第2話 魔女の家
「まったく、何じゃこやつは。どういうことなんじゃ。はー、……まったく、くっせぇし、一体、親はどこにいるんじゃ」
私の目の前で魔女がぶつぶつと吐き捨てるように呟き始めた。
感情が昂ると手にもっている杖を地面に刺す癖があるようだった。
さくり、さくりと、半透明な薄いガラス状の落葉を、細身の杖で何度も突き刺していた。
「まったく」とボソリと言うと、唐突にその魔女は杖を掲げて「ピューリエ」と唱えた。
すると、突然私の下半身がスッキリしたような感覚になった。
不思議と股間あたりから立ち上る不快な匂いも無くなったような気がした。
どうやら洗浄する魔法のようだった。
突然の魔女の出現で私はとても驚いたが、私のクソとしょんべんに塗れた下半身をスッキリさせてくれたことで、どうやら魔女は私の味方のようだと思った。
そうして、助けて欲しいと祈りを込めて、私は泣いた。
心を込めて、相手に対する大いなる思いやりと真心と誠意を込めて、私は泣いた。
……、まぁとにかく、今の私には、泣くことしか出来ないのある。
「あーもう、うっさいうっさいうっさい! 一体何なんじゃ……。……、と思ったら泣き止んだのぅ……」
思いっきり『うっさい』と連呼されて泣き続けられるほど、私も図太くは無い。
どうにかして助けてもらうためである。そりゃあ泣き止む。
「あーもう、それにしても、何でこんな面倒なものを見つけてしまったのじゃ……! この状態でここを去ろうもんなら……」
と言いながら魔女が私の視界から消えた。
焦って私は力強く泣き始めた。もちろん手足のバタバタ付きで。
これが私の最大限の努力である。
「そうなるよなぁ……まったくもう……」
魔女は軽く溜息をつきつつ、視界に戻ってきた。
「あーくそ、無理に見捨てるのも寝覚めが悪いし、誰かが助けに来る見込みもなし、か……はぁー……」
魔女は両手で顔を覆って、目の前の私を見ないようにしたが、だらりと両腕の力を抜くと、大きくもう一度溜息をついた。
どこか観念したような顔で、私の顔をまじまじと覗き込んできた。
「ふーむ、よーく見たら、肌も髪も白いんじゃのう。まぁたまーに生まれる突然変異じゃろうの。大方、見た目で差別されて、まぁ、災いをもたらす子とか神の子とか言われて、この御神木まで連れてこられて捨てられたってとこかのー。見た目で差別されがちなのは私と同じじゃのう……」
そう言われて、その魔女を冷静に見ると、かなり不思議な見た目をしていた。
奇抜と奇妙と奇天烈を足して3で割ったような雰囲気だった。
黒い三角帽子は正統派な魔女の雰囲気を出していたが、小ぶりなまんまるの鼻眼鏡は金縁に濃緑色レンズというオシャレなサングラスだったし、セミロングの黒髪は細かく三つ編みされた先端に色とりどりの紐で結びつけられドレッドヘアのようになっており、さらに全身を覆うローブも様々な模様と様々な色の布でパッチワーク的にツギハギされていた。
時代錯誤なおばさんヒッピーと言われてもおかしくない見た目である。
確かに見た目で差別されそうな雰囲気がした。
――あのー、それはいいんですが、ミルクか何か飲まないと死んじゃうんですが……。
私は恐る恐る、軽い感じで泣き始めた。
あのー、大変申し訳ございませんがミルクか何かを是非とも私にご提供いただけないでしょうか……、という祈りを込めて、「う……、うえーん」と泣いた。
「あーもう、何じゃ、うるさいのう。……ふーむ、これはあれか、おっぱいか。おっぱいなんじゃな。……こんな老婆でも赤子におっぱいを吸わせれば出るのかのう……?」
魔女はそう言うと、私を抱き上げ、胸元に持って行った。
全く躊躇が無いところを見ると、本気で試すつもりのようだった。
――ちょちょちょい! そんなんでおっぱいは出ないし、老婆のおっぱいとかマジで誰得だからやめろやめろ!
