第3話 警護騎士団
とある日の夕刻。
「グウェンドリン・ウィットロック! 貴様に聞きたいことがある! このドアを開けろ!」
という大声が魔女の家に響いた。
「あーもう、何じゃまったく。こっちは忙しいんじゃ!」
魔女は小さい釜で薬の調合中だったため、手を休めることなく、家の中から大声で言い放った。
「忙しいとは何だ! 貴様の家に子供が攫われたと通報があった! 早くこのドアを開けなければ、無理にでも押し入るぞ!」
「はー? ちょっと待て! まったくなんじゃ!」
魔女は仕方なく調合の手を止め、玄関ドアを勢いよく開いた。
すると魔女の家の前に、重そうな防具を身につけた騎士がずらりと十数人並んでいた。
全員が剣を腰に下げており、お揃いの白い花のマークのついた防具をつけ、剣呑な雰囲気を漂わせていた。
「おーおー、これはこれは、皆さんお揃いで。街を追放されたこんなババァのところに、今更一体何の御用でしょうか……?」
魔女は杖をつきながら玄関先で言い放った。
いつでも魔法を放つ準備をしつつ、魔女は挑発した。
「先日、俺のところに、子供がここに攫われたとの報告が入った。その子供を返してもらおう」
「あらあら、これはこれは気付きませんで、アンガス警護騎士団長閣下様。お茶もお出し出来ず、大変申し訳ございません。えーっと……、それで、一体全体何の騒ぎで? はて、子供おっしゃいましたかの? それで、えーっと?」
魔女は警護騎士団長に対して、さらに話をはぐらかすように言った。
もちろん私は『攫われた』訳ではないので、魔女は言い掛かりをつけられているに過ぎず、どこか魔女はこの状況を楽しんでいるように見えた。
それでも私はかなり不安だった。
――これ、警護騎士団長側が権力を持ってそうだから、正義執行みたいな感じで魔女が殺されて、私は連れて帰られるってこともありうるのでは? それとも、魔女はこれくらいの人数の兵士なら返り討ちに出来るってことなのかな……?
「『それで?』ではない! 何度も言っている! 攫われた子供を返せ!」
「はてさて、何の話でしょうかのー? 生憎と、そんな攫ってきた子などという大層なもんはうちにはおりませんで……。それはそうと、こんなところに
魔女は相手を小馬鹿にした口調で言った。
アンガス警護騎士団長は徐々に怒りの表情へと変わっていった。
「街で攫われた子の救出も我らの役目。そこに見えている子を早く渡せ」
魔女は玄関先からチラリと私の方を振り返ると、アンガス警護騎士団長に話を向けた。
「ええっと……、攫われたって報告があった子の特徴は何じゃ?」
「……特徴?」
「いやぁね、その攫われたって子が、本当にそこの子と同一人物かと思ってのー。まさか攫われた子の親から、何も聞いていない訳はなかろうの?」
「……、そりゃ……もちろんだ。そこに見える子とまさに特徴が一致するぞ」
「ほう……、それはどういった特徴じゃ?」
魔女の目が光った気がした。
アンガス警護騎士団長は私の方を遠目に見ながら言った。
「……髪が生えそろっていて、金髪で泣きぼくろがあって、薄いオレンジ色の肌をしていると、言っていたな! うん、その子とまったく同じだ!」
「ほうほう、なるほどー。その攫われた子は金髪で薄いオレンジ色の肌をしていると」
「そうだ!」
「それならば、そこの子ではないのう」
魔女はそう言うと、家の中に入り、私を抱き上げて、またアンガス警護騎士団長の前に立った。
そうして私をアンガス警護騎士団長に見せつけた。
「ほれ、この子はガラス細工のような美しい白髪に、白磁のような綺麗な白い肌をしておるでのう、金髪で薄いオレンジの、どこかで攫われてしまったとかいう可哀想で哀れな子ではないんじゃよ」
「……!」
どうやらアンガス警護騎士団長は、夕日に照らされた私を見て、金髪で薄いオレンジ色の肌と見間違えたらしい。
「分かったかのう?」
「……、うううるさい! 攫われた子じゃないにしろ、身寄りの無い市民は孤児院に入るのがアイリス市の定めである! ならばこそ、その子はここで引き取らせてもらおう!」
「何を言っているんじゃ、この子はわしが別のところで拾った子じゃ。市内には一度も入っておらん。どうしてアイリス市民になるのじゃ? そもそも外の人間がアイリス市民になるにはバカ高い登録税が必要なんじゃなかったか?」
魔女は笑みをさらに深めて、余裕の表情でさらに煽る。
一方のアンガス警護騎士団長は形勢がさらに悪くなったとみて、青筋が額に浮かび始めた。
かなりのお怒りのご様子だった。
――偉い立場っぽいから、煽りには慣れていないのかな?
