軽蔑と願いの狭間3

     (二)


 コンラートがいる教会への道は、鬱蒼とした木々に反して、草花が庭園のように整えられていた。生真面目そうな彼が整備しているのだろうか、入口に近付いていくと鮮やかな薔薇が顔を出す。馥郁ふくいくたる香りに視線を動かした。見据えた教会の手前にはいくつもの墓が並んでいた。名前の書かれている墓石もあれば、何も書かれていない墓石も多く置かれていた。


「スヴェンくんじゃないか。どうしたんだ」

「コンラートさん」


 揺れた祭服に顎を持ち上げる。分厚い手帳にペンを挟んだ彼は、会釈をした俺へ微笑みかけてから墓を見回した。


「墓を見ていたのか」

「あぁ……名前がない墓石もあるんだなって」

「墓石にも費用が掛かるからな。正式な葬儀を頼んでくる人の墓は名前が書かれているが、ヴォルフに無償で埋葬を頼む人達の遺体や、身元不明の遺体は石が置かれるだけなんだ」


 碧天の下に佇む幾つもの墓石。それを見渡しながら、彼は十字架に触れていた。彼が葬儀屋の名を出したからか、葬儀屋も十字架を付けていたことを想起する。と同時に、葬儀屋が呟いた名前が脳髄にこびりついたままであることも、自覚してしまう。渋面を浮かべていたら顔を覗き込まれた。


「何か用があってきたんじゃないのか? それとも、悩み事でもあるのか」

「事件の調査を、葬儀屋に頼まれてきたんだが……」

「死亡時刻と腐敗状態が一致しない死体の件か。まぁ、それは少し置いておこう。まずは君の心を落ち着かせるのが先だ。何を悩んでいる?」


 真摯な諸目に本心が引き出されそうになる。唾を呑み込んで、吐露してしまいそうな言葉を抑え込んだ。それでも彼が憂慮を向けてくるものだから緘口を貫くことは出来なかった。


「コンラートさんは、葬儀屋と親しいんだよな」

「親しい……どうだろうな。私は流言で苦しんでいた彼を放っておけなかっただけなんだが」


 流言。ありもしない噂を流されて、葬儀屋は歪んだのだろうか。恐らく、葬儀屋の魔力が溢れ出し、魔法を使えるようになったのはそれが原因なのだろう。ただ、コンラートが魔法について知っているかは分からない。返事に悩んでいれば彼は語りを続けていた。


「ヴォルフに葬儀屋をやってみないかと持ち掛けたのも私だ。彼が殺したわけではない死体が、家の前にいくつも置かれていく。ならばちゃんと埋葬してやればいい。そうすれば彼を軽蔑する目も少なくなると思ったんだ」

「それで今は貧しい人に寄り添う無償葬儀屋、ってことか」

「あぁ。神父である私が教会に埋葬をすることで、警察にも目を瞑らせている」

「……あんたは、どこまで知っていて、葬儀屋と一緒に警察の目を欺いてるんだ。妊婦殺人事件、子供が殺された事件、その犯人が行方不明になっていることについて、どういうことかあんたは知ってるのか?」


 瞼を持ち上げたコンラートを見つめる。交差したまま、ほどけることがない視線に、彼は肩を竦めて困ったように笑った。


「ヘルマン・ハック、マルガ・クロイツァー。どちらも埋葬は済んでいる。この墓地に埋まっているよ」

「じゃあ……」

「ヴォルフの行為を正義だとは思えない。だが、必要悪の類だとは思う。連続殺人鬼を捕らえても、償った後また罪を犯す可能性は高い。フェストでは死刑という、賛否が分かれる処罰を下すことはあまりない。かつて大きな蜂起があったらしく、民との対立を恐れていてな。だからこそ表向きは行方不明という形で裁き、裏で殺しているヴォルフの存在は、警察にとっても都合がいい部分はあるのかもしれない」