私はこれまでになく焦った。
いくら心からの善意でも、見た目60歳超の老婆のおっぱいは流石にノーセンキューである。
必死に泣き叫びつつ、腕を曲げ伸ばしして、魔女の胸元から離れようと必死に抵抗をした。
「ふーむ。私のおっぱいじゃ不満か。そうなると、赤子は何を飲むんじゃ? 育てたことがないからわからんぞ」
そう言ったっきり、魔女は悩み始めてしまった。
すると、唐突に手をポンと打ち、魔女の頭上に電球が灯った。何か閃いたようだった。
すると、足元においていた、年季の入った四角い木製のアタッシュケースを開くと、中から皮袋を取り出した。
そら豆のような丸い皮袋に飲み口がついており、水筒のようなものと思われた。
しかしその皮袋は、2リットル以上は入ろうかと想像される大きさで、アタッシュケースの大半をその皮袋が占めてしまっているようだった。
――四次元ポケット的なアタッシュケースなのかな。
と私は思った。
「そういえば前に行った村で、山羊乳を貰ってたのを思い出したわい。これなら同じミルクだし、人間だって育つじゃろ。……知らんけど」
そう言うと魔女はきゅぽんと皮袋の飲み口のフタを外すと、自分の指に沿わせるように私の口の中に流し込んできた。
明らかに常温保管されている牛乳で、殺菌消毒は大丈夫なのかと不安になったが、意外にも悪い匂いはせず、むしろ口当たりが爽やかで、飲みやすいものだった。
後で知ったのだが、そのアタッシュケースは中に入れた物の時を止めて保管できる『四次元アタッシュケース』といっためちゃくちゃ便利なグッズなのだそうだ。
魔女はこのケースをインベントリと呼んでいた。
しかしそれでようやく私の腹が満たされると、私は緊張と空腹と恐怖が弛緩したのを感じて、そのままストンと眠りについてしまった。
薄れゆく意識の中で、魔女のぼやきが聞こえてきた。
「あーもう、腹が満たされりゃ眠るのかい。まったくもー、自分勝手じゃのう!」
***
目が覚めると、夕暮れの森の中だった。
あまりに疲れていたのか、何時間も眠りこけていたようだった。
私は魔女に抱かれて……、はいなかった。私は奇妙な浮遊感を覚えた。
魔女は右手に杖を持って地面に突き刺しながら歩き、そして左手は私の背中にそっと触れられていた。
まさに、左手は添えるだけ、という状況だった。
要するに、魔女が魔法を使って私をふわふわと浮かべており、それを軽く添えた左手で軽々と運んでいるようだった。
「まったく、よーやく起きたね。おはようさん」
「お……、おぎゃー!」
私は何とかコミュニケーションを取ってみようとしたが、神経が上手くつながっていないのか、結局泣くことになってしまった。
まぁ実際にお腹もめちゃくちゃに空いていたので、泣くことになるのだが。
「あーもう、何なんだい、……ちょっと待つんだよ。まったく、うるさいったらありゃしないねぇ……、じっとしてるんだよ」
そう言うと、私をそっと地面に横たわらせた上で、先ほどと同じように山羊乳を飲ませてくれた。
私は感謝の意を込めて……、また泣いた。
この体では泣くしか出来ないのだから、しょうがないのである。
――せめて笑うくらい出来れば……。
とも思うが、出来ないものは出来ないのだった。
「あー! 今度は何だね! お前さんの泣き声じゃわからないんじゃよ!」
そう魔女が叫ぶと、私は泣き止んだ。
「……、泣き止んだのう……、何なんじゃお前さんは……」
魔女は私の顔を覗き込むと、何か表情を読み取ろうとしてきたのだが、数秒の後に「まったく……、よく分からん」とボソリと呟いて視線を外した。
そうして、仕方なしとばかりに、いそいそと夜の設営に取り掛かった。
設営といっても、例の
そうして、設営が終わるとインベントリから簡単な食事を取り出して食べて眠るのである。
私は相変わらずお腹が空くと泣き叫んだが、できる限り、魔女の安眠を妨害しないようにしたし、できる限り昼間にいっぱいミルクを摂取するようにした。
魔女に連れられ森の中を移動し続けて、何日も経過した。
寝て起きては魔女に怒られない程度に泣きミルクをもらいまた寝ると言うのを何度も繰り返した。
寝て起きたら昼の森で、また寝て起きたら昼の森で、また寝て起きたら夕方の森で、また寝て起きたら夜になっており、また寝て起きたら明け方の森になっていた。
何日も何日もそれが繰り返された。
しかし『世界樹』に来た時のような不安や恐怖感は無く、老婆は悪態をつくことも多かったが、それでも平穏な日々だった。
魔女と共に移動し続けて気づいたが、魔女は時折私を地面に放置をすることがあった。
その時に何をするかと言うと、腰をかがめて、薬草やキノコ、花や木の根、果ては苔や昆虫まで採集しては、ニマニマと怪しげな笑みを浮かべつつインベントリに次々と突っ込んでいった。
