第6話 とある男の子
「帰れー!!」
おばぁは叫ぶと玄関ドアを勢いよく『ダスン』と閉めた。
ダミアンは急に閉められて驚いたらしい。
玄関ドアを隔てて、おばぁとダミアンは会話を始めた。
「ちょ、ちょっと待てよおばぁ! 話くらいは聞いてくれたっていいじゃないか!」
「なーにを言っているんだ、まったく。あーもう、これだから! わたしゃ絶対聞かないぞ!」
「ちょっと待ってくれってば……これはな……」
ダミアンは話出そうと思ったら、おばぁに唐突に話を切られてしまった。
「どうせあれじゃろ、その男の子を治して欲しいって、そっちの美女に
「
「うっさい! 似たようなもんじゃ! このお人好しが!」
おばぁはさらに大声で続けた。
「そもそも、アイリス市を追放された私のところに来る患者なんて、絶対に『問題案件』に決まっておる。市中の治癒術師にも薬師にも頼めないからウチに来る訳で、そんな面倒事とは関わり合いとうないわ!!」
「そんな……! た、確かに、市内の治癒術師には診せられなくて、おばぁだからこそ頼むんだ……、まずは診てくれないか……」
「うっさいわ! 私の老い先短い人生を、そんな面倒事に使いとうないんじゃ!」
「……」
玄関ドアの前で、ダミアンと美女が小声で話をしているようだった。
母親の「はい……、すみません……、大丈夫です……」という気丈な声がうっすらと聞こえてきた。
――どうしよう……?
と私は思った。
ここで見捨てるのは簡単だ。
おばぁがアイリス市を追放された理由はよく分からないが、でも彼女達はきっとおばぁの言う『問題案件』なのだろう。恐らく。
でも、ここで帰らせて、男の子は大丈夫なのだろうか……?
『問題案件』だから、男の子は死んでも構わないのだろうか……?
「おばぁ、ここからアイリス市ってどれくらいかかるの?」
「……、3日じゃな」
「……、あの男の子、3日かけてここまで来たんだよね……」
「そうなるの……」
「ここで帰らせて、あの男の子、大丈夫かな……」
「……さぁのう」
「あと3日大丈夫だとだとしても、市内のお医者さんは診てくれないんだよね……」
「……」
「それであの男の子は生きていられるのかな……」
「……」
「ねぇ、おばぁは、どうして私を助けてくれたの……?」
「それは…………、むぅ……」
「……、ねぇ、あの子、まずは診てあげようよ……」
「……」
「お願い。あの男の子を助けられるのは、きっとおばぁしか居ないんだよ」
「……あーもう! うっさいわ! まったくもう! 何なんじゃ!」
おばぁは徐々に声量が大きくなっていった。
すると、おばぁは玄関ドアを急にバタンと開けた。
「入れ!!」
玄関に背を向けて帰ろうとした3人に向かって、おばぁはヤケクソの大声で叫んだ。
ダミアンと母親は顔を見合って表情を明るくした。
***
母親はおばぁの家に入ると、ぐるりと家の中を見回した後で、おばぁの服装をまじまじと見つめた。
ダミアンからあらかじめ聞いていなかったのか、目に多少の不安の色が浮かんでいた。
「何じゃ、何か不満か。それなら帰っていいぞ」
おばぁは冷たい声で静かに言った。
――まぁ、この格好は確かに不安だよなぁ。私は見慣れたけど。
おばぁは痩せた輪郭に鋭い目つきをしており、曲がった鉤鼻には小ぶりの金縁の丸メガネが乗っていたが、どういう訳かそのレンズはサングラスのような濃い緑色をしていた。
部屋の中のため黒い三角帽子はかぶっていなかったが、その分、細かく三つ編みが施されたセミロングの黒髪が目立っていたし、三つ編みの先の色とりどりのカラフルなリボンもおばぁ本人の個性を声高に主張していた。
服装も全身がすっぽりと覆われるローブを着ていたが、カラフルな布でパッチワークのようにツギハギがなされており、おしゃれと貧乏と無秩序が良い感じにミックスされており、時代錯誤なヒッピーババァという印象を強めていた。
――やっぱりおばぁのファッションは100年以上は流行を先取りしてるよなぁ。あれ、それにしても……。
「おばぁ、身長縮んだ?」
