第25話 月下の決意

 すっかり日が落ちたブリヤート大草原。

 昨日の夜までなら、そこに聞こえてくるのは、虫や小動物の囁き程度。

 誰もが余計な体力は使うまいと、すぐに寝静まっていた。

 しかしながら、今宵、ブリヤート族の集落は、歓喜に満ち満ちていた。


「おーい、酒だ!酒がもう無いぞ!」


「うるさいよ!飲みたきゃ自分で取ってきな!あたしらだって飲んで騒ぎたいんだ!」


「こんなに楽しい夜が戻ってくるなんて、夢みてぇだな!」


『ゲッギャア!ゲッギャア!』


 どうやら皆、思い思いに楽しい時間を過ごしているようだ。

 地龍たちも、豪勢な肉や、俺が作り出した水を存分に堪能している様子。

 いやー、役に立てたようで、よかったよかった。


(ししし…。んじゃあ俺も、ちょっと一口…。久しぶりのお・さ・け…)


 見るからにうまそうな、ブリヤート族特製の地酒に手を伸ばす俺。

 しかし。


「おいおい。お前の国では子供でも酒を飲んでいいのか?」


 あともう少し…という所で、少し酒に酔ったホランに、伸ばした俺の右手を掴まれてしまった。

 なにするんや!?

 ちょっとぐらいええやないかい!

 おっちゃんはなぁ、もう10年以上もお酒飲んでないんやで…?


「…いやぁ…。お酒って飲んだことがないので、どんな味がするのかなぁ…と。てへへ」


「ダメだダメだ!子供の身体にゃあこの酒は強すぎっからな。もっと大きくなってからにしておけ。ヒック…」


「そ…そうです…よねぇ?…お気遣いありがとうございます…はぁ」


 しくしく…。

 なんか一見豪快だけど、存外に真面目なんだな、このお姉さんは。

 自分はヒックとか言ってるくせに…。

 まあ仕方ない。

 郷に入っては郷に従え…か。


 俺の目の前には、集落で家畜として飼っていた羊の肉をはじめ、たくさんの美味しそうな料理が所狭しと並べられていた。

 人々は、それぞれ何箇所かに別れ、中心の火を囲むように地面に座りながら、思い思いに料理や酒を楽しんでいる。

 そして俺は族長のマッチョバゼルやキャシャーンセルジ、そしてセルジの妹ホランと同じ場所にいた。


 うちのシロはと言えば、既に子供たちのマスコットキャラとして定着したのか、その背中に小さな子たちを何人も乗せたりして、みんなを楽しませているようだ。

 しかしよく見ると、美味しそうな肉を子供たちの手から食べさせてもらっていた。

 …ちゃっかりしてんな、お前は!


「わっはっは!今宵は無礼講ぞ?飲ませてやればいいではないか!」


 バゼルは既にばっちり出来上がっている。

 酒は浴びるように飲むし、料理に関しても、わしの胃袋は宇宙だ!とでも言わんばかりに、食べる食べる。


「だーめーだ。父さんはその辺が甘いんだよ!ケジメをつけるところはつけなきゃ!子供に酒なんてもってのほかだし、大人だって飲みすぎはいけないんだよ!うぃー…ヒック…」


 ちぃっ!

