ぼくらの空想航路

こんぶ煮たらこ

ぼくらの空想航路

 それはユニコが森の川沿いを散歩していた時のこと。

「〜〜ネコ♪て〜あしは〜〜♪」

 ふと川のせせらぎに紛れて奇妙な歌が聞こえてきた。

「なんだろう。この歌は」

 耳を澄ますと、その声は川上から、どんどん、どんどんこちらに近づいてきている。

 今度は目を凝らす。

 見えてきたのは、大きな籠だった。持ち手に赤いリボンが結ばれた木編みの茶色いバスケット、そこからぴょこん、とこれまた大きな耳が二つ、顔を覗かせている。

「ボクはス〜ナネコ、て〜あしは縞模様♪」

 素敵な歌声だ、と思った。

 ちょっとハスキーがかってはいるけれど、ずっと聞いていたくなるような、とても心地のいい歌声。大袈裟かもしれないけど、この世界にこんな素晴らしい歌声があるのかと、そう思った。

 そして、何故かとても懐かしい気持ちになった。

 ずっと前にどこかで聞いたことがあるような、或いは子守唄や童歌のような、子どもの頃に無意識で耳に入ってきたような、そんな曖昧で、ぼんやりとしたイメージだけが頭の中で渦を巻いている。

「どうしよう……話しかけてみたい。でもなんて声をかければいいんだろう」

 ユニコは頭の中でイメージを膨らませた。


『君の歌声、さっきからずっと聞いてたけどとっても綺麗だったよ』


「だめだ。ずっとっていつから?なんて聞かれたらストーカーみたいに思われちゃうかもしれない」

 素直に気持ちを伝えるのは大切だ。でもなんでもかんでも正直に話すのは、今は得策ではないと感じた。伝えるべき情報の取捨選択が必要だ。もう一度振り出しに戻って考えてみる。


『なんて素敵な歌声なんだ。君、気が向いたらぼくの屋敷に来てその歌声を披露してくれないか』


「だめだだめだ!なんだよぼくの屋敷って!?――あれっ!?」

 ふと川の方を見る。

 バスケットが、消えていた。

 それどころか、さっきまで聞こえていた歌声すら聞こえてこない。

 一体どうなっているのだろう。狐に摘まれたような気持ちになりながら、しかし、ユニコは次の瞬間にはすぐにその場を飛び出していた。

「しまった!この先は――!」

 滝だ!

 歌に気を取られていてまったく気がつかなかった。さっきまでちっとも聞こえてこなかった水の落ちる音が、今は全身が震え上がるくらいに近い。ごおおおおお、ごおおおおお、というけたたましい水流がユニコを攻め立てる。

 速く――!もっと速く――!

 心臓が千切れそうになる。

 こんな風に二本の脚で走るのは初めてのはずなのに、不思議と違和感はなかった。それどころか、ユニコの身体はどんどんスピードを増していく。自分の中で眠っていたなにかが、胸の奥底で弾ける音がした。

「お願い――!間に合え――!」

 次の瞬間、ユニコの身体がふっと宙を舞う。

 背中に生えた白い翼が、力強く大地を蹴り上げる。そして滝の真上まで一気に加速すると、視界の端に捉えた先程のフレンズ目がけて一直線に急降下した。

「君!ぼくの手に掴まって!」

「あなたは……!?」と戸惑う彼女に「いいから!」と手を伸ばす。

 もう少し――。あと数センチだけでも伸びてくれれば――。

 そうユニコが願ったその時、パシッ、とそのフレンズがユニコを掴んだ。

「い、いたたたたた!!!!!???」

「あれ?」

「それはぼくの角だ!掴まるのはぼくの腕!」

 そう叫びながらいつもより長く伸びた角を縮める。「おぉ〜」という、間の抜けた声と一緒に大きな耳がせり上がってくる。そして彼女をがっしりと抱きかかえた時、そこでようやく、ふう、と大きく息を吐いた。

「よかった……間に合って」

「ありがとうございました。えーと、あなたは確か……」

 その質問に、「ぼくは――ユニコ」とだけ答える。

 自分がなんのフレンズかなんてわからない。

 唯一知っているのは、自分の名前だけ。それ以上のことを聞かれても、ユニコには答える術がない。

 果たしてこれが彼女の問いに対しての答えになっていたのかはわからないけど、彼女は気にする素振りも見せず、「ユニコのお陰で助かりました」とお礼を述べた。

「あ、ちなみにボクは――」

「知っているよ。スナネコだろ」

 言い終えてから、しまった――、と片手で口を押さえる。

 案の定、スナネコから「あれ?ボク、ユニコと会ったことありましたっけ?」という質問が返ってきた。

 どうしよう。咄嗟にあの声でボクはと言われたからついスナネコと答えてしまったけど、勿論彼女とは初対面だ。動揺するユニコに、スナネコは不思議そうな顔で見つめ返してくる。こうなってしまうと、もうユニコには正直に話すしかなかった。

