第7話 魔術師と画家

私が起きたのは昼過ぎだった。

前日あまりに疲れ果てたため、昼過ぎまで寝坊をすることになってしまった。

ノソノソと立ち上がると物音で気付いたのか、ちょうど同時におばぁも起きてきた。

私はおばぁと一緒に、空腹を抱えながら屋根裏部屋から降りていった。


すると、赤毛の男の子だけがちんまりとリビングの椅子に座って待っていた。

そして私とおばぁを見ると、椅子から立ち上がり、頭を下げながら手紙を差し出してきた。

――ダミアンと母親はどこにいるんだろう……。

私は嫌な予感がした。

おばぁも嫌な予感がしたのか、あからさまに眉をひそめ手紙を視認した後で私の方を向いた。


2人で手紙に近づいて、読むために広げた。

嫌な予感は的中した。


『グウェンドリン・ウィットロック様

ご挨拶もせずに立ち去るご無礼をどうかお許しください。

まず昨晩は、我が息子を助けていただき、誠にありがとうございました。

市内の薬師にも治癒術師にも見せられず、徐々に手足が黒ずみ弱っていく息子。

ただ見守ることしか出来ず、自分の無力さを嘆いていたところを、ダミアン・シュルツ様のお導きにより、貴方様と出会うことが出来て、天神と地神に感謝を捧げずにはいられませんでした。

このご恩は一生をかけて返していきたいと思います。


――それでは、なぜその感謝の言葉を直接言うのではなく、手紙で述べるのか。

それは、私が既にここを離れているからです。

起きたら母親である私がいないことにさぞ驚いたでしょう。

昨晩の感謝の言葉を述べておきつつ、舌の根も乾かぬうちに、またしてもご迷惑をおかけすることになり、大変恐縮です。

しかしながら、私にはこれしか思いつきませんでした。


我が子に魔術の訓練を施していただけないでしょうか。

我が子を魔術師にする手解きをしていただけないでしょうか。

大変不躾なお願いであることは重々承知しております。

我々に関わりたくないという貴方様の願いを無視することになるのも、当然のことながら気付いております。


貴方様は昨日仰っておりました。『魔術師に神童なし』と。

確かに、この格言は我が子の症状で痛感しております。

一方で、昨日、我が子よりも小さなトーカ様が治癒魔術を使っておりました。

私は魔術について詳しくありませんが、トーカ様の美しい所作や落ち着き具合からして、巧みにマナを操作しているとはっきりと理解いたしました。

そして、貴方様の言葉の端々に、トーカ様の魔術に対する信頼が透けて見えました。


どのようにしてトーカ様を育て上げたのか、無知蒙昧な私の想像に及ぶところではないのですが、トーカ様と同じように、うちの子も弟子にして、魔術を使えるようにしていただけないでしょうか。


本日はまとまったお金の持ち合わせもなく、大した金額を置いておくことも出来なかったのですが、現在の手持ちは全て本日の治療費と弟子にする依頼料として置かせていただきました。

もちろんこれだけでは足りないでしょうから、食費や講師代、その他訓練に必要な費用があれば、いつでもシュルツ様を通して仰っていただければ、大抵のお金や道具はご準備させていただきます。

お金の心配は必要ありません。

何よりも我が子を立派な魔術師にしていただきたいのです。


もはや私には貴方様しか頼れる方はいないのです。

どうか、どうか、このご無礼をお許しくださり、そして、我が子を立派な魔術師にしていただければと思います。

1年後、貴方様の言う『訓練可能年齢』である5歳の誕生日に改めてお宅に伺わせていただきます。

我が子が立派な魔術師になっているならば、その際に私の命をも差し出す所存です。

それだけの覚悟をもって、貴方様の下に我が子を弟子として置いておくのです。

どうか、私と我が子の願いを叶えていただきますよう、何卒宜しくお願いいたします。


末筆ながら、末永いご活躍とご健勝をお祈りしております。


通りすがりの母親より』


手紙を読み進めるにつれ、おばぁの手紙を持つ手が震え出した。

「くぉんのぉー!! いったいぜんたい何様のつもりじゃ! あーもう! こんな無礼な親はいないわ!」

「そうですねぇー」

私はこちらに火の粉が降りかからないように、フラットに相槌をうつ。

おばぁは手紙を引きちぎらんばかりだった。

「大体なぜこいつを! わたしの弟子にしなきゃならんのじゃ!」


すると、男の子は、おばぁが手紙を読み終わるのを待っていたのか、怒り狂っているおばぁに向けて、地面にしゃがみ込み、膝と手をついてそのまま額を床にくっつけた。

ザ・ジャパニーズ・土下座だった。

――この世界でも土下座ってあるんだ……。


「申し訳ございません、ウィットロック様……! でも、どうか、どうか、僕を弟子にしてくれないでしょうか? いっぱい努力します! 何でもします! 何でも出来ます! どんな辛い訓練でもします! お願いします……!」

男の子の悲痛な叫びだった。

――でも、どうして……?


