魔女の爪痕2

 甘い香りと食欲を唆る肉の匂いが混ざり合う。朝食として葬儀屋の前に置かれていたのは肉料理だ。ウインナーとホルモンだろうか。柔らかそうな脂身が艶めいており、絡められたソースが滴る様子は美味しそうだった。しかし、朝食にしてはやけに重そうなメニューだ。その隣に置かれているスープにはパスタ生地が浮かんでいる。食べかけの生地の断面からは挽肉と野菜が零れ、澄んだスープに揺蕩っていた。


 まじまじと眺めていたら、葬儀屋がウインナーを刺して俺の方へ腕を伸ばしてきた。


「あげようか?」

「いや……」


 要らない、と俺が言い終える前に、真白な手が葬儀屋の腕首を掴み上げる。その勢いに吃驚しながらもアドニスを振り仰ぐと、彼女は蒼褪めた相貌で葬儀屋にけいがんを突き刺していた。


「やめてください」

「はは、冗談じゃないか。僕だって一人でブレイクファストっていうのも寂しいんだよ」

「タチの悪い冗談ですね……スヴェン、何か持ってくるよ。サンドイッチとかで良いかな?」

「あ、ああ」


 瞬刻だけ弥漫びまんした殺伐とした空気。それは気のせいだったかのように、アドニスの退室と同時に消えていく。剣尖を思わせる鋭さを突き付けられていたにも拘らず、葬儀屋は事もなげに笑っていた。


「なかなか美味しいんだけどね、魔力がたっぷり詰まっていて」

「魔力?」

「魔法を使う為に必要な力だよ。僕みたいな魔法使いは大体それに飢えている」

「は?」


 魔法なんてものがあるはずはない。おどけ話か、それとも夢語りのどちらだろうか。或いは第一印象の通り、妙な宗教と繋がりがあるのかもしれない。


 ナイフとフォークを楽器のように擦り合わせ、ソースを拭う彼。僅かな金属音は彼の音吐と重なった。


「ところで君はアドニスと同じで髪が随分白いね。君も〈神のグレイス〉なのかい?」

「あんたは……さっきからよく分からないことを言うな」

「神様はね、届いた声には干渉するみたいなんだ」


 説明する気があるのか、ないのか。彼は彼の思うまま、独白に似たテンポで連ねていく。聞き流すことも出来たが興味を抱いてしまっていた。『大きな声ならば神に届くかもしれない』と、そう語った姉のことを追想していた。


「随分前、魔女狩りなんてのがあったろう? 君が生まれた頃にはその名残もなかったのかな。知っているかい? 民衆で声を揃えて、コイツは魔女だ、なんて叫んだら、その束になった声は大きいから神様に届いてしまうんだ。そうしたらどうなると思う? 神様はね、本当にその人を魔女にしてしまう。人間が望んだ通りに」

「……御伽噺か?」

「ははっ、好きに思うといい。あぁ、でもこれだけは覚えておきたまえよ。偏見も噂も、期待でさえ簡単に人を歪める。それを現実のものにしてしまうのは神様だけれど、人を壊すのは人だ。思い込みや言葉には気を付けるんだよ」


 重みを孕んだ声遣こわづかいに、何気なく目を逸らす。彼の語った内容についてはあまり理解が出来なかったが、細い針で刺された感覚が胸間に残された。ティーカップを持ち上げて紅茶を飲むことで、気まずさを喉頸のどくびへ流し込んでいた。


 葬儀屋の鼻歌が静黙を掻き消し、秒針の音と合奏をする。それを劇伴にして居心地の悪い時間を耐えていると、アドニスが戻ってきた。俺の前に置かれたのはサンドイッチで、スモークサーモンとレタス、クリームチーズが挟まれている。


「お待たせ。簡単なものだけど、どうぞ」

「ありがとな、アドニス」

「客人をもてなすのも私の仕事だからね。と、葬儀屋。パンが無くなったので後で買いに行きますが、他に必要なものはありますか?」

「内臓が食べたいな、質の良いやつをね」

「……これでは足りませんでしたか。かしこまりました」


 ライ麦パンにかぶりつく。パンの微かな酸味がクリームチーズのまろやかさを引き立たせており、空腹だったせいかサーモンの芳しい塩気が咀嚼を進ませた。レタスの快音を食道に下らせてから、口端に付いたチーズを手の甲で拭った。