「ご、ごめん!実は君の歌声がとっても素敵で、それで川上からずっと聴いてたんだけど、気づいたら君と君のバスケットが見当たらくなってたから、もしかしたらと思って……」

「おぉ〜どうりで」

 合点がいったのか、スナネコがポン、と手を叩いて頷く。

「誰かがずっとついてきてるのは気づいてたのですが、それでこんな正義のヒーローのようなタイミングで登場してくれたんですね」

「え?い、いやぁ、正義のヒーローだなんてそんな……」

 素直なスナネコの一言に思わず赤面する。ユニコからすれば無我夢中で彼女を助けただけなのに、それを正義のヒーローという風に言われるのは、なんだか照れくさかった。

「――ってえぇっ!?ぼくがついてきてるの気づいてたの!?」

「はい。ボク、耳はいい方なので。なんかストーカーがどうとか、屋敷がどうとかって……」

「うわーっ!ストップストップ!」

 まさかそんなことまで聞かれていたとは思わなかった。恥ずかしさに耐えきれなくなり、「ところで」とすぐに話題を逸らす。

「スナネコはあんなバスケットに乗ってどこへ行こうとしてたの?」

 彼女は、うーんと考えたあと、ぼそりと呟いた。

「“地の果て”――ですかね」


 “地の果て”

 

 その言葉に背筋がぞくりとする。

 初めて聞いた言葉なのに、何て寂しそうな響きなんだ、と思った。

 このジャパリパークに本当にそんな所が存在するのだろうか――そう尋ねようとしたけど、スナネコはあっけらかんとした表情で「嘘ですよ」と笑った。

「実はボク、この先のサンカイチホーにお家があるんですけど、この川を下ったらすぐだって聞いたので……」

「な、なぁ〜んだ……驚かせないでよ」

「ボクも驚きました。まさか滝があるなんて」

「というか、わざわざバスケットに乗らなくても川沿いを歩いて下ればよかったんじゃ……」

「おぉ〜言われてみれば」

「えぇ……」

 言われるまで気がつかなかったのか、スナネコは感心しながら「ユニコは頭がいいですね」と言った。

 歌はとても上手なのに、マイペースで、どこか抜けたところのあるスナネコ。「あ!ここからだとサンカイチホーが一望できますね」と景色に感動しているかと思えば、今度は「ユニコの角は取れるんですか?」と、さっきとはまったく別のことに興味を示している。なんというか、彼女は自由だ。

 視線のずっと先、地平線に広がる広大な砂漠を眺めながら、ユニコが言った。「ぼくが送ってあげようか?」と。

「え、いいんですか」

「もちろん!ぼくね、実は魔法が使えるんだ」

「まほう?」

 スナネコが繰り返す。

「そう。これがあれば、あの砂漠まで一瞬でひとっ飛びさ」

「おぉ〜」

 ユニコには、自分の名前以外にも一つだけ憶えていることがあった。

 それは、魔法が使えるということだ。

 相手の願いを形にする力をユニコは持っている。空を飛びたい、ご馳走が食べたい、人間にして欲しい、どんな願いでも、その頭に生えた角に念じればユニコは叶えてしまう。

「ねぇスナネコ、試しにぼくに速くなれ、って願ってみて」

「え、そんなことでいいんですか?」

 スナネコはまだよくわかっていないといった表情でユニコに尋ねる。「いいからいいから」とユニコが促した。

「はやくなぁれ、はやくなぁれ……」

「うん、その調子だよ」

 スナネコの想いが心を伝って流れてくるのを感じる。集中して、その想いに耳を傾ける。

「はやくなぁれ、はやくなぁれ……」

「よぉし、段々力が湧いてきたぞ」

 相手が強く願えば願うほど、ユニコの魔法の力は強くなっていく。

 ――いける。そう確信した時、スナネコが「あ!」と声を上げた。

「えっ!?なに!?」

「魔法ってなんですか?」

「えぇ!?そこから!?」

 思いがけないスナネコの一言に、集中力がぽきっと根元からへし折れる音がした。先程まで溜めていた力が、虚しく宙へと消えてゆく。

 どうして、今このタイミングでそれを聞いたのか――ただユニコにとって魔法が使えるのは当たり前のことだけど、スナネコからしたら何のことなのかわからない、というのももっともだと思った。

