第7話
私が返事をしていないせいなのかもしれないけれど、それ以降、晃子さんからの連絡はなかった。
それで吹っ切れたのか、もしくは諦められたのか、私は何とか気持ちを切り替えて、稽古では演出家にOKをもらえる程度の演技ができるようになった。
そうして晃子さんとの連絡を絶って一週間が過ぎた頃、舞台の公演日になった。
チケットは発売日になってすぐに入手して晃子さんに渡してある。晃子さんはいつもと同じように最終公演のチケットを購入してくれていた。
金曜の夜が初日公演。翌日の土曜は昼と夜、日曜の昼と夜の全五公演だ。
晃子さんが見に来るのならば、チケットのある日曜の夜公演のはずだった。
普段より広い劇場には、普段より多い観客が並んでいた。
晃子さんに見に来てほしいという気持ちと、来ないでほしいという気持ちがせめぎ合っている。
そんな気持ちを役者の仮面で覆って、わたしは五公演を演じきった。
最後のカーテンコールで、笑顔を貼り付けてあいさつをしながら、私は客席をぐるりと見渡したけれど、晃子さんの姿を見付けることはできなかった。
普段より広い会場だから、見付けられなくても仕方がない。そう自分に言い聞かせて、他の役者たちと一緒にロビーに出た。
いつもならば、晃子さんはロビーで待っていて私に一声かけてくれる。もしも見に来てくれていたのなら、きっとロビーで待っているはずだ。
待ってくれているのなら、わたしが想像している以外の答えを聞けるかもしれない。
そんなわずかながらの期待を抱いてロビーに立つと、わたしは歩き回りながら晃子さんの姿を探した。
けれど、晃子さんの姿を見付けることはできなかった。
それは覚悟していたことだ。むしろ、見に来ているかもと期待した自分がいけないのだ。これではっきりした。区切りがついてスッキリしたじゃないか。
私はそんな風に自分に言い聞かせながら、にこやかに来場者に挨拶をして回った。
来場者をすべて見送り、片付けなどを終えた私たちは打ち上げに向かった。
それほど大きな規模ではなく、料金も良心的な居酒屋は劇団員で埋まり、ほとんど貸し切りのような状態になった。
タイトなスケジュールでの厳しい稽古を経て、舞台が無事に終わった解放感で、打ち上げはとても盛り上がった。
いつもなら、晃子さんが「羽目を外さない程度にね」などと声を掛けてくれていたが、今日はそんな制限もない。
私は好きなお酒を好きなだけ飲めるのだ。
よく考えてみれば、恋人でも家族でもない晃子さんに言われたからといって、飲む量を控えていた意味が分からない。
私は自由になったのだ。
そうして、どんどんお酒を胃袋に流し込んだけれど、なぜだか全く酔う感じがしなかった。
「かなり飲んでたみたいだし、夜も遅いから送っていくよ」
打ち上げがお開きになると五島さんがそう言って私の隣に立った。
酔っている気はしなかったけれど、少しだけ足元がふらついている感じだ。五島さんの申し出を断る理由もなかったので、その言葉に甘えることにした。
芝居の話や劇団員の話などをポツポツと話しながら、五島さんと並んで歩く。
そうして芝居の話をしていると、私はやっぱり芝居が好きなんだなと思う。そして、それ以外のことはきっと必要ないのだと思えた。
私の住むマンションの近くまで来たとき、建物の近くに晃子さんの姿を見たような気がした。
足を止めて、その場所に目を凝らすが晃子さんの姿なんてどこにもない。
晃子さんのことを忘れて楽しく飲んで話していたはずなのに、晃子さんの幻影を見てしまう自分に腹が立つ。
私が足を止めたので、五島さんも足を止めて私を見た。
「大丈夫?」
五島さんが心配そうな顔をして私を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ」
私は笑顔を作って答える。
「ならいいけど……」
「はい」
それから五島さんは少し頭を掻いて続けた。
「えーっと、久我さんは付き合ってるヤツいるの?」