そんな適当な収納でインベントリの内部がごちゃごちゃにならないのかとも思ったが、どうやら内部に大量の仕切りがあり、しかも振ってもめちゃくちゃにならないらしい。
とてつもない便利グッズである。
その他にも、地面に私を置いて魔獣と戦うこともあった。
戦うといっても魔女はとても強く「あーもう、まったく何なんじゃ、突然現れて、挨拶もなしに……」とボヤきつつ、一方的に魔獣に巨大な炎を投げつけて蹂躙した上で、食料としてその夜に食べてしまうのであった。
恐らく『世界樹』に来る際も、私が眠っている間に護衛の6人が色々な魔獣と戦っていたのだと思うが、その護衛6人分の戦力を魔女は1人で賄っていることになる。
さすがは魔女である。老婆は強いと言うのはどの世界でも同じのようだ。
そんなこんなで遂に森を抜け、湿原を突っ切り、湖の畔を進み、川に沿って山を登って下りていった。
途中で魔女が薬草採取に夢中になるあまり全く進まなかったり、魔獣の群れに出会って広範囲に炎をぶっ放したら山火事になりかけたり、といった事件も起きたが、概ね順調に進んでいたと思う。
……まぁ、順調かどうかは目的地を知らない私からしたら、よく分からないのだが。
それでも、とにかく魔女はどこかに向かって順調に進んでいた。
そうして、『世界樹』から1ヶ月くらい経った頃だったと思うが、ようやく1軒の家についた。
魔女の家だった。
魔女は「アンヌル」と呪文を唱えた上で、家の中に入れてくれた。
「あーもう、疲れたのー。老体には辛いんじゃ……。寝るか」
とボヤいてぼすっとベッドに倒れ込んだので、空腹状態だった私は「うわーん」と1回だけ泣いてミルクをせがんだ。
この頃には1回泣けばミルク、2回泣けばおしめ、3回以上泣き続ければその他の不満があって、それが解消されるまで泣き続ける、と言う暗黙のルールが魔女と私の間に出来上がっていた。
「あーもう、分かったわい、ちょっと待ちぃ」
そう言うと魔女はいつものように山羊のミルクを飲ませてくれた。
「それにしても、まったく持って不思議な子じゃのう……。全身が白いのは置いておくとしても、私の言うことを理解しているようにも思えるし、泣く時も不思議な法則性がある。本能……、と言うには出来過ぎてるし……、本当に神の子なのかもしれんのう……」
魔女は私の顔を覗き込んだ。
私は魔女のシワが刻まれた顔を見つめた。
***
魔女の家は森の中にある煉瓦造りのコンパクトな家だった。
コンパクトとはいっても、一人暮らしをするにはちょうど良い大きさで、暖炉や広々とした調理台の揃った広々としたリビングダイニングに加えて、さらに魔女の実験室といった風情の怪しげな部屋があり、その上に寝室として屋根裏部屋があった。
実験室には、壁際にかまどが複数設置してあり、大釜や小釜、すり鉢や鉈など、色々な実験道具のようなものが大量に陳列されていた。
また実験室の別の壁には一面の木棚があり、小さな真四角の引き出しが何個もあった。
きっとその中には『世界樹』からの道中で採集していたような薬草や花や虫やその他色々な得体の知れないものが保管されていると思われる。
そしてその反対側の壁には本棚があり、様々な背表紙の本が格納されていた。
魔女の家に着いてから、魔女は数日間、家にずっとこもって、実験室で何やら色々な調合をしているようだった。
採取してきた薬草を切り刻んだり、虫をすり鉢で叩き潰したり、棒で大釜を掻き混ぜたり、色々と忙しそうにしていた。
私はそんな魔女の様子を観察しつつ、なるべく魔女の手が空いた隙を狙って、1回だけ「うわーん」と泣いてミルクをせがむようにしていたが、時折間が悪いと「あーもう、うっさいねぇ!」と言われることもあった。
それでも最後には「……まったく、ちょっと待ってな!」と悪態を吐きつつも作業を中断して山羊乳を飲ませてくれるのだが。
――これはあれか、ツンデレか? ツンデレなのか?
まぁでも老婆のツンデレは誰も期待してないのである。
私としては赤ん坊ではありながら、居候の身として、なるべく魔女に迷惑をかけないように、と思いながら魔女と共に生活をしていった。
私と魔女の平和な日々が過ぎていった。
魔女の家には客人が来ない。
それは、この魔女の家が街から離れているのか、単に知られていないだけなのか、それとも「あそこには悪い魔女が住むから近づいてはいけません」と言われているのか分からないが、とにかく誰も来なかった。
私がこの魔女の家に来てから、体感1ヶ月くらい経過したが、訪ねる客人は誰もいなかった。
が、しかし、唐突に外から誰かの声がした。
「おーい! おばぁー、いるー?」
「おー、ちょっと待ちな、今開けるから」
玄関を開けると、小綺麗な格好をした若々しい男性がいた。
活動的なベージュのパンツに真っ白なシャツ、爽やかな薄緑色のベストを着ていた。
――魔女を『おばぁ』と呼ぶからには、この魔女の孫なのだろうか?
