第四章

悔恨の救い1

 どこから話せばいいのだろう。この日が来ることは覚悟していた。いや、待ち望んでいたと言った方が正しいかもしれない。


 己の脳髄を覗き込む。回想した過去の中で、僕は一階の作業場──今は物置になっている部屋──で男性客と向き合っていた。僕が作った人形、その麗容さに、彼は驚嘆していた。


「素晴らしい……生きているみたいだ。本当に人形なのか? 唇や頬も、体温が宿っているようじゃないか。どうやったらこんな人形が……」

「粘土で形を作って、火加減に気を付けながら焼く。形が出来たら絵筆で表情を浮かべさせてやる。色を定着させるために焼いて、また塗って、その繰り返しだ。肌が罅割れぬように、傷付けぬように、悲しい顔をさせないように、愛おしむように。そうしていくうちにだんだん精彩が宿る。……それで、満足はして貰えたかな? この出来でもボッタクリだなんて宣うかい?」

「いや、すまなかった。人形職人を馬鹿にしていたよ。金を返せとはもう言わないさ」


 一体の人形を作るだけでも長い時間がかかる。いつまで待たせるんだ、と彼は何度も文句を言いに来ていた。数ヶ月を経ての完成。少女人形の白磁の頬を、彼は清福を湛えながら撫でていた。支払いは依頼時に済んでいる。すぐに出ていくであろう彼から目を逸らし、僕は人形の衣装へ針を通した。

「ありがとな」という謝礼の声。それを遮るように扉の開閉音が響く。彼がいなくなると店内は静寂に呑まれた。客なんてそうそう訪れない。そもそも人形を作っているのもほとんど趣味のようなものだ。元々は、母を手伝っているうちに裁縫をするのが好きになっていた。人形作りに目を向けたきっかけは、単に褒められたから。幼い頃、道端で少年が泣いていた。兎の人形の耳を破いてしまったようで、数分経っても泣き止まなかった。だからそれを奪って、勝手に縫い合わせた。欠けた耳はどうにもならなかったから猫の人形に変えてしまったが、彼は僕を褒めちぎった。その時の気分は、とてもよかった。ぬいぐるみを作り始め、歳を重ねるごとに美しいものを求めるようになって、ビスクドールに手を付ける。自身が思う美しさをひたすらに探究し、こうして仕事にした。


 人形職人というものは、人と相対することが滅多にない。人形を求める者などあまりいないからだ。客が一人訪れようが、次の客が来るのは数ヶ月後くらいだろうと憶断していた。


 だからこそ翌日、何人もの客が訪れて吃驚した。僕の人形を買った男性客が、街の人間に自慢して回ったらしい。生きた人間のような美しい人形。それを求めて分厚い紙幣を差し出してくる者や、値下げを求める者、店に置いてある人形を鑑賞しに来る者など様々だ。とはいえ購入した客や制作依頼をしてきた客はたった一割。大体の客は金額に不満げな渋面を浮かべて去っていく。その顔容を象りたいのはこちらの方なんだが、と思いつつ、新しい人形の制作に手を付けた。


 日毎客も減っていく。しん、と掻い澄んだ時間で絵筆を握る。溶いた顔料を穂先に染み込ませ、白磁の肌をなぞる。指先だけを打ち守っていれば殷々いんいんと扉が開け放たれた。


「あんた、死体を腐らせないで綺麗なまま保ってくれるんだって!?」


 息を切らしながら飛び込んできたのは一人の男性だ。瞑目している少女を抱えていた。血の気が感じられない肌、彼の喚叫。その二つから察するに、彼女は亡くなっているのだろう。それは理解出来たが、彼が何を言っているのかは分からなかった。瞠然と観察していたら遺体を眼前に突きつけられた。


「頼む、娘をどうにか腐らせないようにしてくれ!」

「何を言っているのかよく分からないんだが……」

「何って……あんたが人形と言って売ってるのは死体なんだろ!?」

「そんなわけないじゃないか。気味の悪いことを言わないでくれ」


 眉根を寄せて彼を見上げる。今まさに人形を作っているというのに、それを認めても自分が誤解していることを認められないのだろうか。懇願するような眼睛をひたすら向けられるものだから、呆れて嘆声を吐き出すしかなかった。


「人形の依頼じゃないなら帰ってくれないか。僕も暇じゃないんでね」

「俺が金を持ってなさそうだからか!? だから引き受けてくれないのか!?」

「訳の分からないことばかり連ねられても困るな。こんなところにいないで、早く埋葬してやるといい」


 男性は怒号のような嘆願を口にし続けていた。それを全て聞き流し、己の仕事に意識を注ぐ。目の前の人形にだけ向き合い、この子に熱が宿るよう暖色で絵取っていく。そうしているといつの間にか緘黙が戻ってきていた。男性は帰ったようだった。