「……どうして、そこまでして魔術師になりたいのじゃ……? 魔術師は別にそんな大したもんじゃないし、そもそもなれるかなれないかはマナを扱う才能に寄るところが大きいぞ」

「……それは……、魔導師試験をクリアして魔導師になりたいんです……」

――魔導師試験……?


「ふん! それこそ下らんわ! あんなん魔術師の実力も無いクズが肩書だけでも偉そうにするだけのクソくだらない試験じゃよ!」

男の子は目を丸くした。

自分が憧れていたものをボロクソに貶されてショックを受けているようだった。

「え……、それは……、本当なのですか……」

「はぁ……、まったく……、あーもう、いったい何に憧れてたのか知らんが、あんな魔導師なんて肩書、私も持っとらんし、要するにあれは拝金主義の成れの果てじゃよ」

「は……ハイキンシュギ……?」

「まぁ、お金儲けのことしか考えてないクソ野郎どものことじゃな」

「……なるほど……」


「……お主は、いったい何がしたいんじゃ? きっと、この魔導師の話も、魔術のことをなーんも知らんお主の母親から聞いたんじゃと思うが、本当にお主はそんなものを目指しているのかの? お前さんはどーも生き急いでいるようにも見える。母親の影響か、周囲の環境のせいかわからんが、変に急き立てられているように見えるのう……」

おばぁは少し間を開けて、男の子と目を合わせた。


「本当にお主は魔術師になりたいのか? それとも、母親に魔術師になれと言われ続けたから、何となく流されて、自分も魔術師になりたいと思っているのか? どっちだ? お主の母親は『私と我が子の願い』とか書いておったが、それはお主の本心なのか……?」

おばぁは手紙をピラピラとさせながら問い詰めた。

男の子は鋭いおばぁの目線に耐えられなくなったのか、目を逸らした。

それを見たおばぁは、「……ハァ……」と軽く溜息をついて、実験室へと向かった。

「どうせ今日も残りの治療がある。お主の母親もここにゃいない。いずれにせよウチに泊まることになるんじゃ。一晩、母親抜きで自分の心とじっくり向き合って考えなさい。お主は本当に魔術師になりたいのか。お主が本当にやりたいことは何なのか。よく考えな」

