握った。

 生まれたての赤ん坊の手を握るように、優しく。


「ええ」


「だがその厳しさの中には、家族への確かな愛情があった…んだ…」


 ヴィンセントの声が途切れはじめた。


「…」


「私は…何としてもお祖父…様を救って…あげたい…王国の…財務云々……ではなく、ただの………祖父と孫として…。どうか…ど…うか……助けて………くれないか……頼む…」


 ヴィンセントの目から、堰を切ったように溢れ出した涙。

 嗚咽とともに、その言葉も途切れ途切れになる…。


「ええ、ぜひともお救いしましょうとも」


 俺はヴィンセントの肩に、ぽんっと手を置く。


「そやで、ヴィンセント様!そのためにうちらが来たんやんか!」


 ユリもそう言ってヴィンセントを励ます。


「…すまない…。ありがとう」


 ヴィンセントは袖で涙を拭った。


「さぁ、ヴィンセント様。そのポーションを飲ませてあげてください。内服しても効果が顕れるのは実証済みです」


「確かにレイン君のポーションはめちゃめちゃ美味しくて、うちの骨折も綺麗さっぱり治りましたわ!絶対効く思います!」


「うむ…そうだな。君たちが嘘をつくはずもない。ではさっそく…お祖父様、失礼いたします」


 そう言ってヴィンセントは、その腕にお爺さんを抱き上げ、口からポーションを飲ませる。

 抱き上げられたお爺さんの身体も、まるで枯れた木の枝のように痩せ細っており、いかにも軽そうなその様子に、なお一層胸が痛む。


(上手く飲めるといいが…)


 俺はユリとともにしばらくその様子を見守っていた。

 すると。


 パァァァァァ…!


 ベッドで横になるお爺さんの身体が、白く輝き始めたではないか。

 すると間も無く、見る見るうちに、大小生々しく刻み込まれていた傷が消えていく…!


「お祖父様…!傷が…!?」


「ひ…光っとるで!?うちが飲んだ時には、こんなんならへんかったのに…!」


 目を丸くするヴィンセントとユリ。


(この光は…俺の光の魔力が、お爺さんの身体の中の闇を中和しているのか…?)


 そして。


「すぅ…すぅ…」


 なんと、すっかり傷が消えて血色の良くなったお爺さんは、穏やかな顔で眠り始めたのだった。


「レイン…!お祖父様が…お祖父様の傷が消えて、こんなにも安らかな寝顔に…!!」


 ヴィンセントは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも、眩しいくらいの笑顔を俺に向けてくる。

 本当に嬉しいんだな…ぐすん…。

 よかったな…しくしく。


 けどな。

 けどなぁ、ヴィンセント。

 俺はまだ何かおかしい気がするんだ。


(確かにお爺さんの傷は消えた…。けどこの部屋の異様な空気と仄暗さは消えていない…!)


 その時だった。

 俺たちの目の前で信じられない出来事が起こった。


「うぐっ…ぐうう…うぐあぁぁぁ!!」


 突然お爺さんが奇声を上げて苦しみ出したのだ。

 そして。


 ガタン!ガタン!!

 ビクン!ビクン!!ビクン!!


「ガボ!ガボガボガボガボ!!」


 ドバッシャアアアア!!


 お爺さんは、痩せ細った身体がそんなに動くの!?というぐらいその身体を激しく痙攣させたかと思うと、なんと口からドス黒い液体を大量に吐き出し始めたのだった。


 ひええええええええ!!?

 なんじゃこりゃあああ!!

 まるでホラー映画じゃないか!!


(ポ…ポポポ…ポーションの副作用じゃないよねぇ!!?)


 あまりのことに顔をひきつらせてビビる俺。

 ユリも同じく吐きそうなのだろう。

 ハムスターのように頬を大きく膨らませて青い顔をしている。


「お…お祖父様!お祖父様!?」


 取り乱すヴィンセント。

 そ…そりゃそうだわな。


 ドスンッ!


 ドス黒い大量の液体を全て吐き出したのか、お爺さんはピタリとその動きを停止させると、再びベッドへと沈んだ。

 呼吸は確認できる。


(ほっ…大丈夫、生きている)


「レイン…これは一体…」


 そう言いかけたヴィンセント。

 だが。


(…!!)


 な…なんだこの禍々しい魔力は…!?


 俺はヴィンセントを無視し、お爺さんが吐き出した大量のドス黒い液体を凝視していた。


「ヴィンセント様!あれを!!」


「なっ…なんだこれは…!?」


 ボコ…ボコ…ボコボコボコボコ…!!


 なんと今度は、床に撒き散らされたドス黒い液体が、俺たちの前でどんどん一箇所に集まっていく…。

 それだけじゃあない。

 その部屋に満ち満ちていた、気色の悪い瘴気のようなものまでもが収束され、何かを形作ってゆく…。


「おえぇぇ…もうあかん…。なんやの…これ…?」


 涙目のユリが口を押さえながら、俺とヴィンセントの後ろに隠れる。

 ヴィンセントの全身からも汗が吹き出しているのがわかる。


『ブヒュー…ブヒュー…』


 それは確かに立っていた。

 俺たちの前に立っていた。


 人…?

 いや違う。

 形としては近いのかもしれないが、これは人ではない。

 断じて。


『ブヒュー…グ…グフ…グフフフフフ…』


 耳障りな呼吸音と下卑た笑い声が、仄暗い部屋の中に不気味に響いていた。

 おえ。

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