魔女の爪痕3

「人間は皆、魔力という力を体内に宿しているんだ。一般人のその量はとても僅かで、だから誰も魔法に気が付かない。ただ魔力ってのは他人の感情に敏感でね。向けられた感情に当てられてその量が増えてしまうこともあるし、強い感情を複数人から、または継続的に向けられ続けると、増えた魔力が沸騰して溢れ出す……魔女狩りの話を覚えているかな?」


 数刻前、葬儀屋が喋々ちょうちょうしていたことを喚想する。俺が知っている限り魔女狩りは、気に食わない人間を告発して裁判にかけ、魔女だと決め付けて罰する、迫害を正当化したようなものだ。何世紀か前に終わったものだと思っていたが、彼の口吻からしてこのあたりではまだその名残があるのだろうか。


 黙然と考え込んでいたら彼が続けた。


「偏見や迫害、そうしたものは魔法使いを生みやすい。強い感情を向けられ続けた人間は、増えてしまった魔力が器から溢れ出して、歪んで、他人の言葉通りになる。例えば『あそこの店主が出す料理には毒が入ってる』って噂をされたら本当に劇薬を生成してしまうようになるし、『あいつは人を焼き殺す魔女だ』なんて言われたら本当に焼き殺せる力を得てしまうことがある。そうして『魔法を使える』と自覚出来るようになる。ただし魔法を使う為には魔力が消費される。魔力が減れば魔力に飢える。減ってしまった魔力を、どう注げば良いと思う?」

「は……」

「正解は血肉を喰らうことだ。魔法使いはね、理性では望まなくても、体が人の臓物を求める。魔力が美味しいと感じるように、血肉が美しいと思えるように、感覚が狂っていく。初めて魔法を使って、それきり使わなくなったとしても、その初めての時の消費量を注ぎ直さなければ喉が渇く。だけど一般人の臓器には少量しか魔力が含まれていないから、人一人殺して食べたところで足りずに飢えていく。魔法を使ってしまうと麻薬のように人肉を摂取し続けなければ、渇きを鎮められないんだ」


 他人に迫害され、ありもしない噂を流され、そのせいで魔法使いになる。一般的に人が嫌悪するはずの食人が癖になってしまう。自分がもしそんな風に歪められたら、と想像して眉を顰めた。


「となると、連続殺人犯が魔法使いである可能性が高いのは、継続的に人を殺さなければならないから、ってことか」

「そういうことだね、物分かりが良くて助かるよスヴェンくん」

「だからあんたは、魔法使いだから、魔力を多く持っている魔法使いを、殺して食べたい……?」

「あぁ、そういうことだ」

「じゃあさっきのは……」


 先程葬儀屋が食べていたウインナーとホルモン。腸と挽肉、内臓。全て人の臓物によって作られたものなのだと、今になって理解した。葬儀屋が俺に勧めた時、アドニスが蒼白の顔面で止めた理由に思い至る。人の肉を、笑いながら食べていた彼。咀嚼され嚥下えんかされていく、人間の臓腑。


 知ると同時に俺は口元を押さえていた。食べたばかりのサンドイッチが喉元まで競り上がってくる。定まらない焦点を揺らして机上を出鱈目に見つめる。嘔吐感をどうにか堪えていたら、優しく背中を摩られた。いつの間にか、アドニスが俺の隣に腰を下ろしていた。


「葬儀屋、もう少し言葉とタイミングを選んでください」

「僕としては選んだつもりなんだけど、スヴェンくんは随分貧弱な精神を持っているみたいだね。微温湯に浸かって生きてきたのかい?」

「これ以上不快にさせてどうするんですか。言葉を選べって言いましたよね。……スヴェン、気分は……」


 嫌悪が気道を這い上がってくる。人を食べる人間に対する軽蔑。肺腑を満たしていくそれを自覚してから、自己嫌悪が湧いてくる。葬儀屋とて好きで食べ始めたわけではないのだろう。人並みの嫌悪感さえも偏見の類なのではないかと考えてしまってから、絡まり始めた全ての思惟を振り払う。「大丈夫だ」と口にしたが、アドニスは深憂を向け続けてくれていた。


「それで、だ。スヴェンくん。話した通り、今この街では妊婦の連続殺人事件が起きている。それも全員腹を暴かれて。単純に妊婦が憎いのなら殺すだけ又は切り開いてやるだけでいい。臓器や胎児を引き摺り出す必要はない。恐らく犯人は、臓器も胎児も食べたいから妊婦を選んだと思われる。ただの猟奇殺人の可能性もあるがね」