「あのねスナネコ、ぼくの魔法は相手からの願いがあって、それに応えたい、っていうぼくの意志が共鳴して初めて成り立つものなんだ」

「なるほど。――なるほど?」

「だからスナネコの協力がないとぼくは力が出せないの」

「わかりました。大丈夫、ボクに任せてください」

 一体なにが大丈夫なのか少し不安になったけど、とにかくスナネコをお家まで送ると決めたのはユニコ自身だ。もう一度彼女に頼み、はやくなぁれの呪文を唱えてもらう。

「よしよし、いい感じだぞ……」

「あ!」

「今度はなに!?」

「お腹が空きました」

「んもー!」

 ユニコが叫ぶと同時に、今度は空からジャパまんが降ってきた。

 それを見たスナネコが「おぉ〜。なにもないところからジャパまんが出てきました」と目を輝かせる。琥珀色をした瞳からは羨望の眼差しが向けられていた。

「お願いしたことがなんでも叶うなんて、なんだか夢を見ているようですね」

「あはは、よく言われるよ。――それにしても」

 スナネコの手を見る。

「スナネコは欲張りだね。二つも頼むなんて」

 よほどお腹が減っていたのだろうか。丁寧に包まれたジャパまんからは、美味しそうな湯気が立っていて、見ているこっちまでお腹が減ってきそうだ。

 しかしスナネコは首を振って答えた。

「なにを言ってるんですか。これはユニコの分ですよ」

 予想もしなかった答えに「え?」という声が漏れる。

「どうしたんですか?あ、もしかしてあんまりお腹空いてないとか……」

「ううん、違うんだ!」

「じゃあもしかしてこのジャパまん、食べたら物凄く辛いとか……」

「そんなものわざわざ出さないよ!」

「じゃあどうして……」

「えっと……」

 そこで、止まる。喉まで出かかった言葉を、言うべきか迷う。

 スナネコは素直でいい子だ。だからこそ余計なことを言って心配させたくなかった。

 でも、彼女は待っていた。先を促すわけでもなく、ただユニコが口を開くのを静かに見守っていた。

 やがて観念したようにユニコがぽつりと呟いた。

「誰かから優しくされるのって、あんまり慣れてなくて……」

 そこまで言って、すぐに「ごめんね!変なこと言って」とジャパまんを受け取る。包み紙から漏れ出たあたたかさが、手のひらを伝ってじんわりと広がった。

 スナネコはそれでもまだ黙ったままだった。なにか言おうと言葉を選んでいるのか、はたまたユニコが先にジャパまんを食べるのを待っているのか、ただその視線をユニコへと向けている。

 先に沈黙を破ったのはスナネコの方だった。

「ユニコはボクのこと助けてくれたし、歌のことも褒めてくれたし、魔法でジャパまんを出してくれて、お家まで送ってくれるって言ってくれました。ユニコはボクに優しくしてくれたから、そんなユニコにボクも恩返しがしたくなったのです」

 その一言にはっとする。

 スナネコが言ったこと、それはユニコの生き方そのものだった。

 朧げな記憶の中、経験したことのない辛いことや悲しい思い出が蘇る。

 出逢い、別れ、気がつけばいつもそこは見知らぬ土地で、知り合いも、友だちも、誰もいない。何も、わからない。

 それでも、いつだってユニコの側には優しくしてくれる誰かがいた。こんな見ず知らずの自分に対して、親切にしてくれることが本当に嬉しかった。

 誰かが優しくしてくれたから、誰かに親切にされたから、それが忘れられなくて、その想いに応えたくて、喜ぶ顔が見たくて、その一心でユニコは魔法を使ってきた。

 なんだ。そんな簡単なことだったのか。そんな簡単なことすら、ぼくは忘れていたのか。

「だからそのジャパまんはユニコにあげます。一緒に食べましょ?」

 スナネコのまっすぐな声が心に入り込んでくる。憑き物が落ちたように、身体が軽くなる。

「なんだよそれ。元はと言えばぼくが出したものなのに」

 赤くなった目を擦りながらユニコが言うと、「ありゃ、バレてしまいましたか」とスナネコが悪戯っぽく笑った。

 二人で声を揃えて「いただきます」と包み紙を開く。

 出てきたピンクと水色のジャパまんが、なんとなく自分そっくりに見えた。

 もしスナネコの想いの強さが表れているのだとしたら――。そんなことを考えると、胸の底があたたかくなる。

 スナネコが言った。「せっかくなのでこのままのんびり飛んでいきませんか」と。

「うん!」

 ユニコが頷く。

 別に急ぐ必要なんてない。

 旅は、まだ始まったばかりだ。

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