軽蔑と願いの狭間4

     *(三)


「貴方が蘇らせたいのはどなたですか?」


 花信風を思わせる和やかな空気から遠ざかり、人気のない道を妖しい男と進む。店が立ち並ぶ大通りから離れるほどに、静閑さが深まっていく。石畳は次第に擦り減り、あまり整備されていないのであろう寂れた道へ続いていた。昔からあるような、やや老朽した民家が多い。外壁に描かれたフレスコ画は廃れており、庭の草は伸び切っていた。それでもいくらか人通りはある。すぐ傍を駆け抜けていった兄妹は質素な服に身を包んでいた。


「ご両親を蘇らせたい? それともご兄妹ですかね?」


 口無の私を意に介さず、作られたような微笑みを振り向かせてくるジークハルト。私は欣々きんきんぜんと質してくる彼に唇を歪めた。


「貴方は……このクソみたいな世界に大切な人を蘇らせたいと思うか?」

「こんな世界でも笑って生きるために、大切な人を求めるのでは? それとも御家族はご存命で、不仲だったりします?」

「いや。良い両親だったよ」


 瞬きをすれば思い出が見えるようだった。村人に押さえ付けられ、首を落とされた両親。一振りでは断頭出来ず、何度何度も振り下ろされた斧。耳を劈く謝辞の悲鳴。地面も草花も緋色で染め上げられた、あの日。


「ならご両親が誰かに殺されていて、その人を蘇らせて殺したい、ということでしょうか。一度は神に見放された人間も、神はちゃんと救ってくださいますからね。ご安心ください、私が神として貴方を――」

「生憎神なんて信じていないんだ。それと、私の過去に踏み込まないでくれないか。思い出を話す為に来たんじゃない」


 あの日、恨んだのは私自身だ。村人に非はない。神の声を聞ける存在だと、神の声を聞けと言われ続けた私が、神を信じていたせいだ。聞き続けていたのは、死者の声でしかなかった。そのことに、もっと早く気付きたかった。


 長い影が歩みを止める。ジークハルトが立ち止まったのは一軒の民家の前。鍵を取り出した彼が、金属の解ける音を響かせる。扉を開けるなり目配せをされた。付いてこい、ということなのだろう。薄暗い廊下へ足を踏み入れ、扉を閉める。一本の廊下の先には、一つの扉。それに手を掛けた彼の腕を、思わず掴んで止めていた。


「どうしました?」

「……この先に、何があるんだ。死者の声が、うるさい」


 睨め上げた先で彼の口唇が繊月を描く。喜色を滲出させる眼差しは、私を同類として定めているようだった。


「やはり貴方も、不思議な力を持っているのですね。良いのですか、私に明かして」

「貴方が魔法使いなら、隠す必要もないだろう」

「魔法使い……なるほど、それは良い呼び名です」


 ドアノブが高い音を鳴らす。木製の扉が軋みながら開いていく。災禍が詰まったはこを開け放つかのようだった。喧囂けんごうたる室内に燭明が灯る。棺桶がいくつも置かれ、そこに収まっている死体や、床に寝転ぶ人、椅子に座って呻いている者、生気を感じられない人間ばかりが居座っていた。


 入室した私達に向けて、傀儡じみた彼らの黒目が虚ろなまま一斉に動く。飛び掛かってきた一体。ジークハルトが彼に手の平を向けて制していた。


「私の客人ですよ」


 喉を鳴らしながら後退していく死者。理性を持たぬ獣じみた姿に、表情が顰められていく。光を宿さない虹彩がこちらを注視し続けていた。ジークハルトのスーツが翻った為、私はその背を追いかけていった。


「あんな状態の死者でも、貴方の言うことは聞くんだ?」

「肉体がある死者には声が届きますからね。それに彼らの主は私です。本来の肉体を失った魂は私に縋ることしか出来ない。だからでしょう、利口なものですよ。ただ、貴方のように霊体の声は聴けませんが」


 彼は幽暗な階段を下っていく。死体の群れから離れても、死者の声が霧消していかない。雑音として耳の傍に付き纏うそれは不愉快だった。この建物にどれほどの死者が住み着いているのか、考えたくもない。そして大勢がここで殺された可能性についても、目を逸らしていたかった。