「なぁ、聞きたかったんだけど、ここはどこだ?」

「僕の家だよ」

「そうじゃねぇよ」

「フェスト、で分かるかな。港湾都市フェスト。それがこの街だ」


 危うく、サンドイッチを取り落とすところだった。情感が静まる。口角が上がったのは、フェスト、と唇の裏で反芻してからだった。こんな僥倖ぎょうこうに恵まれるなど思わなかった。


「スヴェンくん、だっけ? 君は船に乗っていたんだろう、目的地はどこだったんだい?」

「ここだ。フェストを、目指してた」

「おお、それは良かったじゃないか」

「ッ姉を探しているんだ。五年前この街に行くって言っていた。ここに来ているはずなんだ。何か知らないか。歳は当時十九、長い金髪に、俺と同じ白藍の目をした女だ。見覚えとかは……」


 はやる気持ちが溢れてきて止まらなかった。のべつ幕なしに質してしまってから、唇を押さえてブレーキを掛ける。瞠然として俺を見ていた葬儀屋は、アドニスと見交わしてから首を横に振っていた。


「生憎僕の仕事は旅人と関わるようなものじゃない。死体となっていれば別だがね。ただ金髪の女性なんて多くいる、覚えていられない」

「そ、うか……」

「一先ずフェストにあるホテルを回ってみることをオススメするよ。知人がいればその家かもしれないが……観光客の多くは宿泊施設を利用するものだからね」


 静かに深呼吸をする。激情を心の底へと取り鎮めていく。フェストに来たからといって、姉の手掛かりがすぐ見つかるわけではない。それは当たり前のことだ。ホテルを回るのなら地図が必要になる。どこに行けば地図をもらえるだろうかと潜思していたら、葬儀屋の楽し気な声が鼓膜を打った。


「と、いうわけで! つまり君も宿泊先が必要になる。君は無一文だ。さぁどこに泊まる?」

「あ……」


 姉を見つけるために何日滞在しても構わない。そのつもりで財布に詰めてきた金は、今頃海の藻屑となっているのだろう。数日飲まず食わずで野宿をするのはリスクが高い。ならば住み込みで働ける場所を探すことになる。熟慮を繰り返すにつれ、指先に力が込められていた。サンドイッチを握り潰しそうになっていたことにハッとして、一旦皿の上に置いた。顎を持ち上げてみれば、正面に鎮座する葬儀屋がなぜか喜色満面で両目を細めていた。


「ここなら無償で泊まってもいいし、食事だって出してあげるよ。ただし条件がある、僕を手伝ってくれないか?」


 合点がいく。つまり彼は、俺を利用する為に拾ったのだ。これほど無一文を強調してくることだっておかしい。やはり財布は流されたのではなく盗られたのではないかという疑いが喉奥に張り付いていた。


「……助けてくれたことは感謝している。だがあんたらに構ってるほど暇じゃないんだ。それにやっぱりあんたを信用できない」

「そんなことを言える立場かい? 言っておくがフェスト(ここ)はそんなに治安が良くない。野宿はお勧めしないよ。僕の手伝いをしてくれるのなら、街のことを何も知らない君の姉探しに、この街を大体わかってるアドニスを案内人として付けてあげるつもりだ。全て無償。良い話だろ?」


 いきなりそんなことを言われてはアドニスが困るはずだ。そんな思いで彼女へ目線をやったが、彼女は大きな瞳を一瞬丸めただけで、反論することもなく俺の回答を静かに待っていた。


 信用は出来ない。けれども葬儀屋が差し出すモノは、全て今の俺に必要なモノだ。彼の手を取るのが最善だということは昭然としていた。


「……条件って、なんなんだ」

「アドニスの護衛をしてほしい、それだけだよ」

「護衛……?」


 事情が読めず、眉間に皺を寄せる。一人の少女が歩いているだけで危険に晒されるほど治安が悪い、とでも言うのだろうか。だが確かに、アドニスの容姿は心配になるものだ。白髪にオッドアイ、それだけで人買いに目を付けられるには十分だろう。白い髪の若者が注目を浴びるのはどこに行っても同じだ。俺でさえそうなのだから、人形のような顔立ちで目立つ服装の彼女が注視されるのは予想できた。


 けれどその臆度は、掠った程度なのかもしれない。葬儀屋はまたも事情をぼかしながら返辞をしてくる。


「そう、護衛だ。危ないことを任せることもあってね、アドニスは度々大怪我をして帰ってくるから。適当に護衛を用意しようにも、僕達のことを口外しない人間が良い。だがそんな信頼出来る人間は都合良くいない。そこで君はちょうど良かった。この街に知人のいない無一文の旅人。余計な噂を言いふらす相手もいない、とてもいいね。アドニスにはあまり怪我をしてもらいたくないんだよ、治療をする僕が疲れるからさ」