「はぁ? まったくうるさいのー。あんたが成長したんじゃろうが」
「そっか」
――まぁいいか。久しぶりにまじまじとおばぁを見たからかな。
「いいか、お主ら、絶対に名前を名乗るな。私はお主らとは関わりたくないんじゃ。たまたまこの辺を通りかかって、近くにあった家に助けを求めて入ったら、そこにたまたま治癒術師がいたってだけじゃ。良いか、たまたま、じゃぞ。約束しろ」
おばぁはリビングの椅子に座りながら言った。
「わかりました。通りすがりの治癒術師様」
「よろしい。で、一体どうしたんじゃ」
「この子なのですが……」
母親はそういうと胸に抱いていた男の子をおばぁの前の椅子に座らせた。
「熱っぽい症状が1ヶ月以上続いていて、随分長引くなと思ってたら、5日くらい前から手足が痺れてきたらしく、こんな色に……」
先ほどから目立っていたが、男の子の手首から先が内出血を起こしたような黒緑色をしており、指の先端に行くに従ってドス黒くなっていた。
また脚も足首から先が内出血をしたような色になっていた。
どちらも非常に痛そうだったが、おばぁが手で触っても特に痛くはないようだった。
むしろ、何も男の子から反応が無く、感覚が無いのかもしれなかった。
「なるほどのー……まったく……。1ヶ月くらい前、熱っぽい症状が出る前に、何か熱が出るようなことで、思い当たることとか無いかのう?」
「何でしょう……、ねぇ、何か思いつくことある?」
母親は男の子に聞いた。
「……、わかんない……」
男の子は苦しそうに答えた。
「ふむ……症状としてはマナの結晶化に近そうじゃが……そうだのう、たとえば、何か、強大な魔力を浴びたとか、マナが大量に発生する場所に引っ越したとか……、そういったことは無いかのう……?」
「マナ……ですか……」
母親は部屋の隅を見つめて一瞬考え込んだが、すぐに思い当たることが見つかったようで、顔を上げた。
「あの……、3ヶ月前から、先生を招いて魔術の訓練を始めたんですが……」
「……、その子は何歳じゃ?」
おばぁは静かに言った。
というか、これは明らかに、静かに怒っていた。
母親はおばぁの雰囲気が完全に変わったことに気づきつつも、質問に静かに答えた。
なるべくおばぁを刺激しないように。
「……、ちょうど4歳です」
その言葉を聞いて、おばぁは目を真ん丸に見開いた。
「たわけ!! なぜそんなことをした!! そりゃこうなるのも納得じゃ!! その訓練を始めた『先生』は誰じゃ!! 今から行ってとっちめてやるわ!!」
「ちょ、ちょっとおばぁ、落ち着いて……」
ダミアンが慌てて噴火するおばぁを止めに入った。
「落ち着いてられるか! 『魔術師に神童なし』と言ってな! 魔術師なら誰でも知っていることじゃ! 子供はマナを貯め込みやすくて排出しにくいから、子供に魔法を触らせるとこうやって体内にマナがドンドン滞留して、手足の末端でマナが凝り固まって結晶化するんじゃよ!」
そう言っておばぁは男の子の手を掲げて、母親の目の前にかざした。
おばぁはパシンと黒ずんだ手を叩いた。
「……ちょうど、こんな風にな!」
男の子は胡乱な目つきでその様子を見ていたが、痛みも何も感じていないようだった。
「……あんたは知らんのかもしれんが、マナを扱う魔術師なら当然の常識じゃ。弟子を取るにしても、どれだけ早くても5歳から、出来れば6歳からが安全じゃ、と。それが魔術師ギルドで経験的に知られている事実じゃ。これを守らないと最悪の場合死ぬんじゃ……。だからこそ幼児には治癒魔法は使いにくくて、どーしてもって場面でしか使えなかったりするんじゃが……」
おばぁは怒りのままに詳しく説明したが、だんだんと冷静になってきたようだった。
だからと言って、怒りが鎮まった訳ではなさそうだったが。
「で、どうしてその『先生』とやらはこんな4歳児を弟子にとって、そんな訓練をしたんじゃ。お主の高っけぇ報酬に目が眩んだのか、それとも……」
怒りを込めて、おばぁは静かに低い声で言った。
「……本当は魔術師じゃないのかもしれんの……」
母親は小さく息を呑んだ。
大きな目が、さらに見開かれた。