「待て、警察も知っているのか?」


 思惟するように顎へと手を添えた彼。振られた首は左右に、だ。示された否定を怪訝な眼で捉える。小風で草葉が舞う。長閑やかな自然に立ちながらも、交わす口跡こうせきは互いに硬かった。


「ヴォルフが犯人だとは知らないはずだ。知っていれば、ヴォルフを悪だとみなして捕らえに来る者もいるだろうからな。ただ、警察が事件現場から一輪の百合の花を回収している姿が多々見られている」

「百合の花? なんだそれは」

「ヴォルフが置いていっているんだ。犯人が行方不明になる、それにさえ犯人がいることを仄めかすように。警察も気付いて、裏で調査をしているかもしれない」

「どういうことだ、それじゃあ葬儀屋が捕まりたがっているみたいじゃないか」


 燦々と降っていた火輪の光が、白雲に呑まれる。落とされた影は決して暗いものではない。暖かな風が表皮に触れていた。コンラートの湛えた微笑は、ひどく優しいものだった。


「あいつはいつだって、誰かに裁かれたがっている。いつか終わりが来るように自分で仕組んで。けど終わりたくもないんだろうな。自分では選ぶことが出来ないまま、のうのうと生きて、その結末を運命に任せてるんだ」


 俺は軽く睫毛を伏せた。コンラートから聞いた葬儀屋の一面、俺が知る彼の顔。全てを繋げても彼という人物の本質を思い描くのは難しかった。剽軽ひょうきんで、けれども時折憂いの色を瞳に宿す葬儀屋。俺には、そんな彼が心を覆い隠しているように見えていた。しかし彼が零したあの声だけは、情感をはっきりと滲ませていた。それゆえ、聞き間違いかもしれないと思っても忘れることが出来なかった。


「……コンラートさん。エリーゼって人を知っているか? 葬儀屋が、呟いていたんだが」

「エリーゼ……いや、知らないな。私もヴォルフについては知らないことが多い。友人も両親も亡くしていることくらいしか分からない。地下のアトリエにも入ったことがないしな」

「そういえばアドニスも、アトリエには入るなって言ってたな……」

「入ろうとしても鍵がかかっていたからな、彼がどうやって美しい人形を作っているのか、私も少し気にはなるんだが。初めて彼の人形を見た時は驚いたよ、本物の人間のように美しく、熱を感じられるような色味の肌で……」


 葬儀屋の人形について熱弁するコンラートを横目に、仮初めの安堵を漏らした。葬儀屋とそれなりの付き合いがあるコンラートだ。家の中については知らなくとも、彼の人間関係くらいは知っているだろう。ましてや親密な関係だとすれば尚更。俺の勘違いだったのだと愁眉を開いていたら、いつの間にか語り終えていたコンラートの笑みが正面にあった。


「少し、気持ちが落ち着いたようだな。雑談を出来て良かったよ」

「あ、いや……ありがとな」

「本題に入ろう。事件の話だが、先程ある程度の聞き込みを終えたところだ。ここの墓地に埋葬を頼んできた人の話しか聞けていないが、その人達の証言からも知れたことはいくつかある」


 快音を伴って捲られたのは厚い手帳だ。挟んでいた鉛筆の穂先で文字を辿りながら、彼は情報を整理しているようだった。


「死者蘇生の儀は教会、或いは依頼者の家で行われているらしい。病死した遺体もあれば、何者かに殺された遺体もあったそうだ」

「殺された遺体……それは警察に言わずに蘇生を頼んだのか」

「ああ。殺された事実を受け入れられず狼狽していたところ、神様が通りかかってくださった、そう語っていた。そのまま蘇らせてくれたそうだ。尚のこと神に見えたのだろうな。それと、身内がいないものの、蘇らせられている遺体もあった。その蘇生の経緯は当然不明だ」