「……その危ないことをあんたがやればいい話じゃないのか」

「それだとアドニスが居候になってしまう。彼女が僕の家にいる条件として出しているのが、僕の指示に従いお使いをこなすことだからね」


 葬儀屋に雇われているメイドのような存在かと思っていたが、少し違うらしい。へぇ、と相槌を打ってから嘆声を吐き出した。


「分かった、条件を呑もう」

「君の事情にも時間が割けるよう、アドニスがどうにか機会を作ってくれるだろうから安心してくれ。アドニスは利口だからね、君のことをないがしろにはしないはずだ」

「当たり前です。そもそも巻き込みたくはないのですが」

「君が無傷か軽傷で帰って来れるなら護衛も要らないんだよ」


 アドニスは不服そうに葬儀屋を眇目びょうもくする。それでも反対だとは言わないあたり、彼らの関係性が見えるようだった。話が落ち着いたことで食指が動く。サンドイッチを持ち直し、残り半分を食べてしまおうと喰い付いた。船上で少年の母親が『フェストは食べ物が美味しいことで有名』と言っていたが、その通りだなと思えた。


「まぁそういうことだから、よろしく頼むよスヴェンくん」

「ああ」

「で、アドニス。今回の事件の調査はどうだい?」


 葬儀屋が食べ終えた肉料理の食器を、アドニスが清淑な動作で片付け始める。簡単なものと称されたサンドイッチがこれほど美味しいのだから、葬儀屋が食べていた料理も美味しかったのだろうなと黙考してから苦笑した。腹の虫が鳴くことはなかったが、自覚していた以上に空腹だったみたいだ。


 最後の一口を飲み込んでいれば、空いた皿を彼女が回収していった。陶器の音色を縫うように玲瓏たる声音が落とされていく。


「噂になっている通り、事件の被害者は皆妊婦。この街の人間もいれば、他の街から来た女性も多いです。フェストの医師が優秀だと知れ渡っているからでしょうね。出産の為にここの病院を利用する人は多い。妊婦を殺すことが目的なら、病院の前で待ち伏せていれば簡単に標的が見つかります。犯人にとってあそこはとても都合が良い場所なのではないかと」

「そうだね。それで、被害者の腹部は」

「切り開かれていたそうです。臓物は引き出され、恐らく胎児も同様でしょう。見つかっていません。凶器は包丁と聞きましたが死体をこの目で確認していないので詳細が分かりません。ただ、昨日の犯行現場はわかっているので後程そちらへ赴いて調査を進めます」

「そうか。そろそろ犯人も僕の家の前に死体を捨ててくれればいいのにな。この街の人間はどうでもいい死体ほど僕に任せるんだ、面倒だから葬儀屋ごっこなんてやめたいんだがね」

「なんの、話をしているんだ。あんたら」


 妊婦が、臓器も胎児も引き出されて殺されている。その惨憺たる事件に自身の面様が歪んでいくのを感じる。顔を繕うことは難しい。それはあまりにも、吐き気がするほど嫌悪が発露する内容だった。そんな俺の真情を気取ってか、アドニスが申し訳なさそうに睫毛を伏せていた。


「スヴェン、ごめんね。配慮が欠けていたよ。食事時にする話じゃなかった」

「いや……」

「治安が良くないってさっき僕が言っただろう? 連続殺人事件なんて珍しくもない。僕達はそれを、警察が解決する前に解決して犯人の死体を手に入れたいんだ」


 探偵のような仕事をしているのかと沈思してすぐ、聞き落としかけた単語を拾う。死体。被害者のではなく、犯人の死体。彼は今、そう言った。


「どういうことだ。殺すって事か? 犯人を? 葬儀屋としての仕事がないなら自分で作る、そういうことか?」

「早合点はよしてくれ。ただまあ、人を死なせたんだ、殺されたって文句は言えないだろう。だが僕が欲しいのは犯人の血肉だよ。連続殺人犯は他人に歪まされた魔法使いである確率が高い。僕は魔法使いの肉が欲しいのさ」

「それは、比喩か? それとも魔法って、本当にあるのか?」

「……ふむ。確かに、僕の手伝いをさせるならそこを教えてあげないといけないか」


 悩むように窓外そうがいを見つめた葬儀屋の双眼が、日輪を宿して淡く光る。彼は黒衣を纏った足を組み直して説き始めた。

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