どうやら思い当たる節があったようだ。
***
男の子を母親とおばぁが挟む形で歩かせて隣の実験室に連れてきた。
そうして、男の子を椅子に座らせると、水が溜まった桶を目の前のテーブルに置いた。
「ちょっと待ってろ。大急ぎで準備をするからの」
母親はリビングに戻ると、そこから心配そうに男の子とおばぁの様子を見ていた。
おばぁは実験用の小さなかまどに魔法を使って火を起こし、その上に小ぶりな丸い鍋を置いて、何個もある細かい戸棚を次々に引っ張り出していった。
よくわからない草が数種類、乾燥した細かい骨、透明な鱗のようなもの、トカゲのしっぽ、ひも状の名状し難い何か、などなど、ぶつぶつと何かを呟きながら無造作に鍋へと投入していった。
「お前さん、身長と体重は?」と聞いては材料の投入量を調整し、「生まれた月はいつじゃ?」と聞いては薬草の種類を変更し、「守護霊はいるのか?」と聞いては最後に投入する水の性質を変成させていった。
そうして、おばぁは緑色レンズの嵌った金縁丸メガネ越しに、丸鍋内の材料を魔木の棒でかき混ぜ始めた。
「……、トーカ、こっちおいで。良い機会だ。これで観てみなさい」
そう言っておばぁは戸棚から緑色のレンズが嵌った
私は、おばぁの緑色のメガネに似てる、と思いつつもそれを右目に当てて、左目を瞑ってみた。
すると、世界が全て緑色になると共に、白くモヤモヤした細かい模様が見えるようになった。
「それで、この鍋の中を観てみな」
鍋を見ると、かき混ぜているおばぁの手から濃い白いモヤモヤが出ており、それが鍋の中で材料と共に撹拌されていた。
「これが草のマナじゃ。こうやってマナを出しながらかき混ぜて、薬の性質を変えたり効き目を良くしたりするんじゃ。とびきり良く効く薬を調剤するのに必須の作業じゃな。あまり出来る薬師はおらんがの」
「……凄いです……」
私は片眼鏡を外して肉眼で鍋を観てみたが、ただ、水の中で材料がぐるぐる泳ぐ様子しか見えなかった。
しかし再度モノクルを装着して、鍋を見てみると、白いモヤモヤしたマナが材料に絡みついており、徐々にそのマナが材料内部まで浸透していっているのがわかった。
おばぁはあの緑色レンズのおしゃれ
――あのおしゃれメガネに意味があったなんて……。
と私は思った。
「次に水のマナ。この作業はゆっくりが肝心じゃな」
次に薄青色のモヤモヤがおばぁの手から流れ出ていた。
この水のマナと比べると、先ほどの草のマナは少しだけ緑色をしていたと思う。
こうしてレンズ越しに見て比較しなければわからない微妙な差だった。
しばらくおばぁは鍋をかき混ぜていたが、唐突に「よし」というと、その鍋の中身を全て男の子の目の前の桶に流し込んだ。
そうして、おばぁは戸棚からマナ排出薬の小瓶を取り出し、男の子に手渡した。
私がいつも飲んでいる、例のとても苦い薬だ。
――あれ? 私が飲んでるのより、だいぶ色が濃い、ような……。
「よし、これを一気に飲め。絶対に残すな」
そうおばぁは男の子に忠告した。
母親とダミアンは実験室には入らず、不安そうに遠くから見ていた。
男の子は手渡された液体を不安そうに見つめていたが、一気にぐいっと飲み干した。
すると男の子は、あまりのマズさか、ゲーゲーとえずき始めた。
「……、良し、飲んだな。これで体内に大量に蓄積されたマナは徐々に排出されるはずじゃ。……、あとは、手足の固まったヤツを溶かすために……、手をこの桶の中に……」
男の子は素直に従った。
先ほどのマナ排出薬を飲んで、気分が悪そうではあったが、何とか堪えているようだった。
――あれ飲んだ後って、気持ち悪いんだよなぁ……、しかも普段の私のより苦そうだったし……。
「トーカもこの中に杖を入れなさい」
「……え?」
突然おばぁから予想外のことを言われて、戸惑ってしまった。
「この桶の中に杖を入れて、水のマナを細く長く出し続けて、ゆっくりとかき混ぜるのじゃ。……大丈夫、トーカなら出来る」
おばぁはそう言うと、私の二の腕を掴み、唐突に水のマナを私の体に瞬時に流し込んだ。
