第9話 ちがう?

 牧村が微かな声で口ずさんでいたのは、夢の中の曲だった。


 彼女は音楽室で聴いている。

 だけど、あの一瞬でここまではっきりと歌えるのだろうか。


 サビを歌い終えた頃、牧村は身体を捻る。


「うっ……」

「牧村? 起きたの?」


 半目を開け、周りを確認する。麦と小春が居ない事に気づいたのだろうか。


「あれ? 麦は?」

「花火に行ったよ」


 そう言うと、我に帰ったのか目を見開いた。


「嘘? 花火は?」

「もうすこしで始まるよ……牧村、酒飲んで寝ちゃうんだから」


 頭を押さえ、首を振る。僕は飲みかけの水の入ったペットボトルを渡した。


「ごめん……」

「まぁ、別にいいけど。お互い作戦はまた次回にしようか」


「こんなの見られたら、話しかけ辛いよー」

「いやいや、牧村らしかったけどね」


 僕は、そんな事より牧村が『あの曲』を歌っていた事が気になっていた。


「あのさ、牧村は『あの曲』知ってるの?」

「なに? 『あの曲』って」

「音楽室で弾き語りしていた曲。僕が、夢の中で聴いた曲を弾いたんだけど」


 そう言うと、牧村は小さく口元だけで笑う。


「知らない。いい曲だったけど、聴いた事はなかったよ」

「そっか……」

「それがどうかした?」

「いや、何でもない」


 安心した様な、ガッカリした様ななんとも言えない気持ちが祭りの雰囲気の中に消える。


「花火、行こっか!」

「いまから? もう多分合流はできないよ?」

「いいの、折角だし見にいこうよ」


 そう言って起きあがった牧村はもう酔いが覚めたのかハキハキと歩く。


「よく浴衣でそんなにサクサク歩けるよな」

「西村さんは慣れてないからだよ」


 小春と比べてとは言わなかったのに、彼女は小春の名前を口にした。


 川沿いの花火大会が行われる予定の場所には、思っていた以上の人が溢れ返っている。真っ暗の中、それぞれが話す声を遮る様に誘導する拡声器の声が響く。


「あれ、メガホンじゃなくて、なんで言うんだっけ?」

「拡声器?」

「そう、それ!」

「それがどうかしたの?」


 僕は、拡声器をみて少し不安になる。多分夢の中でのトラウマみたいなものがまだ残っているのかも知れない。


「あれで、麦を呼べないかな?」

「貸してくれる訳ないだろ。それに、麦も流石にびっくりすると思うよ」

「そっか……」


 ヒュ〜〜〜


 ドーン!!



「うわっ、始まっちゃった」

「その辺で見れる場所さがす?」


 周りを見渡すと、1.5mほどの防波堤が見える。何人かの若者が座っているのが見えるが、まだ余裕はある。


「あれに登ろっか!」

「いいけど、その格好で登れるの?」

「大丈夫、任せて!」


 そうは言っても、Tシャツにハーフパンツにスニーカーと言う僕の格好でもギリギリだ。牧村が身軽だとしても難しいと思う。


 案の定ぶら下がった様にジタバタして、諦めた様だった。


「むぅ、先に登って引っ張ってよ」

「いいけど、浴衣汚れるよ?」

「もう汚れてるし、このまま引き下がれないよ」


 僕は先に登り50cmほどの幅を確認する。反対側にも人がレジャーシートを敷いて花火を見る人で溢れていた。


「早く!」

「幅が短いからゆっくりね、ゆっくり!」


 牧村は思ったより軽く持ち上がる、脇に手をかけ腰を上まで乗せるとようやく登る事が出来た。


「ふぅ、なんとか上がれたね」

「それはこっちのセリフ」

「ありがと、意外と力あるんだねぇ」

「まぁ、運動部だったし」


 とはいえ、明日筋肉痛になるのは確定しただろう。牧村が軽かったおかげでギリギリ上げる事が出来た。


「花火、綺麗だね」

「うん……」

「ごめんね、西村さんと見れなくなっちゃって」

「別に、牧村が言い出さなかったら結局小春と二人になる事はなかったしね」


 花火の光で時折り光る牧村の顔が恐ろしい位に美しく見える。そんな中、彼女の目から一つの線が頬を通り抜ける。


「泣いてる?」


 やはり麦と見たかったのかと思う。


「いやぁ、綺麗だよね……」

「牧村も感動とかするんだ?」

「そりゃするよ。ずっと……見たかったんだよ」


 見た事ない。感動するくらい見たかったのなら、僕は牧村と見れて良かったと思う。多分麦の前だとここまで花火をしっかり見る事は出来なかったんじゃないかと自分にいい聞かせた。