 傾聴しているうちに、眉根が寄せられていく。事件の内容を聞く限り、蘇生といっても一時的なものだ。それは驚喜するようなことなのだろうか。失う悲しみを、二度味わってしまうだけではないのだろうか。黙考する視界で、コンラートの手帳が一つ音を立てた。


「蘇った死体に関してだが、赤ん坊のように泣いたり呻いたりするだけで意思の疎通が出来ない場合と、生きている時と変わらずに会話が成り立つ場合に分かれているらしい」

「意思の疎通が出来ない……? 蘇ったことで狂う場合もあるのか?」

「どうだろうな。その人が生前したことのない、別人のような表情を浮かべることもあったそうだ。怖がっていた人もいたよ、死に抗ったから呪われたんじゃないかって」

「……コンラートさん、病死した遺体は意思の疎通が出来ず、殺された遺体や身内のいない死体は会話が成り立っていた、或いはその逆なんじゃないか」


 憶測をすることしか出来ないが、蘇生の経緯と蘇生後の状態は繋げられるような気がした。コンラートは目を見張り、手帳のページを指先で送っていく。落とされる独言は、人の名前を挙げていく。


 しきりに虹彩を動かして見知したらしい。彼は溜息を吐き出していた。


「君の言う通りだ、病死の場合は会話が成り立たなかった。なるほど、共通点はそこか……」

「殺された被害者遺族のもとに、ちょうどよく現れる神様。嫌な感じだな」

「……まさか、この蘇生師が、人を殺しているのか!?」

「その可能性はある、と思っただけだ」


 胸に沈めていた予想を言葉にされると、顔を顰めるしかなかった。もし、この考えが当たっているのなら、グレーテは殺されていたことになる。挙句、悪戯に蘇らせられ、ひどい悲しみを味わわされた。肺腑を炙っていく恨みに奥歯が軋む。たった数日、優しさを向けてもらっただけの関係だ。それでも彼女が善人であることは知っている。彼女の暖かい人柄を、知ってしまっている。俺でさえ彼女への深悼が溢れて止まらない。ならばアドニスは、どれほど傷付くのだろうか。


「教会で蘇りの儀式が行われているって言ってたな、それって……」


 思い浮かんだのは、白髪の少女の端麗なかんばせ。九陽に照らされる橋の上で、彼女に差し出されていた招待状を追想する。鳶色の瞳の男。彼が囁いた、死者蘇生という単語。


 今すぐにでも飛び出しそうになる爪先を制しつつ、コンラートに詰め寄った。


「っどこの教会だ、あんたが蘇りの儀を知らないってことはココじゃないんだろ!?」

「あ、ああ、その通りだ。街の中にある教会だろう、あちらの方が立派だからな。裕福な人や、葬儀くらい良いところで行いたいと考える人は大抵向こうを利用する。そのせいか、蘇生の儀式に金をかけたことで、埋葬に掛けられる資金がなくなり、私の教会を頼った者が多い。おかげで情報を得られたが……」

「詳細はいい、どこにあるのか教えてくれ!」

「病院の橋を渡った先だ。一際高い屋根だから目立つと思うが……そういえば今日はそこで葬儀が行われる予定があったな。それにしても急にどうしたんだ? 気がかりなことでも――」

「橋の先か……助かる……!」


 草花の香が舞い上がった土埃に攫われる。俺を呼び止める声は靴音で掻き消されていった。アドニスの私用が死者蘇生の儀式に参加することだとすれば、彼女が葬儀屋に黙って出て行ったことにも合点がいく。死者蘇生という、魔法使いと関わりがありそうなことに葬儀屋が喰い付かないわけがない。止められるか、殺してこいと言われるか。どちらにせよ彼女にとって都合の悪いことなのだと、そう判断したことが推考できる。


 俺はアドニスが何を求めているのか分からない。それでも、暗がりへ引きずり込まれて溺れていく姿は、見たくなかった。水底は寂寥せきりょうで満ちていて、息苦しいものだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る