 真っ赤な顔して、どの口が言うんだか…。

 うらやましい…。


「なぁ、兄貴もそう思うだろ?」


 ホランは赤い顔をしながら、コップをセルジの方へ向けて絡んでいく。

 お姉さんお酒くさーい。


「ふんっ。俺は別にどうだっていい…。飲みたければ勝手に飲めばいいじゃないか…」


 セルジは俺やホランに目を合わせようとはせず、コップを置いてその場に立つと、そのまま歩いてどこかに行ってしまった。


「…はぁ、兄貴ったらよぉ…。昔はあんなじゃなかったんだけどな…」


 そんなセルジの後姿を見送ると、ホランは俺の方を見ながら大きくため息をつき、肩をすくめた。


「へぇ、そうなんですか?よろしければ、詳しく聞かせていただいても?」


 真面目な顔でホランの目を見る俺。


「…おい、なんだその手は」


 そう言いながら、こっそり地酒に手を伸ばした俺の手を、ホランが目ざとく指摘する。


「あ…あれ?いけない手ですね。めっ」


 パチンと手で手を叩く俺。

 あぁ、何してんだ俺。


「ぷっ…くく…あっはっはっは!面白れぇなぁ、お前は!こんなに笑ったのは久方ぶりだわ」


 ホランは何かがツボにはまったのか、腹を抱えて笑っている。

 まあ酒の影響もあるのだろうが。

 しかしうらやましいぜ…ちくしょう。


 そしてもう一度大きく酒を呷ると、ホランは小さな声で話し始めた。


「兄貴とあたしと…あと昼間ごちゃごちゃ言ってたバートル。実は幼馴染でさ。年が近いこともあって、いつも3人で遊んでたんだよ」


「ほぉ。それはまた…」


 バートルは離れた場所で、地龍部隊のみんなと大騒ぎをしていた。

 でっかい笑い声はここまで聞こえてきている。

 セルジとは正反対のタイプに見えるが、幼馴染とはなぁ。


「バートルの奴はああ見えて、昔は優しくてな…。あいつ両親を早くに亡くしててさ、うちの家であいつを引き取って育ててたんだよ。それでいつもあいつは、セルジはいつか族長になるんだから、俺やホランはそれを助けて、ブリヤート族のみんなを護るんだ!!なんつってよ…。ちょっと今の様子からじゃ想像できねぇだろ?」


 ホランは意地の悪い笑いを浮かべながら、それでいて少し寂しそうに話をした。


 それにしてもあのバートルがそんな殊勝なことを…。

 ほんとにござるかぁ?


「けどよ、ある時からそういう関係に少しずつ変化が出始めちまったのさ」


 ホランは自分のコップにもう一杯、地酒を注ごうとする。


「どうぞ」


 そこで俺は、先にホランのコップに酒を注いでやった。


「お、悪ぃな。…んん?…なんかお前、酒の注ぎ方が堂に入ってんな」


「え!?あ…あぁ、お気になさらず。実家では父によくお酒を注いでますので」


 飲み会では先輩に仕込まれましたからねぇ。

 ビールはラベルが上に来るように持てだとか、逆に先輩にビールを注いでもらったら、最後はコップをさかさまにして泡まで手に落として飲めとかなんとか…。

 当時は色々と思う所もあったけど、今は懐かしい思い出だぜ。

 ビール…ビールなぁ、飲みたいなあ…。


「その関係性の変化というのはつまり…」


 心の中では若干ビールの喉越しのことなどを考えつつ、俺はホランに問いかけた。

 ごめんね、ちょっとだけビールのこと考えてて。


「あぁ。あたしやバートルは戦士。そして兄貴が魔法使いだと分かった時ぐらいからだな…」


 成程ねぇ。

 自分はスーパーマッチョバゼルのように強いブリヤート族の戦士になりたかったのに…といったところか。


「あたしは兄貴が魔法使いだろうがなんだろうが気にしやしなかったさ。父さんも少し残念そうにしてたが、あとは本人の努力次第だ、つって励ましてたよ。…バートルだって同じだった。落ち込む兄貴をずっと励ましながら、毎日一緒に体を鍛えていたぐらいだしな」


 うぉ…ちょっと目からエンシェントドラゴンの鱗だな。

 そんな関係性だとは想像もつかなったぜ…。

 そうか…、だからあの時バートルはあんな目を…。


「ところで、ブリヤート族の皆さんは、戦士や魔法使いっていうのはどのようにわかるんです?鑑定でもしてくれる人がいるんですか?」


「いや?鑑定とかそういうのはしたことねぇなあ。けどなんとなくわかるだろ?うちの家系なんかは特に戦士ばっかなんだよ。父さんは見たまんまだし、あたしだって集落の男の誰よりも強いんだぜ?」


 ホランは笑顔で胸を張りながら、右手で力こぶを作る真似をする。

 しかしバゼルはまだしも、このホランの細腕から、昼間バートルを圧倒したような力が出せるとは思えないんだけどな。


「それはすごいですね。あともう1つ教えてください。ブリヤート族の方々は、今回うちの家を訪ねて来てくださいましたが、他の国なんかとも交流はあるんですか?」


「あたしの知ってる限り、父さんや、死んだじいちゃんの代とかでも、そういうのは全く無いと思うぞ。最近は時々帝国の奴らが集落に来て、なんかごちゃごちゃ言いいながら父さんと喧嘩してるのは見たことがあるけど、交易とかそういうのは、どこの国ともないなぁ。…誰にも縛られず、誰にも従わない。それがあたしらブリヤートの民の、古くからの信条なのさ!」