 少しづつ、上がっては消える花火。記憶でははしゃいでいてしっかり見れていなかったのだろう。この一瞬に全てをかけたような景色がライブだけで無く高校生活とも重なって見えた。


「あのさ、『あの曲』だけでいいから私が歌えないかな?」

「『あの曲』って音楽室で弾き語りした?」

「そう……」

「そんなに気に入ってくれてたの?」


 僕は、牧村が寝ながら口ずさんでいた理由が分かった気がした。『あの曲』を彼女は歌いたいと思っていたのだろう。


「だって、わたしの曲でしょ?」

「いや、僕が夢で聴いた曲だよ」


 もしかして、本当は牧村の……。


「宮園はさぁ、わたしの名前知ってる?」

「それは知ってるよ、牧村花音まきむらかのんでしょ?」

「うん。それで、気づかない?」

「なにが?」

「『あの曲』ギターのフレーズが『カノン』を入れてるでしょ?」


 ん?

 確かに、卒業式の雰囲気を出そうとしている。

 だけど……


「いや、あれは似てるけど『カノン』じゃなくて、バッハの『主よ人の望みの喜びよ』って言う曲のフレーズなんだけど……」

「えっ……嘘!?」


 いや、待てよ。確かに僕は『主よ人の望みの喜びよ』のフレーズを取り入れたリフにした。だけどコード進行がしっくりいかずスケールで繋ぐ事でまとめている。


 カノンを取り入れたら……別に持って来るのは一曲というのにこだわる必要はないんじゃ……。


「それだよ! 牧村!」


 僕はテンションが上がり牧村に抱きつく。


「これは、西村さんが見てたら……」

「違う、必要なのは牧村……いや、『カノン』だったんだよ!」


 何故か無茶苦茶に照れる牧村。

 テンションが上がった僕の頭の中にはフレーズが巡る。花火の綺麗な光が目に入りイメージの音と共に広がっていくのがわかった。


「そんなに喜んでくれるなら……」


 牧村の声に振り向く。

 その瞬間、柔らかい感触が唇に伝わった。

 頭の中の音楽が転調する。


「えっ……」

「ちょっ、なんで振り向くの!」


 今何があった?

 もしかして僕は牧村と……?


「今のはノーカン!」

「ノーカンってなんでキスしたんだよ!」

「だって、花火に夢中だったからほっぺにして驚かそうと思っただけだし!」


 心臓の音が、バスドラを踏んだ様に鳴り響く。いやでも牧村だよ。いや、牧村は学年トップクラスのルックス。いやでも……僕は。


「ごめんなさい!」

「なんで謝るのよ……嫌だった?」

「嫌じゃないというか、ご馳走様というか。学年一の美女との事故で殺されないか心配というか」


 動揺しすぎて頭が回らない。


「ご馳走様って。でも、わたしは別に特別なわけじゃないし。宮園とかと同じだよ」

「そしたら、付き合わせて頂き……」

「要らないよ! そんな責任取りますみたいなの」

「じゃあどうすれば?」

「いつも通りでいいよ、キスくらいで動揺しすぎ」


 とはいえ、僕は気になっていた。


「でも、西村さんに言うって言ったら?」

「うっ……小春に言うの? いやでも、そうだよねそれもある意味責任だよな」

「もういい。別に言わないから麦にも言わないでね?」


 僕らはこの記憶を封印すると決めた。どちらにしても付き合わないならお互い幸せにはなれない。秘密を共有した事より、小春に告白し損ねた事もあり後ろめたい気持ちになった。


 花火が終わり、麦たちと合流すると、彼はニヤニヤしながら言った。


「おっ? 二人は何があったな?」

「いや、何も無いし……」

「怪しいなぁ? 二人で花火をみてるんだぜ?」

「それは麦もだろ?」


 そう聞くと麦は小春を見る。すると小春は顔を隠す様に言った。


「知らない!」


 えっ……その反応、どう言う事だよ。

 確かに記憶では麦が小春と二人になる事は無かった。牧村が寝ていた間もふたりでずっといたのだろう。そう考えると何も無い方がおかしいんじゃ無いだろうか?

 

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