学生人生 〜学校編〜

@nyaos

人生の一つ

自分は、小学生の頃普通の子だと思っていた。

友達とふざけあって、たまに授業中が嫌で校庭に走って逃げて外で遊んでいた。

小学3年生のある暑い日のこと自分は、親に連れられ病院に行った。

病院の中で白い番号が書いてある紙をもらいオレンジ色のソファーの上で3DSで遊んで、モニターから番号を呼ばれるのを待っていた。

そして呼ばれた。

3DSを閉じゲームの続きの楽しみを我慢しながら今のどんな楽しいことが起きるかなって思いながら呼ばれた部屋の引き戸をガラガラと開き身体測定をした。

また別の部屋に呼ばれ椅子に座らされた。

そして医師に色々と質問され終わると医師にこう言われた。

この子は、ADHDですね。

そう言われると親が泣いていた。

でも自分は何が何だかわからずに、のほほんとしていた。

これが学生人生を壊したきっかけにだった。

そんな昔のことを思い出しながら机で答案用紙の上で寝ていた。その時頭の上で起きろと、怒鳴り声が聞こえた。

寝ぼけながら目を覚ましはーいと返事をすると、先生がテスト中だぞと怒り机と椅子を私ごとを廊下に放り投げた。

自分は、廊下で泣きながらテストをやらされた。

それが小学生5年生の1番最初のテストだった。

先生の本性が見え始めてきた。

それからと言うもの休み時間にUNOをやって勝ったと思いカードを叩きつけ死ねと言うとそれを聞いた先生が怒りに来たり。

○○○さん(私)の真似と言いながら、ふざけて人を小馬鹿にしたようなことを自分にしたり、音楽会でふざけてたら自分だけ怒られ君のせいで音楽会台無しだと言われた。

そんな嫌なことが色々とあり6年生の卒業式の時そのままその先生もやめると言う話になった。

そして平和になったと思っていた、、、

新学期

自分が学校に行くと冷たい目で見られた。

そして入学式も終わり 

何だ何だと思って席に着くとクラスメイトにこう言われた。

あんたのせいであの先生はやめたんだよ!

そう言われてそんなにいい先生だったかと思いながら先生が入ってきた。

色々と話を聞いて休み時間になりクラスメイトと話そうとしたらあしらわれた。

時間が過ぎ家に帰った。

家の中に入り母親が自分にこう話した。

私他のお母さんにいじめられてる。

そう色々と話を聞くといろんなことがわかった。

自分以外の他の生徒が校長先生に直談判したこと、他のお母さんが自分のお母さんに、あなたの子のせいで先生はやめてしまったと、言われたりいろんないじめを受けていたこと。

そしてあのクソ先生と思いながら寝た。

次の日になり学校に行った。

学校に行くと5年生の頃のクラスメイト全員が校長先生に呼ばれ校長先生が言った。

先生が辞めたのは〇〇さん(私)のことではなく先生が少なかったから入ってもらった。

先生の数が足りる用になったので、別の学校に行ってもらった。

これで解決したと思ったらみんなは信じず心狭い1年だった。



中学になり、他の学校の人と一緒になった。

少しは別れたれてラッキーって思っていたが小学生の頃のクラスだった人が何人もいた。

それでも頑張ってこうと思ったがその人たちは、昔の自分のことを知っていて他の人に広めたりして自分は、肩身が狭い中部活に入りテニスを楽しんでいた。

もう一つ委員会活動として、図書委員もしていた。

その図書委員会の仕事を任され仕事を頑張るため部活を休んだ。

部活を休むのに慣れていくうちにどんどんと学校も休んでいき、たまに学校に行く程度で、ネット上の人と朝から晩までずっと話してた。

少し経ったある日、親からとある私立の学校を勧められた。

親の言葉に乗りそのまま学校に2年生の時に転校した。

転校した学校は、寮の学校で転入当初にはっちゃけ過ぎて、先輩から遊ばれて先輩から物を壊されそうになった。

その時、とある先輩が自分を助けてくれた!