 成程。

 帝国が訪ねて来て…という下りが若干気になるが、まあいい。

 とにかくブリヤート族は、他の国とはほとんど交流がなく、独自の文化・独自の物事の解釈で突き進んできたってわけだな。

 …これらの事実から導き出される結論は…。


「ぐごー、ぐごー、むにゃむにゃ…」


 いつの間にか爆睡してしまっていたバゼルに、ホランがそっと毛布をかけてやる。

 バゼルもブリヤート族の多くの命を預かる身として、今の状況には相当心を痛めていたんだろう。

 そりゃ多少開放的な気持ちにもなるってもんだ。


「ははは、父上寝ちまったよ…」


「お疲れだったんでしょう。明るく振る舞ってはいらっしゃいますが、その双肩には、ブリヤート族の皆さんの運命を背負ってらっしゃるんですから」


 バゼルのその姿に、俺は父グレンを重ねた。

 …昼間バゼルは、泣きながら俺に礼を言ってくれた。

 こんな小童に、こんなでっかいバゼルが頭を下げた。


(大変なんだろうな…族長っていうのは。そう考えると、うちの父もすげぇよな…。毎日苦労して領内の平穏や領民の安寧のことを考えてさ…。やっぱり、悩んだり苦しんだりしてんのかな…)


「…昔みたいに…みんなで…仲……良く…で…きねぇかなぁ…」


 少し震えた声のホラン。

 俺はそちらへ視線をやる。

 

 …ホランは泣いていた。

 腕っぷしは強くとも、きっと精神的にはまだまだ子供だ。

 仲が悪くなってしまった兄とバートルとの間で、ホランもきっと苦しんでいたんだろう。


 加えて今回のこの騒動…。

 族長の娘っていう立場も後押しして、ホランも相当こたえていたはずだ。


「…ははは、わりぃわりぃ。酒が回っちまってな!…まだ、枯れちまった湖のことも解決してねぇのに泣いてられっかってんだよなあ…?」


 ホランは酒の入ったコップをくるくる回しながら、さっと腕で涙を拭き、照れ笑いを浮かべる。

 そこで俺はホランに言葉を掛けた。


「…ホランさん。湖に関しては、僕にいくつか考えがあります。また明日にでも話しますよ」


「え…ほっ、ほんとか!!?」


 ガバッ!っとホランに両肩を掴まれ、ぐわんぐわん揺すられる。

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…。

 おーい、この状況なんか前にもあったぞ。


「うおっと、すまねぇ。つい興奮しちまった。けど…本当に枯れちまった湖がなんとかなんのか?」


 ホランが真剣な眼差しで見つめてくる。

 俺はその眼を見つめながら、スッと立ち上がり、笑顔で言った。


「大丈夫。湖のことはきっとなんとかなりますよ。…でもその前に、僕の魔法だけでは解決できないことを、まず解決しないといけませんよね?」


 ホランは肩眉を上げて首をかしげ、尋ねてきた。


「お前の魔法で解決できないこと?そりゃ一体…?」


 ※※


「こんな所にいたんですか、セルジ殿。皆さんとお酒は飲まれないんですか?」


 俺は集落から少し離れた、ゴツゴツした大きな岩が転がっている場所で、一際大きな岩に寄りかかり、1人佇むセルジを見つけた。

 集落の喧騒がここまで聞こえてくる。


「ふん…、そんなの俺の勝手だろう…。何か用か?」


 セルジは相変わらず不機嫌&不愛想だ。


「ホランさんから色々聞きましたよ。家族同然に育ったバートルさんとも、昔は仲が良かったこと。落ち込んでいたあなたと一緒に、訓練に励んでいたこととか諸々。他には…」


「…黙れ!!」


 セルジは突然大声を出し、ものすごい形相で俺を睨みつけながら、両手で胸倉を掴んできた。


「…ホランの奴が何を言ったかは知らんが、お前には何の関係もないこどだろうが!!よそ者は黙っていろ!!それともここでぶん殴ってわからしてやろうか!?あぁ!!?」


 月明かりの下、セルジの怒号が響く。

 胸倉を思い切り掴まれているせいで、俺は強制的に上を向く格好になっている。

 しかし俺の視線は、熱くなっているセルジの横を通り抜け、遙か空の上にあった。

 

 …暗闇にぽっかりと浮かぶ満月。

 この世界の月は、地球のそれよりもかなり大きい。

 その様子を見ると、改めてここが異世界なんだと認識させられる。

 

(…妹は…今も地球で暮らす俺の妹は元気にしているだろうか…)