「私の力……貴方曰く魔法について、知りたいのですよね」

「魔法というのは、他人から向けられた強い願いや軽蔑、様々な感情によって形作られるものだ。貴方に、身に覚えはあるかな」

「あぁ……そうだろうなとは、思っていましたよ」


 地下にあったのは鉄扉だ。それを引き開けた先は工房のようだった。作業机にいくつもの工具、布や革製品が散乱している。どれも汚れていた。炬燭に似た暖色の明かりが彩る部屋、その随所には赤黒い染みが散っていた。壁際には死体と思しき人影がいくつも立っている。クローゼットに服を掛ける感覚なのだろうか、綺麗に並べられた彼らは人形じみていた。


 通りかかった机の上に、一冊の本を見つける。ふと手に取ってみれば、革製の表紙は埃に塗れていて、私の手袋を煤で染めた。中身は白紙。虚空を白く染めるほどの塵を挟んでおり、目を細めた。


「それは父が作った手帳です。綺麗でしょう? 私は使わないので差し上げますよ」

「気になっただけだよ、要らない」


 机の上に手帳を戻す。部屋の奥へと進んでいく彼の、その肩越しに窺った長机の上には、男性が寝ていた。砂埃で汚れたシャツは血で染まり、亡くなっていることが分かる。見覚えのある男性だった。息を呑んでしまうほどの、追懐がせり上がってきていた。


「私の能力について教えるにはちょうどいい死体がありましてね。昨日殺したばかりなんですが」

「その人は……何をしたんだ。殺されるようなことを、したのか?」


 スヴェンと初めて調査へ赴いた日に、パンを盗んだと疑われていた男性だ。グレーテの話によれば、子供にパンを食べさせてやりたくてどうにか金を稼いだという。グレーテに、新しいパンを渡されていた。その彼が殺されていることに、納得がいかなかった。


「彼は私の背中にぶつかってきて、私が手にしていた手帳を盗んだんですよ。どんな手品で盗んだのかと思いながら追いかけましてね、取りたくて取ったわけじゃないなんて言っていましたが、とりあえず殺しました」

「盗んだ……? その人が、本当に?」

「ええ、常習犯だと思いますよ。私が彼を追いかけた際、通行人が言っていました。またあの盗人か、と」


 擦り合わせた奥歯が嫌な音を鳴らした。浮浪者というだけで盗人のレッテルを貼られた。恐らくパンを盗んだとして警察に取り押さえられた時、誰もが彼の姿を目に焼き付けたのだろう。この男が盗人だ、と。その軽蔑は、偏見は、彼を歪ませた。ジークハルトの手帳を盗んだのも、望まぬ魔法によるものだと臆断してしまう。


 これを、スヴェンが知ったらどう思うのだろう。あの時、自分が彼を捕まえたせいだと、己を責めるのだろうか。しなくても良い懊悩を、抱かせるわけにはいかない。私はここで見たことを瞼の奥へと覆い隠すよう、ゆっくりと睫毛を絡ませた。それは黙祷に見えたのかもしれない。ふ、とジークハルトが息を零していた。


「貴方は優しい人ですね。罪人の死に、心が痛みましたか?」

「そういうわけじゃない。貴方の魔法の話を続けてくれ」

「そうですね……私は、殺した人間の霊に取り憑かれる体質、と思っていたのですが、これも魔法のせいなのでしょう。そして私は、私に圧し掛かる霊を死体に植え付けることが出来ます」


 つまり、彼が殺していない人間の霊を連れてくることは出来ない。教会で少女の遺体が迸らせた悲鳴。重なるように聞こえた別の死者の声。当人の霊体と、彼が植え付けた霊体が、反発し合っていたのかもしれない。眉間に皺を寄せる私の前で、彼は机上にあったメスを摘み上げ、浮浪者の男性の手を切る。甲に浮かぶ血管が裂かれ、緩やかに溢れ出す血液。彼は銀に煌めく切っ先を咥えて僅かな血を啜っていた。