 やがて朝が来る。人形の衣装を作ろうとしたが、布が足りなかったため外へ出た。旭暉きょっきの明度に双眸を細め、凝然と立ち尽くした。家の前に置かれたいくつもの死体。孤児か貧民街の子供のようで、衣服は酷く汚れていた。通りかかった人間が軽蔑の眼差しを刺してくる。彼らが囁き合う言葉に耳を傾けて、ようやくどういう訳か感取した。


 人間のように美しい麗姿を持つ人形。それを不気味に思った人間や、僕に依頼を断られた人間、僕を良く思わない人間が噂を流したのだろう。耳にした流言からは悪意しか感じられなかった。曰く、あの人形職人は悪魔と契約を交わしていて、死体の臓器を啜り喰い、美しい死体を腐敗させないように魔法をかけているのだ、と。


 馬鹿げている。そう思えど、捨てられる死体は後を絶たない。警察が動くだろうと放置した亡骸は回収すらされない。この子供達、或いは僕が、人として認識されていないみたいだった。増えていく遺体。古いものは次第に蛆の巣と成り果てる。子供達を眺める度、理性が砕かれていく。何日経った頃か、僕は新しい幼子の体を抱き上げて室内へ運んでいた。揺れた呼気が込み上げる。無意識下で吐き出していたのは嘲謔だ。


 彼らが望む通り、臓器を喰らって人形にしてやろうか。


 初めて人の体を開いた。気が狂れていたせいで、調理さえしなかった。紅血が滴る臓物を手の平に乗せる。柔らかなそれはとても美味しそうな匂いがした。噛んでいくと食べたことのない味が広がっていく。程よい酸味と塩気、鼻に抜ける血の香りは不思議と芳しい。内臓を全て嚥下して、少女の腹を縫い合わせた。血を拭き取って髪を梳く。容貌は人形じみている。けれどもこのままでは腐敗して終わりだ。どうにかこの状態を保ちたい。この遺体の刻を固定したい。そんな術は思い付かぬまま、息衝いた。


「固定……どうやって」


 息を呑む。僕の声に従って少女の髪が藤紫で色付いた。彼女の頬に触れていた己の指先、そこに紅い茨が巻き付いている。刺青のようなそれに眉を顰めた。身体から指へと熱が伝う感覚。理解が出来ぬまま、研究でもするように残りの遺体も使って多くのことを試みた。


 分かったことは、それが魔法であるということ。触れた状態で、固定という類の言葉を口にすることで発動する。指先に絡む茨を正視するとそこへ熱が伝う。試しに傷を付けた遺体は、刻印が熱を纏うと共に固定した時の状態に戻っていた。慣れてくると目線を向けずとも熱を注げるようになった。


 使い方を理解した時には、酷く飢えていた。口にしたいのは水でもパンでもない。甘露な血が、人の臓物が、食べたくて仕方がなかった。


 捨てられていく死体を回収していくうちに、警察も黙っておけなくなったのか声を掛けてくる。勿論、僕を犯罪者と見なして。そこに割って入ってきたのがコンラートだ。彼は僕を庇うよう弁舌を振るって警察を追い払うなり、僕に葬儀屋をやらないかと持ち掛けてきた。罪に問われることなく死体を手に入れられる、それは血肉を喰らいたい僕にとって色好い話だった。


 街の人間からは無料葬儀屋として見られるようになり、その活動をしながら魔法について図書館で調べた。冷静になってみれば、死体を美しいと思うのも、血肉を食いたいと思うのも、気持ちが悪い。満たされるまで喰えば、この歪んだ思考から解放されるだろうか。そう思えど、いくら腸を飲み下しても飢えが満たせない。何故満たされないのか、それを知ってからは、魔法使いと思われる殺人者に目を付けて殺して回った。葬儀、殺し、人形造り、それを繰り返す日々。尤も僕の人形を欲しがるのは観光客くらいだ。街の人間はもう僕を人形職人としては見ていなかった。


 いつのことか、古い記事を握りしめて僕に会いに来た観光客がいた。生者のような相貌を持つ人形。それを求めた彼は僕の作品を目の当たりにし、欣幸きんこうしていた。いくらでも金を払うから、死んだ娘にそっくりな人形を作ってくれと、褪せた写真を預けられた。髪の色、瞳の色、肌の色、彼と相談をしながら構想を練る。彼は自身の住所を書き留めて、一旦祖国へ帰っていった。


 エリーゼ・ディークマイアーと出会ったのは、彼の国へ人形を届けに行った帰り道だ。長旅の中、一滴の血すら口に出来ず、喉が渇いていた。人を食いたいと思ってしまう己に嫌悪感が滲み出す。この船が一秒でも早くフェストに着くことを心願し、与えられた部屋で横になっていた時、フルートのような玉音が響いた。