 かつて生きた世界の妹と、ホランの姿が不意にシンクロする。


「…ホランさん…泣いてましたよ…?」


 俺はぽつりと呟いた。


「———————!!」


 セルジの目が大きく見開かれた。

 俺は、自分の胸倉を掴んでいるセルジの両手首を、今度は自らの両手で掴む。

 同時に魔力を練り込んで、徐々に徐々に、自分の身体を無属性の魔力で強化する。


「セルジ殿はホランさんのお兄さんですよね?差し出がましいことを申しますが、妹を泣かす兄…というのは、ちょっとどうなんでしょうか…?」


 俺はセルジの両手首を強く握りしめ、無理矢理に身体から引き剝がす。


「…ぐっ!?…小さなお前の…どこにこんな力が…?」


 セルジは、自分よりも小さな俺に力で圧倒されたことに驚愕する。

 俺は静かに続けた。


「…兄というのは、身体を張って妹を守ってやるもんじゃあないでしょうか…。少なくとも僕はそう思っています。…兄が妹を泣かすなんて、僕には到底理解できませんね…」


 俺は吐き捨てるようにそう言うと、掴んでいたセルジの手を解放してやる。

 しかし俺のその言葉に何かのスイッチが入ったのか、セルジの顔色が一気に変わり、強く強く拳を握り締めた。


「…お前に…お前なんかに…何がわかる!!」


 セルジが俺に向かって猛然と殴りかかってくる。

 だが。


 ピシッ!


「…な……なん…だと…!!」


 セルジが渾身の力で俺の左頬に向けて突き出したであろう、右の手拳。

 しかしその拳が俺に届くことはなかった。

 それどころか、セルジの拳は、俺の左手の人差し指ただ1本で止められていた。

 当然だ。

 魔法で強化した身体に、生身の攻撃なんて効くはずがない。


 セルジの額に噴き出る汗、それが頬を伝って流れる。

 目の前の信じられない光景に、セルジは言葉を失っていた。


「…本気で殴る気あるんですか?」


 俺は棒立ちのままのセルジの横をゆっくりと通り抜け、セルジが最初にもたれかかっていた、大きな岩の前に立った。

 さらに魔法による肉体の強化を促進する。

 そしてセルジが俺の方を振り返った瞬間。


 ドッガアァァァァン!!


 俺が放った右の拳は、目の前の岩の大半を木っ端微塵にした。

 己の理解を超える光景に、もはやセルジは驚愕を通り越し、自身が夢でも見ているかのような錯覚に襲われていた。


「どうせやるなら、これぐらい気合いれろよ!セルジ!!」


 俺は思い切りセルジを怒鳴りつけた。

 少し間が空き、セルジは振り絞るように言葉を発する。


「…お…お前は…お前は…魔法使い…なんだろ?違うのか…なんなんだよ…お前は…」


 ガクッと膝をつき、そのまま両手もついて四つん這いになるセルジ。

 そんなセルジを見下ろしながら、俺は尋ねた。


「なぁ…。強くなりたくないか?…セルジ」


 セルジはハッとしてその顔を俺に向けた。

 月明かりに照らされたその顔は、こらえきれない涙に濡れていた。


「…俺が…なれるのか…?…お前のように、強く…なれるのか…?」


「…なれるさ、セルジ。魔法使いだからこそ・・・・・・・・・なれるんじゃねぇか」


 セルジは飛び起き、再び俺の胸倉を掴む。

 だが今度はセルジの瞳に怒りや憎しみは感じない。

 寧ろ悲壮な決意をその眼に浮かべている。


「頼む…。俺を…俺を強くしてくれ…頼む…!!」


 涙ながらに、必死に頭を下げるセルジ。

 ふと気が付くと、いつの間にかシロが俺の横に来てくれていた。

 そんなシロの頬を指で撫でながら、俺はセルジに問う。


「強く…か。けどそれは一体なんのためだ?バートルを見返すためか?それとも族長の血を引く者としての責任からか?」


 俺はセルジを真っすぐに見た。

 セルジも俺の目を真っすぐに見返し、こう言った。


「ホランの笑顔……ホランが昔のように…ちゃんと笑えるように、俺は…強くなりたい…」


 嗚咽にも似たセルジの声。

 必死に振り絞ったその声。

 そんな震えるセルジの両肩に、俺は優しく手を置いた。


「頑張りましょう、セルジ殿。僕に任せてください。きっと強くなれます。そしてみんなの・・・・笑顔を取り戻しましょう」


 まったく…。

 ここで女にモテたいからです…、とかって言ってたらぶっ飛ばしてやろうと思ってたけどさ!

 妹ちゃんの笑顔を…なんて言われてほっとけるわけないじゃんかよ。

 しっかり特訓してやるから覚悟しとけよな。


 俺の言葉を聞いたセルジはその場に泣き崩れた。

 真円を描いて輝く月の下、セルジはしばらくの間泣き続けていた。

 その声は集落の喧騒に紛れ、俺以外の誰の耳にも届くことはなかった。

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