そう言うと、おばぁは男の子を治すための薬を調合し始めた。


 ***


男の子の治療は昨日と同じ方法で行われた。

苦いマナ排出薬を飲んだ上で、手を桶に入れて、指先に残ったマナを溶かす。

その際に、私は水のマナを少しずつ注ぎ入れ、おばぁは『念のため』と言って、男の子の両腕を掴んでいた。

私は男の子を真正面から見える場所に座って、桶にマナを注ぎ込んでいたが、昨日よりも断然男の子の血色が良くなっているのに気づいた。

頬は青白い色だったのが、子供らしいピンク色になり、目には生気が戻ってきた。

そうして、時たま私の方を向く男の子と目が合った。

私がニコっとすると、男の子は恥ずかしそうに下を向いてしまった。

――そんなに白い子アルビノが珍しいか……。まぁでも確かに私も黒人の子とかとは目を合わせられなかったよなぁ。

と私は実感混じりに思った。

さらに不思議と男の子の頬の赤みが増していった。


同じ手順で足先についてもマナを溶かしていった。

そうして、おばぁがもうほとんどマナが溶け出てこないことを確認して、治療が無事に終了した。

治療の途中で何度も何度も男の子は緑色のブヨブヨした物体を吐きまくったため、最後にはぐったりとしていたが、最終的には顔や手足に赤みが差すようになった。

男の子は机に突っ伏しながら「あ……ありがとうございます……」と疲れたように言った。

ご飯を挟みつつ治療をしていたが、開始が遅かったのもあり、既に夜になっていた。


おばぁは優しく男の子に言った。

「今日はもうお休みしなさい。屋根裏を使って良いから。トーカのところで2人眠れるだろう。トーカ、すまんが、今日はそいつと一緒に寝なさい、いいね」

「はい」

「私はここを片付けたりでやることがある。先に寝てなさい。お休み」

「おやすみなさい」

「……お休みなさい」

私と男の子は挨拶をして、屋根裏部屋に登った。


私はいつも寝ているベッドに男の子を案内した。

男の子は既におばぁに『ピューリエ』をかけられており、匂いも汚れも無いため、そのままベッドへと横になった。

相当疲れているようだった。


私も昨日に続いて慣れない作業に集中力をだいぶ使ったので非常に疲れており、私も男の子の隣に横になった。

「……その、あんた、ありがとうな……」

男の子から話しかけられた。

どこか話し方にぎこちなさがあった。

私も男の子につられるように、どこか緊張してしまう。

――前世の頃もあまり男の子と2人きりで話すというシチュエーションはなかったからな……。


「……、あんたじゃない。トーカ」

私は少しだけ恥ずかしくなり、思わずぶっきらぼうに言ってしまった。

「…………トーカ、ありがとうな……」

「……、ございます、でしょ」

「(ちっ、うっさいな……)ありがとうございます」

「おいお前、今、小声で何か言ってただろ……?」

私は思わず男の子の声にツッコミを入れた。

男の子はへにゃんと笑った。

ようやく彼の力の抜けた自然な笑みを初めて見られた気がした。


「お前じゃない、アレンさ。アレン・パリダーノ」

「……、あっそう、アレン。宜しく」

「ようやく名前を言えた。あのクソババァ、名前を言うなって、いつまで続くんだよ」

「……、そういうの、意外と下のおばぁに聞こえるから気をつけてね……」

「…………、え、まじ……?」


「おい! 何か私のこと言ったか!?」

急に階下からおばぁのダミ声が届く。

「あ! 何でもありません! 何も言ってません!!」

アレンが飛び起きて、ベッドの上に何故か正座をした。

両手は太ももの上に置いて、背筋もシャンと伸ばしていた。

――おばぁは姿勢までは見ていないよ……、多分……。

「そうかい! それなら良いがねぇ!」

「はい! 失礼いたしました!」

そうアレンは言うと力を抜いて前に倒れ込んだ。

「焦ったぁ……」

「危ないところだったね」

私はアレンの素直でくるくると反応が変わる様子が面白く、思わず笑みが溢れた。

おばぁの前では格好を付けたかったのか、緊張をしていたのだろう。

同年代の私の前では遠慮が無くなり、素のアレンとも言える状態になっていた。


「ねぇねぇ、トーカはさ、どうして魔術師を目指してるの?」

アレンはベッドに突っ伏した状態で、おもむろに尋ねてきた。

「どうして……、うーん、どうしてかな……」

――あれ、どうしてだっけ……?

「うーん……、えっと、魔術師……を目指してる訳じゃない……と思う」

「え!? どうして? その年でマナを扱えてるのに?」

「私ね、おばぁに拾われたんだ。それで、おばぁは治癒術師でしょ、なんか、流れで弟子になることになったんだ」

「はー……そうなんだ……。それじゃ、トーカは将来何になりたいの? おばぁ言ってたじゃん、『本当にやりたいことは何なのか』って。参考にさせてよ」


「私は……」

――何になりたいんだろう……?

前の世界では画家になりたかった。

それが私の唯一絶対の夢だった。

でも、こっちの世界にきて、イチからやり直せて、きっと自分の前には色んな可能性が広がっていることを考えると、画家以外の選択肢も悪くないのではないかとも思えてくる。

それこそ、今から魔術師を目指すのも悪くないのだと思う。

だって私は多分、魔術師の中でも特別早くから訓練を始めている訳だし。


――あれ、そもそも私、前の世界ではどうして画家になりたかったんだったっけ……。

いつの間にか20歳を過ぎ、30歳を過ぎ、途中からは、私の目の前に画家以外の選択肢は残されていないような感じがしたけど、それにしても、一番最初、画家を目指したきっかけはあったような……。

……あれ、どうしてだろう……、どうして、私は、画家を目指したんだっけ……。

私はいつの間にか画家を目指していたのか……?