「そうか……」

「そんな事件の調査を行って犯人を殺してもらうわけだけども、君の精神で耐えられそうかい? 無理だって言うんなら野宿する方を選んでも構わないよ」


 踏み込みたくない。それが本音だ。けれども眼目を吊り上げていく憤懣も確かなもので、見なかったことには出来そうにない。


 母のことが胸の内に浮かぶ。顔も声も知らない人だ。それでも大切な存在で、生きていて欲しかった人だ。そんな母と事件の被害者が重なるせいで、放っておきたくはなかった。


「妊婦にそんなことをする奴は、許せない。それに一度引き受けたことだ。今更引き返すつもりはない」

「そうかい、それは良かった。安心して任せられるね。それじゃあ、後はよろしく頼むよ、アドニス。僕はそろそろ教会に行かないといけなくてね」

「はい。気を付けて行ってらっしゃいませ」


 話すだけ話すと、葬儀屋は黒いローブを翻して出て行った。「スヴェン」と呼ぶ声に顔を動かせば、アドニスが食器を乗せたワゴンに手をかけ頬を緩めていた。


「付いてきてくれるかな。これを片付けに調理場まで行くんだけど、その間多少この屋敷を案内出来ると思うから」

「分かった」


 アドニスよりも先に出口へ向かい、光沢のある木製の扉を開ける。彼女は花唇を開き「ありがとう」と零してからワゴンを押して扉を潜っていった。


 廊下は真っ直ぐで迷う心配は無さそうだ。頻繁に掃除がされているのか、床や花瓶が置かれている棚にも埃は見受けられない。進行方向に意識をやって、背筋が粟立った。各部屋の扉の前に、まるで門番のように人が立っている。俺が今退室したばかりの部屋も同様で、振り向くとドレスに身を包んだ女性が瞑目したまま佇んでいた。死体のようで生気が感じられないというのに、その肌は決して蒼白ではない。熱が宿っているような血色のいい頬は滑らかで柔らかそうだ。じっと嘱目しょくもくしていたらヒールの音が近付いてきた。


「それは葬儀屋の作った人形だよ。置いてあるのはどれもそうだ」


 俺の隣に並んだアドニスがドレスの女性に手を伸ばす。小柄なアドニスよりも少し背の高い女性は、人間にしか見えなかった。女性の髪を撫でた彼女が、伏せられている瞼を親指でこじ開ける。眼窩に収まっていたのはアクアマリンだった。


「人形、なのか……本当に」

「葬儀屋の本職は人形職人でね。屋敷の地下には彼のアトリエがあるんだけど、入らない方が良い。仕事場には誰も入れたくないみたいだから」

「そうか。わかった」

「人形を作るだけじゃなくて着飾るのも趣味みたいだから、珍しい服とか妙な服にも飛びつくんだよね。この服とか……どこかの国の民族衣装らしいよ。キモノ……とか言っていたかな」


 プラム色の長い袖が視界で揺れる。聞き慣れない単語に、へぇ、と呟いてから足元を見下ろした。俺の靴に興味を示していたのもそのせいかと納得する。地元の商人に貰った靴だが、それほど変わったデザインはしていないのでは、と思考していると藤紫を纏った白髪が靡く。


「さ、行こうか」


 ロングブーツの跫音きょうおんを追いかける。浴室や資料室、衣装部屋などがこの一階にあるらしく、説明を聞きながら歩を進めていた。ようやく訪れた調理場は、器具が綺麗に整頓されていてアドニスの几帳面さが窺えた。


「客人用の部屋は二階にいくつかあるから、スヴェンもそこを使うことになるんじゃないかな」

「も、ってことはアドニスの部屋もそうなのか?」

「あぁ。二階の一番端の部屋だ。調理場にも食堂にもいなかったらそこにいると思ってくれていい。何かあったらいつでもおいで。葬儀屋の部屋は三階にあるから、彼に用があったらそこを覗いてみるといいよ」

「……あんたと葬儀屋って、何年くらいの付き合いなんだ?」

「え? 四年くらい、だと思うよ」


 食器を手早く洗いながら俺を後目で映す彼女。疑問符を浮かばせているものだから「なんでもない」と紡いでやった。敬語を崩したアドニスの口調がやけに葬儀屋と似ている気がした為、気になっただけだ。四年も一緒にいれば似るのかもしれない。


 硝子と水の旋律に耳を澄ませながら、ふと思う。俺と姉は似ているところがあっただろうか。誰にでも一笑を咲かせていた姉のように、優しい人間になれている自信は、あまりなかった。


     (二)


 港湾都市フェスト。森に囲まれていた村出身の俺からすれば珍しい建物ばかりで、常に辺りを見回しながら歩いてしまう。木製の家屋は殆どなく、屋根も壁も色とりどり。窓には花が飾られていたり、外壁に彫刻が施されていたりと一軒一軒が芸術品のようだった。橋を踏み鳴らし、旭光の揺蕩う水面を見下ろす。反射する街並みまでもが水鏡を彩っていた。胸中で感嘆していたら勢いよく腕を引かれた。アドニスが俺の片腕を抱き込んで、前だけを見つめて歩いていく。


