軽蔑と願いの狭間7
言葉を紡げないまま倒れ伏すジークハルト。俺に胸を貫かれ、余喘を保っている状態だ。
「怪我は……!?」
「え、ああ、大丈夫だ。葬儀屋が契約印に魔力を注いで治してくれたみたいなんだけど……君が葬儀屋に伝えてくれたのか? もしかして、私が重傷なのは予想してた?」
「いや、あんたがここにいるかも確信はなかったが……心配だったからな」
葬儀屋に伝わった、ということはコンラートが彼の元へ行き、話をしてくれたということだろう。そして確証がなくともアドニスに魔力を注いだ彼。少しだけ、ほっとした。俺に護衛を頼んできた理由として、彼は魔力のことを上げていたが、ただ彼女を心配しているだけではないのかと思えた。
ふとアドニスを見下ろす。苦笑する相貌は暗然たる影を落としていた。グレーテのことを、想っているのだろう。慰めようとして、腕を持ち上げた。虹彩異色の眼が俺を仰ぐ。燈火の、暖色の光を宿したそれはあまりに綺麗だった。微笑んだ俺の前で、彼女の顔色は周章で染まった。
「スヴェン!!」
俺の腕を引く彼女。状況を理解しジークハルトを振り仰いだ。鉈を握り直した彼の腕が――長物に射抜かれ、壁へと縫い付けられた。
「うぐっ!」
「はは、ここは武器庫か何かかい? 槍なんて初めて手にしたよ」
ジークハルトの呻き声に重なったのは、笑声。革靴が響く。痛みで歪んでいた彼の顔が、蒼褪めていく。俺とアドニスの横を通り抜けたのは葬儀屋だった。黒いローブを靡かせ、両手で杖を弄んでいた。
「葬儀屋……なぜ貴方が」
「アドニス、話は後だ。僕は彼に会いに来たんだ。それなのに死にそうじゃないか、可哀想に。だから死ぬ前に
この凄惨な情景に在るのが不自然なくらい、普段と変わらぬ笑み。彼は柔和に破顔してジークハルトの前へ立った。ジークハルトは腕に刺さる槍を抜こうとしていたが、彼を凝視するなり硬直する。負傷のせいか、生彩を欠いた目で、それでも
「ヴォルフ・ライヒェンベルガー……貴方は、私の味方でしょう? 私と同族ではありませんか」
「うん? 魔法使いだからかい? だが悪いね、僕は同族が嫌いだ。僕のような存在なんて、気持ち悪くて殺してしまいたい」
コツ、と、葬儀屋が杖で地面を打った。沈黙が波紋のように広がる。十字架を揺らした彼は、懐から白い紙を取り出した。
「アドニスの招待状の封筒、その隅に僕のイニシャルがあった。Toと添えられていたから宛名であることは確かだ。イニシャル程度ならすぐに綴ることが出来る。君、アドニスに元々目を付けていたね? 君は目立つ容姿の彼女が僕の家に出入りしていることを知っていたんだろう」
アドニスが目を瞠っている。思えばアドニスは招待状を渡された時、ジークハルトに誰かと来るよう勧められていた。彼女も合点がいったのかもしれない。
葬儀屋の手から離れた封筒が宙を漂った。蘇芳色で濡れた床へと舞い落ち、燃え上がるように赤く染まっていた。
「君の魔法について推理してみた。殺した人間に取り憑かれる、死体に植え込まないと自身に負担がかかる、けれども死体が腐敗し魂が抜け出ればまた君にのしかかる。君はそれから逃れたかった。腐敗しない死体が欲しかった。だから――『美しい死体を腐敗させないように魔法をかけている』と、かつてそんな噂を流されたこの僕に、会いたかった」
「わ、たしは……」
「初めから僕に声をかければ良かったんだ。それともそんなに僕が怖かったのかい? 喰らわれるとでも思ったのか?」
葬儀屋の目顔は窺えない。俺達に背を向けた彼は、ジークハルトに黒手袋を伸ばしていた。何の前触れもなく、相槌でも打つような自然さで、葬儀屋が彼から槍を引き抜いた。
「いっ……!?」
「あぁ、もうダメだね君。死にそうじゃないか。もう少し早く会えたら良かった、そう思わないかい?」
「そ、れなら……助けてくださ……」
「ははっ、その頭蓋は空っぽなのかな。君の手をとるなんて一言も言っていないだろう」
投げ捨てられた槍が鐘の音じみた金属音を立てる。葬儀屋の黒衣が風声を纏う。黒い線が瞬刻だけ刻まれた。転がったのはジークハルトの首だ。葬儀屋は抜いた刀を漆黒の杖へと収めていた。
「『もっと早くこうしたかった』僕がしているのはそういう話さ。グレーテ・ブランシュが殺されてしまう前に」
こちらを向いた彼は、俺を見ると笑みを深めた。見渡す周囲が赤く染まっていなければ、日常が戻ってきたようだった。
「いやぁ、大変だっただろう。すごい死体の数じゃないか。とても愉快だね」
「なにが楽しいんだよ……」
「僕は楽しい、君達のおかげで子供とピクニックに来ているみたいだ。死体は夜にでも回収しに来ようか。なかなか美味しそうな匂いがする。とりあえず帰ろう、スヴェンくん、アドニス」
喜色満面の彼に嘆息が零れる。踊るような足取りで出ていく彼を追いかけた。街並みは薄藍で染まっている。茜空と夜空が混在している様は絵のようだった。太陽の方がまだ明るく、月色は見つけられなかった。
陽気に鼻歌を奏でる葬儀屋の背中。俺の後ろを付いてきていたアドニスが、彼に駆け寄っていた。
「葬儀屋、勝手な行動をして、すみませんでした」
二人の身長差が普段よりも開いている。アドニスが踵の高い靴を履いていないからか、と目線を下げてから、彼女の片足が裸足であることに気が付いた。石畳を裸足で歩くのは辛いだろう。俺が抱えようかと踏み出した先で、葬儀屋が自身のローブをアドニスに掛けていた。背の高い彼が着て膝丈の衣服だ。彼女の華奢な肩を滑ったその裾は地面に付いていた。
「いいよ、クッキーが美味しかったから特別だ」
「わ……!?」
アドニスの血塗れのスーツを黒衣で包むと、葬儀屋は彼女を抱き上げていた。二人の影が重なる。斜陽に絵取られる彼らの方へ、踏み入ってはいけないような。そんな気分に陥って眉根を寄せた。
「だがねアドニス。憎しみの溶かし方は、こんなところにいても見つからない。君はもっと周りに目を向けるといい。――彼とかね」
「何言ってんだあんた」
「相変わらずスヴェンくんは僕に対して刺々しいね、あぁもしかして君が灰かぶり姫を抱えたかったかな?」
「何言ってるんですか葬儀屋、下ろしてください。歩けます」
「裸足で歩かれて怪我をされたら誰が治すと思っているんだい?」
いつも通りの掛け合い。葬儀屋が相も変わらず饒舌なせいだろう、それに応じるアドニスも朗色を湛えており、胸を撫で下ろした。
それでも、彼女はこれからグレーテのことを詳しく聞くことになるはずだ。背負わなければならない。彼女なら、きっとそう口にして知りたがる。
帰路を辿った先。葬儀屋の屋敷で、プラム色のキモノを羽織ったアドニスが言った。
「あの日、百合の花を抱えていた貴方は。グレーテが死ぬことを……死んでいることを、知っていたんですか」
凛然と、覚悟を秘めた眼差しで、葬儀屋を貫いていた。
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