その後先輩に色々とこの学校で生きていく知恵を教えてくれて、その先輩といる時だけは、幸せだった。

先輩のおかげで友達もできて少し楽しいなって思っていた。

そんなある日、体育の授業の時その友達からこう言われた。

あなたといると他の人に色々言われるから、友達やめるわ。

そう言われた瞬間自分は、信じてたのにって思って病んでいった。

深夜に携帯でネットの友達に死にたい死にたいと、メールを送ったりしていた。

そして憂さ晴らしに麻雀ゲームを学校のパソコンでしていた。

これがきっかけで科学部の人に麻雀バカと言われた。

その後自分は、クラスメイトから授業中うるさいや授業寝るななど、いつも同じことを相手もやっているのに何言ってんだって思ってカッとなり椅子を投げた。

停学になった。

家で精神を落ち着かせてまた学校に行った。

そして同じようなことが2回くらいあり、まともになろうと思い授業中いっぱい手を上げ、寝てる人には注意をした。

そう真面目にやるとその手を挙げて質問するのがうるさいと言われ、イラついて椅子と机と缶コーヒーを投げた。

先生に学校やめてくださいと先生に言われ辞めていった。


あの後学校を辞めて地元に戻りフリースクールに通った。

最初は、愛想笑いしていた。

でも、年下の人と話したり遊んだりするのが楽しくなり毎日が薔薇色になった。

その裏でクラスメイトに陰口を言われていた。

そんなある日学校で小学生の頃少しだけやっていたカードゲームがその学校にあった。

先生と勝負すると、どんどんとクラスメイトが見てきて、〇〇さんやってるの?と言われた。

昔やってたと言うと、デッキ持ってる?

と言われて持ってると答えると、その子の表情が変わり持ってきてとウキウキした顔で持って来て言われた。

家から持ってくると、みんなでそのカードゲームを休み時間にやるのが日課のようになって、クラスメイトからの陰口もなくなり毎日が昔とは比べ物にならないほど変わり人生がとても楽しいです。

でもそんな楽しい日々は、続くわけもなかった。

7月のある日学校でお泊り会をしていると言う話があり、そのお泊り会に自分も行った。

お泊り会では、学校がキリスト関係でもありその日の夜と次の日の朝に教会に行くというものだった。

教会に行ってやる事は、神様について学ぶことだった。

8月ごろにはキャンプもあり協会の中で楽しく遊んでいて、どっぷり神様に浸かっていたいた。

そして月日は流れ11月のある日のことだった。

これがもう一つの学生人生崩壊のきっかけだった。

ある日先生が急に言ってきた。

薬止めないか?

