シーン4 「誰だって、独りだろ」



 またあの夢を見た。いや、見れたというべきだ。

 相変わらずカフェの外は雨が降っている。だけど、目の前にはあのナズという青年が座っていた。


「また用か?」


 テーブルの向かいで面倒くさそうにいう。


「お願い、私を助けてっ!」


 開口一番に切り出した。ナズは興味のなさそうな顔で見返してくる。

 

「俺は充分にあんたを助けた。あんたには必要なものはそろっているはずだが?」


 冷ややかな声でいう。


「私はこんなものいらないっ! 欲しいのは別の居場所っ!」


 あの砂時計をテーブルの上に叩き出す。

 砂時計は少しの砂を落として、そこから不思議と落ちてくる気配がない。

 あれから砂時計の秘密を知ってしまった。

 それが何を意味するのかは知らない。知らなくていい。

 こんなもの、欲しくなかった。後悔しても、遅いかもしれない。でも、これ以上に欲しいものがあるからこそ、ナズに縋るしかなかった。


「もうパパとママも嫌っ! 弟の世話だって、あの男たちの慰み者になるのも嫌っ! 私のことを誰も知らない世界に連れて行ってよっ! そのためだったらなんだってするっ! だから―――」


 そこまで言った時、私はナズが酷く冷めた目をしていたのに気づき、次の言葉を断ち切った。ナズの唇が動く。


「あんた、俺を正義のヒーローか何かと勘違いしてないか?」


 吐き捨てるように告げると、いつの間にか机の上に置かれていたカップを口に運び、ズズっと何かを喉に流し込む。

 小さな吐息を吐くと、ナズは自ら言葉を継いだ。


「俺はあんたが選ばれた人間だから、遣わされて来ただけ」


 選ばれた? なに、それ?


「誰に?」

「あんたらが“神様”と崇めている人。俺からしてみれば、リードを掴んでるご主人様みたいなもん」


 きっぱりと告げるとナズはまたカップを口元に運ぶ。私はくるみ色したテーブルに視線を落とし、いくつもの線になった木目をじっと見つめる。しばらくの沈黙の後、私は切り出す。


「ねぇ、ナズ……。私はこれから、どうしたらいいの……?」

「俺は知らないし、何も言えない。決めるのはいつだってあんただ」


 それはどこ吹く風といわんばかりのような冷たい言葉であった。それでも私には、目の前のナズしか頼る人がいない。


「私、嫌だよ……。あの砂時計は人を殺せるんでしょ? 私、もう二人も殺しちゃったよ……。天国にはいけないと思ってたのはわかってた。でも、人を殺して地獄には行きたくない……」


 それは、砂時計の秘密。


 ― ― ― ― ―


 ナズから砂時計を受け取った私は、上客の家に向かう為に足早に駅へ向かった。

 道中、つい願ってしまった。“あの男たちともう二度と会わないように”と。


 びくびくと怯えながら駅へと歩いていると、繁華街の入り口でパトカーの救急車が二重で光らせる赤色灯に気付いた。

 そちらに目を向けると人だかりが出来始めている。どうやら事故があったようだ。

 興味本位で群がる野次馬たちの切れ目から、それは見えた。


 大きなビルの看板の下敷きになった二人の男の身体。ひしゃげた鉄骨の隙間から見える腕には、あの竜の入れ墨。

 あの男たちだ。

 血だまりの中には飛び散った白い脳漿が見える。間違いなく死んでいるのが目に見えたわかった。


 死。

 私が望んだ通り、。生きて会うことはなくなった。

 またこみ上げる吐き気を必死に抑えながら、駅へと駆けこんだ。

 喧噪が途絶えた改札の前で、ふと気になってポケットの中の砂時計を取り出した。

 手のひらに収まった砂時計のガラスの向こうで、いつの間にか砂粒が落ちている。まだごく僅かな量であるが、それが自然に落ちたのではないと悟る。

 そこで理解した。これは私が望んだことに反応する。それも、誰かに死を与えるものとして。

 気づいた瞬間から、身震いが止まらなかった。怖かった。

 震える手で靴下の中に隠し持っていたお金を券売機に入れる。彼が指定してきた駅までの乗車券を買い、ぎこちない脚を動かして改札へと向かった。



 ― ― ― ― ― ― ―


 ナズは小さなため息を吐き、机の上に両腕を置く。私の視界には細くて綺麗なナズの指先が映る。


「勘違いするなよ。死んだ後に天国とか地獄とか、そんなもんはあんたら、が勝手に決めたことだ」


 ひどく冷淡な言葉だった。媚びる私の目は対象を失い、真下に降ろすしかなかった。すると「あ、」と何か思い出したかのように続ける。


「あの砂時計だけど、対価以上の支払いが出来るから注意しろよ」


 対価以上の支払い? 顔を見上げ、ナズを見る。言ってることはわからないが、意味はなんとなく分かる。


「それ以上の支払いをするとどうなるの?」


 疑問をすぐにぶつける私。


「どうなるのか……? それは言えない決まりだ。だけど、これだけは言える」


 ナズは身を乗り出し、私に顔を寄せる。その瞬間、ナズの表情はなんとも言えない狂気に満ちた、おぞましい何かを含んだものになった。口元の端を少しばかり吊り上げていう。


「お前が抱えているもの全て、空白の海に投げ捨てることになる」


 空白の海。その言葉が何を意味するのかわからない。ただ、鈍い私でもナズが言わんとしていることはわかる。きっとナズの言う対価以上使ってしまえば、私は私でなくなってしまうのだ。思わず肌がひりつくような寒さが走り抜ける。


「俺はお喋りが好きだが、これ以上は言わねえ」


 言い終わるとナズはカップまた口元に運び、グイっと高くまであげる。中に残っている液体を全て飲み干したようだ。


「あとはお前次第だ。人生なんて、誰だって独りだろ」


 そう告げるとナズは立ち上がり、私の横を通り抜けていった。思わず振り返ろうとした時、夢は醒めてしまった。




 目が覚めて、私は布団の中で薄暗い天井を見つめる。周囲を見回せば、部屋の隅っこで眠る部屋主の男。

 室内にはツンと鼻につく匂いが漂っている。恐らく、自慰行為に耽っていたのだろう。

 そんなことなど興味もなく、脳裏には先のナズの言葉を思い出す。


「誰だって、独りだろ」


 やけにナズの言葉が私の中で響く。そうか。誰だって……。

 他人の家で、私はこれからの事を考えた。どうするべきか?

 ポケットには、やはりあの砂時計が入っている。

 世界でたった一人ぼっち。そんな自分が、この世界には大勢いるんだ。いま、私が成すべきことは……。


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