「な……、何だと! やっぱり攫ってきたのではないか!」
「あーもう、まったく、うるさいねぇ! 攫ってきてなどないわ! ……それにしても、どうしてそんなこの子に拘るんじゃ? あんたらとは関係無かろう」
「それこそ、あんたには関係の無い話だ」
「……、ふん。そーかい。まぁ大方、あいつが嫌がらせのために寄越したんじゃろうよ……まったく、この期に及んでクソ面倒な野郎じゃのー……」
魔女は心底面倒そうに呟いた。
「……そんなことはどうだって良いだろ。早くその子を渡せ。さもなくば……」
アンガス警護騎士団長は徐々に声のトーンを落とし始めた。
それに反比例するように、怒りのボルテージが上がっていくように思えた。
「さもなくば……、何じゃ?」
魔女は薄い笑みを浮かべた。
相手に問いかけてはいたが、当然回答は理解していた。
アンガス警護騎士団長は剣を鞘から抜いた。
それを見て、後ろに控えていた騎士十数人も剣を抜いて、正面に構えた。
「力づくまでよ……」
アンガス警護騎士団長は怒りを込めて静かに宣言した。
すると、魔女は私を左手に軽く抱きかかえたまま、右手で杖を地面にどすんと突き刺して、魔法を放つ体勢になった。
「おー、そーかい。まったく、老婆に向かってなんてことを……」
と魔女は余裕そうに言いつつ、杖に魔力を込め始めた。
――魔女は余裕そうだし、まぁこのまま頭も体も弱そうな警護騎士団長をやっつけるのも手ではある。が……、この魔女、アイリス市から追放されたとか、嫌がらせのためとか言ってたけど、一体アイリス市で何をやったんだ……。 まぁいずれにせよ権力を大っぴらに敵に回すのは得策じゃなさそうだし……、どうにかして穏便に帰っていただけないものか……。
私は思案した。
この頃、私の行動の選択肢は増えていた。
①泣き叫ぶ
②手をバタつかせる
③足をバタつかせる
に
④笑みを浮かべる
が追加された。
トーカ・バージョン2に進化したのである。
やったね。
さて、これでどうにか穏便に済ませたいが。
――上手くいくかな……?
私はまず手足をバタつかせて、魔女の右手に近づこうともがいた。
そうして、私の右手で、魔力を杖に流している魔女の右手を掴んだ。
すると、唐突にバチンという大きな音と共に、私の右手に何かが入り込んできた。
そうして、右手の先からもそもぞと蠢めきながら、その『何か』が一気に私の体内に侵食してきた。
全く予想外のことだったが、恐らくは魔力が私の体内を強制的に流れたのだろう。
身体中の液体という液体が変な流れを作ったように感じられ、激しい車酔いのような感覚になって、平衡感覚が消失した。
どっちが地面でどっちが空でどっちに重力が流れどっちに身体を預ければ良いのか、全く分からなくなった。
「お、おい……トーカ! 何をするんじゃ!」
魔女が狼狽えた声を出した。
ここまで常に余裕だった魔女からは考えられない焦り具合だった。
警護騎士団の騎士は剣を構えたまま動けないようだった。
「だ、大丈夫か……トーカ……!」
私は全然大丈夫では無かったが、とにかく笑った。
魔女に、大丈夫だから、大丈夫だから……、と目線で笑いかけた。
私の体内に魔力がぐるぐると蠢き続けている。
視界がぐるぐるとして安定しない。
「さ……、さぁ、とにかく、こっちにその子を渡すんだ……」
アンガス警護騎士団長がまたしても魔女に言ったが、さっきのアクシデントで気勢がかなり削がれているようだった。
――もう一押しか……?