「殺せば殺すほど、私の肩が重くなっていくんですよ。死体に植え付けて一時的に軽くなっても、死体が限界を迎えるとまた霊が私の肩に戻ってくる。それが苦痛で仕方がないのに、この血も、肉も、臓物も、とても美味しくて食べたくなる。そうして何人殺してしまったか、覚えていません。朽ちない死体が奇跡的にあったりしないか……なんて、そんなことばかり考えて、死体を使い捨ててきました」


 薄い傷を先鋭でなぞって深傷に。丁寧に開かれた肉から尺骨が覗く。死後時間が経っているからだろう、夥しいほどの血が流れることはなかった。ステーキでも食べるような手つきで骨から切り離すと、彼は肉を咀嚼する。一口大よりも大きかったようで、彼の口端からは紫の管が垂下していた。目を逸らすも、咀嚼音すら気持ちが悪かった。


「私の父親は犯罪者でしてね。犯罪者の子供は犯罪者にしかならない、いずれ父と同じように人を殺して自分の欲を満たすと、そう言われ続けました。私がそうならないようにと、母は私に、人を死なすのではなく人を生かす道を選べと説き続けてきました」

「……良い母親じゃないか。どうして貴方はそうなれなかったんだ」

「高い理想は苦しいものですよ。期待され続け、それに応えようと必死になるのは、苦しくありませんか」


 唇を一文字に結んだ。その言葉には共感してしまう。期待に応えるのが当然のことだと、そう思い続けていた頃には抱かなかった息苦しさ。今なら、それがわかる。


「私は限界でした。医者の道へ進もうにも、あいつは人殺しの息子だと罵られる日々。それでも善人であろうと心掛けましたが、祖父母にまで見放され、軽蔑されました。だから」

「殺したのかい。祖父母を」

「ええ。私も人間なので後悔しましたがね。父のようになってしまったと頭を抱えているうちに、人を生かすように生きろという母の言葉を呪いのように反芻していました。生き返れと、願ったんです。そうしたら見事生き返りましたよ、面白いことに、祖父が祖母として、祖母が祖父として。肉体に対応出来なかったようで、喚いていました」


 周囲の軽蔑と、母親の期待。反対とも取れる願いと偏見が絡み合って、彼は自分が殺した人間の魂を死体に植え付け甦らせることが出来るようになった。そういうことだろう。取り憑かれる負担から逃れるために、死者蘇生と称して悲歎に暮れる遺族へ手を差し伸べる。大切な故人が生き返るのだと歓喜する人々を嘲笑うように、他人の魂を注ぐ。死体も霊魂も、互いに拒み合うことで泣き叫ぶ。誰も救われない行為としか思えなかった。無辜の死者への冒涜。胸中に厭悪が生じていた。今日蘇ったあの少女は、その本当の霊魂は、泣いていた。この男はこれからも繰り返すのだろう。利己的に、救いだと謳って。


 揺らめく燭光に双眸を細めた。男性の前腕の皮膚を食べ尽くしていた彼は、私を見上げる。こちらの嫌悪を気取ることなく、柔らかに笑んでいた。


「アドニスさん、お見せしましょう。まずどちらから見てみたいですか? 別の魂を植えた姿? それともこの男性の魂を入れた姿ですかね?」

「どちらもしなくて結構だ。貴方が殺した人間の魂を植え付けているだけ、本当の意味で蘇らせることは出来ない。そんな人形遊びに興味はないよ」

「人形遊び、ですか」

「糸で吊り上げて無理矢理動かしているようなものだろう? それも無辜の人間の亡骸を蘇生だなんて言って弄んで……期待外れだ」


 死者を蘇らせて、この手で殺したい。そんな私の願いも、厭われるものだろう。けれども、罪のない人間をいびつな世界に巻き込む異端者が、私は嫌いだ。人を歪めて魔法を与えるこの世界が、嫌いだ。


 上着の背から双剣を抜く。ジークハルトの顔がひどく歪んでいた。銀燭に背を向けた彼は、私の正面に立って墨色の影を落とす。


「それは、私を殺すということですか?」

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