「いませんよっ」
なんだか嫌味を言われているような気持ちになって、ついキツイ声を返してしまった。そして、自分が返した言葉に自分が傷ついていた。
私と晃子さんは最初から恋人ではなかったのだ。
覗き見で晃子さんの本心を知るくらいなら、好きだと、付き合ってほしいと、恋人になりたいとはっきりと伝えてきっちりとフラれておけばよかったのだ。
今の状況は、晃子さんと一緒にいられるのなら、関係をはっきりさせなくていいと考えた私の狡さだ。だからこれは自業自得だ。
「そっか……。えっと、オレさ、久我さんと一緒に芝居ができて楽しかったよ」
「ありがとうございます……」
「うん。で、これからも続けていけたらなと思ってさ。その……一緒に芝居したり、飲んだり、芝居の話をしたり……他にも色々さ」
見つめる五島さんの瞳がやけに熱を帯びている気がする。それはお酒のせいではないのだろう。
この人は私のことが好きなんだと思った。
「えっと……つまりさ。久我さんもそう思ってくれるなら、オレと付き合わないか?」
純粋に五島さんはすごいなと思った。私が晃子さんに伝えられなかった言葉をいとも簡単に言葉にしたのだ。
まっすぐに私を見る五島さんの顔を見れば、その言葉が冗談でないことはわかる。
共に芝居に打ち込むことができる五島さんとなら、これまでに付き合ってきた人たちとは違うかもしれない。
いつまでも晃子さんの幻影を追ってしまうよりも、別の人と付き合って忘れてしまった方がいいに決まっている。
「はい」
私は、そう答えて五島さんを部屋に上げた。
客演の舞台が終わってからの一週間、私は晃子さんに連絡をしなかった。そして晃子さんからの連絡もなかった。
当然のことだと思う。
だけど、なぜだか流里さんから連絡が来た。
晃子さんと会わなくなった今、私と流里さんをつなぐ関係は何もない。
それに、晃子さんを知っている人に会うのは気が重かった。
それでも、少しでも晃子さんのことを聞きたいという気持ちが残っていて、つい流里さんと会う約束をしてしまった。
待ち合わせは前回と同じカフェだった。
今回は私が到着するよりも早く流里さんが来ていて、隣にこの間デートをしていた女性が同席していた。
覗き見はしていたけれど初対面なのであいさつをしたところ、流里さんの恋人は志藤薫(しどうかおる)と名乗った。
小麦色の肌が健康でハツラツとした雰囲気だった。
軽い挨拶を終えると、流里さんがさっそく本題を持ち出す。
「久我さんと鍋島先生……もしかして何かありましたか?」
私はどう返事をすればよいか少し迷ったけれど、事実だけを伝えることにした。
「今はもう晃子さんと会っていません」
冷静に答えられたと思う。伝えられるのはただこれだけのことだ。
「えぇっ! マジで……? あぁ……それでかぁ……」
流里さんは言葉を取り繕うのもやめてつぶやくと頭を抱えた。そして、志藤さんの顔をチラリと見てから、再び私の顔をみて言葉をつづけた。
「鍋島先生、なんか妙に落ち込んでる感じで……。いつもなら大体作り笑いでごまかすくせに、今回はそれもできないみたいだから、どうしたのかと思ってたんだけど……」
流里さんの言葉に私は耳を違った。
晃子さんが落ち込む理由がわからない。もしも本当に作り笑いもできないくらい落ち込んでいるとしたら、それは私が原因ではないだろう。
流里さんの言葉を引き継ぐように志藤さんが続けた。
「最近の鍋島先生はずっとご機嫌でしたし、久我さんとの関係が上手くいっているのかと思っていたんですけど、少し前から遊ぶ相手がいないって三鷹(みたか)先生のところに入り浸っていたみたいで……」
「三鷹先生?」
はじめて聞く名前に首をひねると、流里さんの叔母の恋人なのだと教えてくれた。教師をしていて、晃子さんと同じ学校に勤めているらしい。
「三鷹先生たちみたいになれるかな、みたいなことを言っていたらしいので、鍋島先生もようやく素直になる気になったのかと思っていたんですけど……」