私はそう考えて、アンガス警護騎士団長の言葉に間髪入れずに、泣き喚いた。
絶対にそっちには行きたくないという意思を示すために。
「うわーん! うわーん!」
先ほどの魔力の流入で胃液までぐるぐるしており、直ぐにでも口まで逆流してきそうな感じもしたが、何とか堪えて、泣き叫び続けた。
ついでに手足もバタバタとさせまくった。
私の激しい鳴き声が森の綺麗な夕日の中にこだました。
既に地平線の向こう側に太陽が沈んでしまったようで、空が濃いオレンジ色から赤紫、濃紺へとグラデーションを成していた。
魔女もアンガス警護騎士団長も他の騎士も、誰も何も言えなかった。
私はだんだんと力尽きてきて、泣き叫ぶ声が小さくなっていった。
そうして、意識が途切れた。
***
起きるといつもの魔女の家の光景が広がっていた。
――良かった……。
と私は思った。
しかし、すぐに私は『何かがおかしい』と気付いた。
『何か』というか、自分の体がおかしいと気付いた。
全身が不思議と熱っぽい。
身体中の液体という液体が熱くなっているような気がする。
そして奇妙な車酔いのような吐き気と胃のむかつき。
あとは腸に何かが滞留しているような変な感じ。
――いったい何が……?
そして、魔女は実験室で何やら調合をガチャガチャと忙しなくやっているようだった。
私は起きたことを示すために軽く「あー!」と泣いた。
すると、魔女はパタパタとこっちまで小走りでやってくるや否や、私の口の中に色んな液体を流し込み始めた。
「あーもう、ようやく起きたか。まったくもう、クソ面倒なことをしてくれおって……。ええと、まずはこれで魔力を中和して……、あの時の分量はこんなもんか……、というか赤子は専門外なんじゃよ……。まったく、どうしてこんなことに……」
ぶつぶつと独り言を呟いた。
いつもの悪態のようにも聞こえたが、いつもより少し不安と焦燥が声色に混じっていた。
飲まされた液体はとても苦く、とても飲めたものでは無かった。
いったいなんの罰ゲームだ? と私は思ったが、魔女の不安と焦燥から、尋常じゃないことが起きていることが察されたため、飲むしかない。
――昔、ノニ茶ってあったなぁ……。
と私は意識を別の方向に向けて、苦みから無理やり意識を剥がそうとした。
しかし、ごくりと苦い液体を飲むと、不思議と体の熱が引いていくような感覚になった。
胃のむかつきや腸の閉塞感はまだあったが、それでも大分、熱については改善されたように思う。
魔女は私が薬を飲んでからの秒数を計測しつつ、おでこに手を当てて熱を測っていた。
「よし、よし……。いい感じじゃな。あとは、濾過して固めて排出させるんじゃが……、まったく赤子だと魔法が使いにくいのが不便でしょうがないのー……」
そうして、魔女は実験室に引っ込んだと思ったら、別の薬を何種類か持ってきた。
「ほい、ほい……、まったく、この前、御神木まで行っておいて良かったのう……」
そう言いながら、次々と私の口に薬を流し込み始めた。
飲む薬飲む薬、全てが苦かった。しかし私は我慢して全て飲んだ。
「あとは、腹を満たせば……」
魔女はそのまま流れ作業のように山羊のミルクをふんだんに飲ませてくれた。
爽やかな甘さが、いつもに増してとてもとても美味しかった。
――まさかヤギ乳にこんなに感謝することになるとは……。
と私は思った。
まだ胃のむかつきや腸の閉塞感は残っていたが、ヤギ乳で腹が膨れたので、急速に睡魔に襲われることになった。
そうしてミルクを飲みながら、私は眠りについた。
次に起きた時には、下半身に大量の緑色のブヨブヨした物体が垂れ流しになっていて、私はとても驚いた。
しかもとても臭い。ウンコ臭ではなく、下水道のような、腐敗臭がした。
私は2回「うわーん、うわーん」と泣いて、魔女の処理を待った。
魔女は私の排泄物を見ると、何度も頷きつつも「うっわ! まったく、クッセェなぁ!」と悪態をついた。
それでも、その魔女は安心したように、目尻を垂れ下げていた。
胃のむかつきや腸の閉塞感はすっかりなくなっており、私の体調は回復したようだった。
***
それからアンガス警護騎士団長を初め、市から私を連れて帰ろうとする人は魔女の家に来なかった。
私を連れて帰るように命じた人がどうやって溜飲を下げたのかわからないが、兎にも角にも、私はそのままこの魔女の家で生活できるようなので、何も文句はない。
――それにしても……、どうして、私がこの魔女の家にいると警護騎士団長に知られたんだろう……?
と私は考えるものの、警護騎士団長がうちに来る前に、私が魔女の家にいることを知っていた人は、たった1人しかいなかった。
私と魔女以外ではたった1人である。
そう、例の商人である。
――でも……、あの商人、魔女の親戚なんじゃないの……?