俺は、先生のこの言葉を鵜呑みにした。

薬をやめた。

次の日から1日中だるくて休み時間の間ずっと寝ていた。

2021年11月5日

金曜日になり、いつもどうり教会行くことになったが先生に今日は行きたくないと言った。

そしたら他の人にも迷惑かかるから来いと半ギレの状態で言われた。

学校も終わり急いで家に帰り母親に、母の家に帰りたいと必死でラインした。

そして母が来て帰ろうとした。

その瞬間先生から1本の電話が来た。

鬼の形相で電話してきて、今にでも教会にむりやりにでも連れてかれそうになった。

自分は、母の家に帰ることを伝え先生の態度は、少し落ち着いたが11月16日に保護者会をすることを検討しろと強引に言って通話が終わった。

少し経ち母の家に帰った。

2021年11月11日

そして少し経たち、お父さんの家に帰って学校に自分は行こうとした。

そのとき恐怖でおなかが痛くなった。

今日は、行けませんと先生に言うと教会の先生から連絡が来た。

教会の先生にも学校にいけないかもしれませんというと、私が連れてくからと無理矢理に連れてかれ学校に行った。

学校に行くに、早々に先生と教会の先生と話し合うことになった。

教会の先生は、先生に怒らないよう言っといたと言われ安心して先生との話し合いに行った。

その会話で2人から言葉攻めにされて自分は、限界になり走って帰った。

今にでも捕まって教会に連れてかれそうと言う、恐怖感に包まれながら走った。

そしてお父さんの家につきおばあちゃんに、このことを話した。

2021年11月16日

保護者会の日になり学校に行った。

学校に行く早々先生になんでお前来たと言われた。

自分は、苦笑いをしながら

その場を回避して音楽室に行く。

話し合いが始まるに早々俺を質問攻めにした。

俺が答えれないでいると自分の告白事情を家族の前で暴露しそうになった。

その時父方のおじいちゃんがそれを言うのはおかしいんじゃないと言い暴露はなくなった。

その後高校のことを言ってきてお前じゃこの学校には準備が足りてないと言われ自分が行きたい理由を言うと、変なたとえ話を出してきた。

壊れたバイクに赤ん坊を乗せるようなものですよ。

先生がそう言うと

隣で喋っていなかった先生の奥さんが突然に言い出した。

大切なことですよ。

先生の例え話をおかしいと言うと思ったら、意外な返答でびっくりしていたが母親がおかしいじゃないですかとら言った。

この話は終わった。

その後は家でいつもダラダラしていた。

2021年12月2日

いつもどうりご飯を食べてると急にインターホンが鳴った。

お父さんが出て少し経つとドアから教会の先生が来た。

そして何を言い出すかと思うと〇〇「私の名前」ゆるして。

なぜか言ってきた。

俺は、その先生が嫌になって帰ってと大声で連呼するとまったっく帰らずに許しての一言自分は色々な場所に逃げて、自電車で家から出ようとしたら車の出る道から先生に止められたそれを払うように服を犠牲にして、タンクトップでトイレの中にかくれた。

トイレの中でお母さんを呼び来たのは40分後だった。その間ずっと帰ってと叫んだ。

40分後母方のおじいちゃんが説教して自分は、その場から逃げ母親の車に行った。

その後事態は、収まり11月と12月の話はしないということを先生とお願いして母親の家に帰った。

そして時は立ち12月30日チャイムが鳴った誰かと思い出てみると先生が教会の人からのクリスマスプレゼントとして服を持ってきた。

2022年1月11日

1段落ついたから学校に行った。ある日までは、たのしかった。

2022年1月24日

少し経ったある日のこと

自分が言っている学校は、木曜日にやることを決めて月曜日からその予定を行うってことになっていた。

自分は、学校に行き庭を見ると謎にピザ釜があった。

そして学校に入りホームルームの時間になると、先生からピザやると言い出した。自分は不満げにいいですよという先生は、みんなの前でこういうやつが10年後20年後チクチク言ってくるんだと言われ。

自分は、その言葉が嫌で無言を貫いていた。それが気に入らないのか、先生はまた説教し始めそうになった。

なので自分は、すいません。起こりそうなんで考えさせてくださいというと先生は、ほかのところで考えろと言われ音楽室に行った。

ピザの話になりみんな外に行ったので本当の授業の音楽を自分は犯行がてらおこなった。

みんなが戻ってきて俺の姿を見ると、ギター弾いてるなら家に帰って学校の使い方を話し合いなさいと言われ歩いて帰った。

2022年1月26日

このままではいけないと思い学校に行った。

学校の中に入ると、先生が話し合いするぞと言われ話し合いになった。

俺は、この時スマホのボイスメモを起動した。

先生との話し合いになり先生がなんでうちの学校にきた?

ほかの学校でもよくない?と冷静を装いながらすごい剣幕で言ってきた。

色々と答えていくと急に11月と12月の話をし始めた。

おまえがあの時関係を壊したんだなどと言ってきてカチンと自分はきた。

自分は、そのこと意を無い約束でしょなんでまだ聞きたいんですか?というと話ができないなら帰れと言われかえった。

帰って家族とボイスレコーダーの事を聞いていろいろと解決策を考えた。

そして家族が先生に連絡すると先生から三つのことを言われた。

1ボイスレコーダーのことを謝ること

2俺に従うこと

3態度を変えること

この3つのことを言われこれをしないと学校に来ないで下さいと言われた。

学校に行ってなく高校受験の日になり受験しに行った。

その日の夜学校でクラスターが起きた。

時は立ち3月10日

母のもとに1通のメールが来た。

〇〇さん。

卒業式に参加しますか?

母は、参加するか私に聞き私は、参加しないと言い

不参加のメールを母は、打った。

そしてほかの人からメールが来た。

学校のライングループを抜けてください。

そう告げられライングループを自分から抜けた。

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