一瞬視界がぐるっと回り、平衡感覚を失いかけたが、すでに半年近く毎日のように体感してきたことだったため、私はすぐに平静を取り戻した。
慣れたものである。
「さっきのモノクルのマナスコープで、自分から出ていくマナの量を見ながら、細く、長くじゃ」
「……、はい、わかりました……。でもおばぁは何を?」
「私は体内へと溶け出たマナの量を観る」
おばぁはそう言うと、男の子の背中に回りこみ、背中から覆い被さるような形で、男の子の両肘を両手でそれぞれ掴んだ。
手から溶け出て体幹に流れ出るマナの量を腕で測る、と言うことのようだった。
私は男の子の正面に立って、杖を桶の中に突き入れ、先ほどおばぁから与えられた水のマナを少しずつ放出する。
「トーカ、いいぞ。ゆっくり、少しずつ、だ……」
おばぁは
私もマナスコープで、自分の杖先からじわじわと薄青色のモヤモヤが流れ出ているのを確認する。
「もう少し細く絞れ……、……そう、そうじゃ、良いぞ……それをキープじゃ」
私は今流れているモヤモヤの量を確認して、それを続ける。
感覚的には普段放出する水のマナの100分の1くらいだったが、その量を出し続けるのは、かなりの集中力と精神力が必要であった。
横目で母親が熱心にこちらを見ているのに気付く。
――私が手伝っているのがそんなに心配か……、ってか私だって初めてなんだよ……。
おばぁは目を閉じて、両手で掴む男の子の腕に神経を集中させていた。
「こんな……もんかのう……?」
おばぁは母親に聞こえないように、小さい声で自信無さげに呟いた。
「正直、ここまでの症状は初めてだからのう……」
私は細く長く水のマナを出し続け、おばぁは時折私のマナの様子を気にしつつ、男の子の腕を掴み続けた。
私とおばぁは不安な時間が続いた。
すると、唐突に男の子が奇妙に身体を捩った。
と、思った次の瞬間、男の子が緑色のブヨブヨした物体を一気に口からぶちまけた。
数秒間、「オロオロオロ……」という逆流音が絶え間なく続いた。
その間、緑色のゼリーが男の子の口から出続けた。
この小さい体のどこにそのゼリーが入っていたのかと思うほどに出続けた。
実験室のあたり一面が緑色のゼリーで埋め尽くされた。
もちろん私もゼリーを真正面から浴びた。
下水道のような酷い匂いが充満した。
もらいゲロをしそうになった。
「トーカ! 止めるな! 後で綺麗にするから、今は続けろ!」
男の子の背後にいたおばぁから大声が飛んできた。
私は思わず、ゼリーをかぶっていないおばぁに言われてイラッとしてしまった。
「あーもう! まったく! くっっっせぇんじゃ!」
私は怒りに身を任せて叫んだ。
おばぁの口癖がいつの間にか移っていた。
おばぁは口を開けてポカーンとしていた。
***
その後ゼリーに塗れながら何とか手の治療を続け、手先の黒っぽさが無くなった段階で、おばぁは「こんなもんじゃろ、残りは明日じゃ」と言って、男の子の腕から手を離した。
そうして「ピューリエ」と何度も何度も唱えて部屋中を綺麗にした。
次は足にも取り掛かった。
足も桶に入れてもらって、私が水のマナを少しずつ注ぎながら、おばぁが男の子の太ももを触って、マナが足先から体内へと溶け出る様子を観察し続けた。
今度はあらかじめ吐き出す用の大きな木桶を男の子の目の前に設置した。
そうして足も終わり、男の子の治療が概ね片付いたのは、治療開始して6時間以上経過した時だった。
私もおばぁも疲労困憊だった。
集中力を切らさずにマナを少しずつ注ぎ続けたため、精神的にも体力的にも非常にキツかった。
またすでに日も暮れ、夜も遅くなっていたため、男の子の治療が済むと一気に眠気に襲われた。
私とおばぁは泥のように眠ってしまった。
ダミアンと母親は男の子を連れて、外で設営をして夜を越すらしい。
***
翌日、私とおばぁが昼頃にもぞもぞと起きると、男の子だけがリビングでちんまりと座って待っていた。
母親からの一通の手紙を持って。
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