志藤さんは頬に手を当ててささやくようにそう言うと、眉尻を下げて小さく息をついた。
その三鷹先生と流里さんの叔母がどのような関係なのかは知らないけれど、きっと円満なカップルなのだろう。
志藤先生の話を聞いて、ますます晃子さんがそう願っている相手は私ではないと思ってしまう。
「晃子さんがそう思っていたとしても、その相手は私ではありませんよ。多分、晃子さんは前の恋人とよりを戻すつもりなんだと思います」
私は認めたくない現実を打ち明けた。そして自分の言葉にまた落ち込むことにうんざりする。
すると、流里さんは即座にきっぱりとした口調で「それはないですね」と言い切った。
それが、とても無責任な発言に感じてイラっとした私は、ついつい公園で聞いた晃子さんと元恋人のやり取りについて話してしまった。
「うーん……。ワタシはそのやり取り、久我さんの勘違いだと思いますけどね……」
流里さんが首をひねりながら、少し遠慮がちに言った。
「聞き間違いじゃありません。はっきりと聞きましたから!」
私はムキになって反論してしまう。
「いえ、聞き間違いじゃなくて、勘違いです。鍋島先生は嘘つきでひねくれもので……ともかく、心にもないことを平気で言うんですよ。本心は言えないくせに」
流里さんの表情はいたって真面目だ。隣で志藤さんもコクコクとうなづいている。
しかし、流里さんの言葉はにわかに信じることはできない。私ははっきりと聞いたのだ。
「ワタシが直接聞いたわけじゃないから断言することはできないですけどね。だけど、相手の人も鍋島先生の嘘だとわかっているから『変わってない』って言ったんじゃないですかね? んー、『相変わらずそういう嘘をつくんだね』みたいな感じだと思いますよ」
そんな風にさらに畳み込まれると、流里さんの意見が正しいような気がしてくる。
確かに晃子さんは嘘をつくことがある。
雰囲気や前後の流れを知っていれば、それは嘘だとわかるような嘘だ。
そう考えると、私が一部分だけを聞いたから勘違いしてしまったのかもしれないとも思えた。
「あの……。私も流里の考えに同意します。多分、元恋人の方にちゃんと決別をしようとしたんじゃないかと……。鍋島先生の言動はわかりづらいからはっきりとは言えませんけど……」
少し遠慮をするように、それでもはっきりと志藤さんが言った。
「ちょっと待ってください。それなら私は勘違いしていただけなんですか?」
私が不安になって尋ねると、流里さんと志藤さんは顔を見合ってから「多分……」とつぶやいた。
この二人の言う通り、私の勘違いだったのならば、今からでもやり直すことはできるのだろうか。
晃子さんと連絡を取らなくなってから二週間以上が経つ。それでも、まだ間に合うだろうか。
私はスマホを取り出して晃子さんの番号をコールした。
しかし、幾度かのコールの後、不在を知らせる無機質な声が響いただけだった。
「電話に出てくれません……」
気付くのが遅すぎたのだ。
半泣きで流里さんを見つめると、流里さんもスマホを取り出して電話を掛けた。
「んー、ワタシの電話にも出ませんね」
「あ、三鷹先生に聞いてみたら?」
そう提案したのは志藤さんだ。
流里さんは頷くともう一度スマホを操作して電話を掛けた。今度の相手はちゃんと電話に出てくれたらしく、簡単に晃子さんについて聞いてくれた。
電話を終えた流里さんはため息をつく。
「少し前から学校を休んで実家に帰っているらしいです」
「それって、どういうことですか?」
「詳しい事情は分からないらしいです」
流里さんはそう言ってから、スマホを操作してメッセージアプリのトーク画面を私に見せた。
「一応、鍋島先生の実家の住所を教えてもらいました」
私はその住所をメモすると、流里さんたちへのあいさつもそこそこにカフェを飛び出していた。
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