そんな筈はないだろう。

……でも、思い出せない。


でもまぁ、いずれにせよ、この世界で私が画家になるのは無理だろう。

だって、私は紙とペンを持つとトラウマが引き起こされて、ペンを取り落としちゃうんだから。

どう頑張っても無理だよね。

どう努力しても無理だよね。

そうなんだよ、無理なんだよ。


そっか……、私は、この世界でも、画家にはなれないんだ……。


画家になれない、となると、画家以外では、私は……


無言の時間がたっぷりと続いた。

「……、何になりたいんだろうねぇ……」

私は素直にそう言った。


「アレンは何でそんなに魔術師になりたいの?」

「俺は……、魔術師にならなきゃいけないんだ。魔術師になって力をつけないといけないんだ」

「……それは、どうして?」

アレンはうつ伏せになったまま、ベッドの一点を凝視していた。

「俺は領主のショシらしい」

――ショシ……、あぁ庶子か。非嫡出子、妾か愛人の子。……、って領主の息子って、次期後継者的なヤツってこと……? こりゃ確かにおばぁの言う通り『問題案件』ですわ……。そんな子が市中の医者を頼れず、こんなところに来て、魔術師になりたいなんて、どう考えても関わらない方がいいよなぁ……おばぁは正しいわ……。

「魔術師になれば尊敬されるだろ。魔導師になればさらに……まぁさっきボロクソに言われちゃったけどさ。そうすれば俺の味方が増えるかもしれない。その方がコウケイシャになりやすいんだ」


――なるほど理屈はわかった……、が……

「でも、その理由は、アレンが魔術師になりたい理由じゃなくない? 母親に魔術師を勧められた理由なのかもしれないけど……。アレン、『君は』どうして魔術師になりたいの?」

「俺は……」

アレンは言葉に詰まった。

無言の時間が流れる。

アレンは自分の本心を探っているのか、口を半開きにしたまま何も言わなかった。


そうしておもむろに口が閉じて、何かを言いかけた瞬間、

「おや、お前さんたち、まだ起きてたんか。疲れているでしょうに、早く寝なさい」

おばぁが屋根裏部屋に登ってきた。


仕方なく、そのままおばぁと私とアレンは眠りについた。

アレンの答えは聞けないままだった。


 ***


朝。

昨日よりは早く目が覚めた。

私が起きた時には既におばぁとアレンは起きており、朝ご飯の準備をしていた。

アレンはすっかり元気になったようで、おばぁの手伝いをしていた。

おばぁとアレンの仲が険悪になっていないようで私はホッとしたが、アレンは自分の気持ちに整理がついたのか、心配になった。


――あれ、というかその話をもうしちゃったから、こんな感じで仲良さそうに手伝ってるの?

と訝しんだが、もし違ったらと思うと聞き出せずにいた。

そうこうしているうちに、朝ご飯が出来上がっていた。

いつもの卵とチーズと野菜類の簡単な朝食だった。

私は少しだけドキドキしながら、朝ご飯を食べ終わった。


朝ご飯を食べ終え、食器を片付けていると、唐突にアレンがおばぁに向かって土下座をした。

昨日に引き続き、2回目のザ・ジャパーニーズ・トラディショナル・スタイリッシュ・土下座であった。

「ウィットロック様! やはり私を貴方様の弟子にしてください!」

「ふん……、まったく、どうしてそんなに魔術師になりたいんだね?」

「……、確かに、最初に魔術師になりたいと思ったのは、母親のせいだったかもしれません。でも、思ってるうちに、魔法を好きになったんです。自分でも魔術を扱ってみたくなったんです。色んなお話に出てくる魔術師になりたくなったんです。魔法が好きだから、俺は、僕は、魔術師になりたいんです!」

アレンは土下座を続けたまま言い切った。

おばぁ、そんなアレンの様子を立ったまま無表情に見つめていた。

無言だった。


アレンは何も反応が無く、不安になったのか、そろそろと床から額を上げて、おばぁの方を向く。

「こんな理由じゃ……、ダメでしょうか……」

「ふん、知るか。勝手にしろ。……、まぁ明日から厳しく訓練するからな、覚悟しておけよ。いいな」

「……、え……、それって……!」

アレンの顔がみるみる明るくなった。

「あーもう、まったく! うっさい! 私から離れろ!!」

アレンは走っておばぁの腹のあたりにダイブした。

「ありがとうございます!」

アレンはおばぁを抱きしめたまま、そう叫んだ。


 ***


「……、ウィットロック様……、このローブ、けっこう臭いますね……」

アレンはおばぁから離れる時にそう言って、おばぁのカミナリを喰らっていた。

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