「……おい、なんでしがみついてるんだ」

「君がさっきからはぐれそうな動きをしているからじゃないか。そっちじゃなくてこっちだよ」

「別にはぐれたりしない」

「どうかな、あまり信用出来ないね」


 頭一つ分ほど低い位置にある彼女の顔が悪戯っぽい笑みを浮かべる。上目遣いで見上げられると大きな瞳が一層宝石のように見えた。


 目立つ容姿だと思ってはいたが、予想通り彼女はすれ違う人々に熟視されていた。足を出してはしたない、なんて囁き合う貴婦人や、猥雑な目で眺めてくる紳士。正直隣にいる俺の肩身が狭かった。


「あんた、その格好どうにかならないのか? 目立つだろ。足とか……」

「あぁ……もう慣れたよ」

「俺にも慣れろってか」

「そうなるね」


 くす、と、解語の花が綻ぶ。当人が気にしている様子は一片もなく、仕方ないかと諦めるしかなかった。


「それにしても、本当にホテル巡りは後で良かったのかい?」

「ん、ああ……一応助けてもらってる立場だしな。やることやってからじゃないと悪いだろ」

「君は真面目だね。葬儀屋にも見習ってもらいたいな」


 物静かな速度で言葉を交わしていたら、アドニスが細い路地を覗き込む。ゴミ箱や箒が置かれている一本道。建物に蒼然たる影を落とされている石畳には、点々と染みが付いていた。路地裏だから汚れていても当然か、と思ったがそうではなさそうだ。眺め入ってみればその染みが血痕であることに気が付いた。


 カツッ、と、踵の高いブーツが迷いなく赤黒い斑点を踏みつけていく。俺から手を離した彼女を即座に追いかけた。


「アドニス、ここが……」

「そう。昨日の事件現場だ」

「入っていいのか? 警察に見られたら怪しまれるんじゃ……」

「問題ないよ。凶器や手がかりがないかは隈無く探した後だろうし死体の処理も済んでいる。警察は今頃被害者の知人でも当たってみてるんじゃないかな」

「被害者の知人や友人が犯人とは限らないだろ」

「それは当然だ。むしろその可能性は低い。妊婦全員と知り合いでなければ全ての犯行には繋がらないし、そんな人間は病院関係者くらいだろうしね」


 大通りに抜ける手前で靴音の余韻が溶けていく。道の先の陽光が、裏路地の陰影を色濃くしているような気がした。アドニスの懸珠オッドアイが睨め付ける先を辿ると、地面が血紅色に絵取られていた。点々と、なんて程度ではない。多少拭き取られ、時間の経過で凝固してはいるものの、夥しい血がそこを濡らしていたのは確かだった。


 赤黒く汚れた石の上へ、アドニスが躊躇なく片膝を突く。徐に両手を絡ませると、彼女は黙祷をしていた。それに倣うよう俺も目を伏せる。雑踏だけが聴覚を擽る中、踵の音が一つ、静寂に落ちた。


「スヴェン、少しの間だけ黙っていてくれるかな。死者の声を聴かなければならないから」


 それがどういう意味であるのか飲み込む前に、彼女は科白じみた独白を風に攫わせていた。


「――声を、聴かせてください。貴方がここで目にしたものを、教えてください」


 虚空に投げかけられる懇願。漂い始めた空気はいやにいびつで、彼女が何をしているのか俺には分からなかった。否、何もしてはいないのだ。ただそこに凛然と立ち、瞼を下ろしたまま赫灼かくしゃくたる陽射しを浴びていた。問いかけたかったが、言われた通り無言を貫いて彼女を凝望した。


 やがて長い睫毛を持ち上げた彼女が、花片を散らすようにぽつりと独り言ちた。


「火花……拳銃は使われていないはず……魔法か……?」

「なんの話だ」


 いい加減黙っていられずことうてみると、彼女は華奢な肩を揺らして俺を仰いだ。柔和な笑みを浮かべている、ということは喋っても大丈夫だったようで、密かに胸を撫で下ろした。


「被害者の霊がまだここにいるみたいでね。事件の時のことを聞いてみたんだけど……後ろから刺されたから顔は見ていない、意識が消えていく中で火花が散って見えたそうだから、手掛かりはそのくらいなんだけど……」

「……なぁ、葬儀屋といいあんたといい、妙な宗教でも入ってるのか。それともあんたのそれも魔法か?」

「魔法……みたいなものかもしれないね。私の場合は生まれつきだから、体質と言ってもいい。普段は雑音みたいに死者の声が聞こえてくるんだけど、話しかければ鮮明に聞き取れるようになるんだ」


 魔法は他人の偏見や思い込み、噂などが現実のものになる、だったか。死人の声を聞ける子供が生まれる、と思い込まれていたのだろうか。


 まだ理解出来ていないことについて考えるのは、頭が痛くなる。深思するほど目元に皺が寄っていく。そんな俺の顔になにか誤解をしたのか、アドニスが袖を引っ張ってきた。


「行こうか。ここは居心地が悪いからね、長居するものじゃない」

「次はどこに……」

「――泥棒よ! 捕まえて!」


 路地を抜け、日光が何に遮られることもなく注がれる。目に痛いほどの明るさに慣れようとしていたら女性の喚叫が響いた。

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