「まったく、ようやく来たかい。待ちくたびれたよ!」
「いやいや……、だいたい予定通りだから……」
「ふん、まぁいい。で、今日は何を持ってきてくれたんだい?」
「ま、いつも通りだよ」
親しげな会話をすると、男性は一旦外に出ていった。
しばらくすると、木箱や麻袋をどっさり抱えた男性が戻ってきた。
男はどうやら行商人のようだった。
商人は魔女の家に入ると、すぐに私と目が合った。
「おい、おばぁ、これ……、誰との子だよ……?」
「はー? まったく、この年で誰が子供を産むもんか!」
「え……、となると、おばぁ、まさか人体錬成に成功したのか……?」
「そんなん無理に決まっておろう! ほら、この前言ってた御神木に行ったら、そこでたまたま拾ったんじゃ」
「そんな……、人攫いだなんて……」
「そんなことしとらんわ! まったく人聞きの悪い!」
「え、それじゃ、えぇ……と?」
商人は突然のことに情報が上手く飲み込めないようだった。
魔女は『世界樹』の根本で私を発見したことを簡単に説明した。
商人はあまり納得していないようだったが、とりあえずは受け入れてくれたようだった。
「そうそう、だから何か牛乳もおくれ。山羊でも牛でも。あと赤ん坊に喰わせられるもんがあれば嬉しいね」
「ちょっと待ってな。街道に止めてる馬車まで戻らないとさすがに無い」
しばらくすると、商人がガラス瓶に入った牛乳といくつかの果実を持って戻ってきた。
「それで、今日はどんな薬があるんだい?」
「ま、こっちもいつも通りだよ、てきとーに持っていきな」
要するに、魔女は調合した薬を、商人は持ってきた食料や日用品を物々交換しているようだった。
「今日は多めに貰っておくねー」
「はー? それは取り過ぎじゃろ。まったく、ばばぁだからって舐めんじゃないよ!」
魔女は悪態をついたが、商人は特に気にする風もない。
きっといつものことなのだろう。
「いやいや、こんなもんだって」
「あーもう、分かったわい、何でも持ってけ!」
「はーい、そうするー」
「まったく、わしの薬でどれだけ儲けてるか知っとるんじゃからなぁ!」
「いやーいつもありがとうございます、おばぁ様」
商人はニッコリと良い笑顔で言った。
「それはそうと、あの子、名前なんて言うの?」
「はー? まったく……名前……」
「え……?」
「……知らんのう……」
「いやいやいや……」
私は、そういえば魔女から特に名前で呼ばれたことが無いことに気づいた。
というか、この世界でまったく名前で呼ばれていない事に今更ながら気づいた。
――というか、私、魔女の名前も知らないな……。
「おばぁ、決めてあげなよ」と商人が差し向ける。
「……あーもう、面倒だねぇ……」
老婆はそう言うが、魔女は右手を顎に当てて考え込む仕草をする。
とりあえず悪態をつくのが魔女の癖であるのは商人も理解しているため、特に何も口を出さずに、魔女の考えがまとまるのを待っていた。
「……トーカとかどうじゃ?」
「ふーん、珍しい名前だね。何か由来とかあるの?」
「……うるっさいなぁ! 由来なんて無いわ! てきとーじゃ、てきとー!」
「ふーん……まぁ何でもいいけど……」
商人は釈然としていないようだったが、私は一瞬で気に入った。
というのも、元の世界の名前が
私は「オギャー、オギャー、オギャー」と3回優しく泣いた。
「あーもう、うっさい! ……、でもあれは気に入った、ってことじゃな」
「……えぇ、おばぁ、何でわかるの?」
「分かるんじゃよ。よし、トーカで決定じゃ」
私は「オギャー」と軽く反応をした。
すると、魔女は「1回だから、ミルクかの?」と言って、さっき商人が持ってきてくれた、山羊乳を飲ませてくれた。
――違うけど、まぁいいか。
平和な日々は瞬く間に過ぎていく。
――かのように思えた。
***
とある日の夕刻。
唐突に緊迫感のある大声が、魔女の家の中に届いた。
「グウェンドリン・ウィットロック! 貴様に聞きたいことがある! このドアを開けろ!」
――へぇ……、魔女の名前ってそんなだったんだ……。
「貴様の家に子供が攫われたと通報があった!」
――おいおいおい……、大丈夫かこれ?
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