「だ、大丈夫ですか!? 酷い顔色……」

「誰だ、君は……」

「あ、ごめんなさい、部屋を間違えたみたいで……多分隣かしら。すぐ出ていきますから、とりあえず、水でも飲んでください」


 上体を起こして彼女の容色を窺う。金糸を揺らした彼女は、手にしていたグラスを差し出してきた。バーにでも寄って、自室で飲むつもりで持ってきたようだ。黒手袋を嵌めた手でそれを受け取ると唇に近付けた。喉へ流し込み、咽喉が焼けるような感覚に笑声を吹き出していた。


「君、これは水じゃなくてウォッカだな」

「え……え!? 私、水くださいって言ったのに……!」

「聞き間違えられたか、他の客のものと間違われたか、どちらにせよ飲まない方がいい」

「ごめんなさい、具合悪そうなのにお酒なんて渡して……あの、お腹空いてませんか? 食堂行きません? そこなら水もあるでしょうし、少しは楽になるかもしれないわ」


 彼女は、やけに世話を焼きたがる女性だった。体調の悪そうな僕を放っておけないようで、強引に食堂へ連れ出された。水を飲んだところで渇きが収まるわけではない。だが、朗らかに僕へ話し続ける彼女のおかげで、気は紛れていった。


「お兄さん、どこまで行くんですか?」

「行く、というか帰るんだがね。フェストだよ」

「えっ。偶然ですね、私もフェストに行こうと思っていたんです」

「観光かい?」

「いえ、お医者様に会ってみたくて……」


 聞けば、弟の為に心臓移植をしてくれる病院を探しているという。この国では臓器移植など行われていない。それでも、フェストの優秀な医師に頼んだらやってくれるかもしれないと期待をして来たらしい。そんなに心臓が悪いのかと問うと、彼女は静かに首を振った。弟が風邪を引いた時、診察してくれた医師から相談を受けたのだという。心音が聞こえない、と。それに不安を覚えた彼女は眠っている弟の拍動を聞こうとした。医師の言う通り、彼の正鵠せいこくが脈打つことはなかったそうだ。生きてはいる、健康でもある。けれども心臓がないのかもしれない。語っていくうちに暗然と俯いていく彼女。それを自覚し、場を和ませる為かいきなり「あ!」と声を上げ、鞄から紙袋を取り出していた。


「これ、弟にあげようと思って作ったクッキーなんですけど、あげる前に喧嘩みたいになっちゃって……そのまま持ってきちゃったので、よければどうぞ」

「喧嘩? 仲が良いんじゃないのか?」

「ううん、反抗期みたいな……行ってくるわねって頭を撫でたら振り払われたんです。そのまま部屋に戻っちゃって」

「弟はいくつだい?」

「十六です。三つ下なんですよ」

「はは、その歳の男は撫でられたくないだろう」


 袋の口を開けると広がる、クッキーの香ばしい薫香。一つ摘まみながら、彼女と自身の歳の差を計算していた。毅然としていて大人びていた為、もう少し上かと思った。十二も歳下の少女に介抱されている。その事実に苦笑が込み上げた。情けなさをクッキーと共に飲み込む。美味しいと伝えれば彼女は嬉しそうに破顔していた。


「まあ、フェストならあと数日で着くだろう。着いたら病院の場所を教えるよ」

「本当ですか!? ありがとうございます……ついでに良いホテルとかも教えてもらえませんか?」

「図々しいな君」

「ご、ごめんなさい。初めての旅なので不安で……良かったら、着くまでの間お話に付き合ってくれませんか。お食事も一緒にしましょう。一人って、寂しいじゃないですか」


 一人が寂しい。そんな情感を抱いたのは、いつが最後だろう。両親はとっくに他界しているし、友人とも何年も顔を合わせていない。ずっと人形と向き合ってきたせいで、そんな感情すら忘れていた。純粋な彼女に頬が緩み、柔らかに瞼を閉じた。


「確かに、水と酒を間違えていては不安だろう。君には保護者が必要だ」

「それはたまたま間違えられただけです。保護者じゃなくて、お友達になってください。私、エリーゼ・ディークマイアー。貴方は?」

「ヴォルフ・ライヒェンベルガーだ。人形職人と葬儀屋をやっているんだが、葬儀屋と呼ばれることが多い。君もそう呼んでくれ」

「どうして? お友達なのよ、名前で呼ばせて。ヴォルフ。ふふ、なんだか狼みたいで可愛い名前ね」

「君の可愛いの基準は変わっているな……」


 それから彼女とは幾日も懇話を交わした。裁縫をすることが多いらしい彼女に、様々な縫い方を教えた。衣服の作り方、人形の作り方、絵の描き方。彼女は僕のことを知りたがり、語る全てを楽しそうに聞いてくれた。打ち解けていく中で、互いの距離も近付いていく。よく話し、よく笑う彼女は、僕の憂悶を溶かしてくれた。彼女といる間は血肉を食べたいという渇求も、美しい死体を撫でたいという情欲も抱かなかった。それがただただ、心地良かった。

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