そんな風に考えていたら、例の商人が魔女の家までやってきた。
「おーい! おばぁー、いるー?」
前と同じ声で商人がやって来た。
いつもと同じように大量の荷物を引っ提げていた。
その声が聞こえるや否や、魔女も私と同じ結論に至っていたようで、いきなり玄関先で行商人に対して杖を向けて脅し始めた。
「おい、お前さん、まったく久しぶりよのう……」
「……いやだから、予定通りだって……、って、これは一体なに?」
商人が荷物を急いで地面に置いて、両手を上にしてホールドアップの体勢になった。
「まったく、シラを切るか……。あのなぁダミアンや……、この前、アイリス市の警護騎士団だか何だか知らんが、そんな大層なもんがうちまでやって来て、この可愛い可愛いトーカを連れて帰ろうとしたんだが……、何か身に覚えはないか……?」
魔女はいつでも魔法を放てるように、杖の先を商人の顔に真っ直ぐに向けて言った。
「いやいやいや……、ちょっと待ってちょっと待って……、まずは落ち着こう」
「落ち着いとるわ!」
魔女は軽く炎を出して、商人の白いシャツに黒い焦げ目をつける。
冗談では無く、本気である、と魔女は示した。
行商人は驚いたように目を白黒させて混乱の状態で杖を見ていた。
どうして魔女の親戚である自分自身が魔法で狙われているのか、まったく持ってよく分かっていないようだった。
「ちょっと待って、本当に何のことか知らない! 知らないんだって!」
「ほほーう……まぁ言って痛い目を見るか、言わないで痛い目を見るかの二択だからのう……、そっちの方が賢い選択肢なのかもしれんねぇ……」
商人は本気で焦っていた。
私は流石に商人のことが可哀想になって来たため、こちらに気を逸らすために、1回だけ室内から玄関先に聞こえるように、少しだけ大きめに泣いた。
ミルクをおくれ! という合図である。
暫くの間、2人とも動かなかった。
時が止まったかのようだった。
しかし最終的に私の泣き声を聞いた魔女は、1回軽くため息をついた。
そうして、首を二、三度左右に振ると、杖を下ろし「入んな……」と商人に言った。
商人はあからさまに肩の力を抜いて、ホッとしていた。
「……まったく、この前も、今日も、トーカにゃ負けるのう……あーもう、いったい何なんじゃ、あの子は……」
魔女はぶつぶつと小声で呟いていた。
魔女は私に山羊乳を与えつつ、商人を椅子に座らせて、簡潔にこの前の事件を説明した。
商人は最後まで黙って聞いていたが、
「これはあくまで推測だけど……」
と言って、慎重に話し出した。
「この前、トーカちゃんのために牛乳や食料を追加で頼んだよね?」
「……、あぁ、頼んだのう」
「その時、俺は街道沿いに止めてある荷馬車まで戻って、色々と追加で取って来たけど、護衛に『早かったですね』って言われて、いや、追加注文があってな、という話をしたんだ」
「……、それで?」
「それで、その流れで、あそこに赤ん坊がいたという話をぽろっとしてしまった……、と思う。それで、護衛がその話をどこかでしているうちに、伝言ゲーム的に魔女が子供をさらった、けしからん、保護をしなければ、という話になった……んじゃ……ないかな……?」
商人の話は尻すぼみになって言った。
話しているうちに、自信がなくなっていったのだと思う。
でも私はいかにもありそうだと感じた。
どこか、例えば酒場とかで護衛が酒の席でポロッと言ってしまったことが、その魔女を追放した一味(?)の耳に入って、『魔女が子供をさらった』といういかにも正義っぽい理由をつけて、私を魔女から引き離すことで魔女に嫌がらせをする。
どうもこの魔女、アイリス市では多少なりとも嫌われているようだしね。
――だってねぇ、見た目が時代遅れのヒッピーばばぁだもんねぇ……。
これが市内では一般的ということもないだろう。
そうだとすると、私を魔女から引き離す理由が割とテキトーだったことも納得が行った。
――あれ、でも、そうだとすると……。
「結局、今回の事件の原因、元を辿ればアンタにあるんじゃないか! あーもう、まったく! 何なんだ!」
魔女はキレた。
キレつつ、杖を商人に向けた。
今すぐ魔法を放つために魔力を込めた。
「ヒィ! ごめんなさいごめんなさい……!」
「えーん! えーん! えーん!」
私は泣いた。
――まぁまぁ、大事には至らなかったし、許してやってよ……。
という思いを込めた。
魔女は私の顔を近くで覗き込んで、ため息をついた。
「……、はぁ……、分かったよ。トーカに免じて許してやるよ。その代わり、今日はこっちからの薬は無し。それでいいな?」
「…………仕方ない……、良いですよ」
「かー、まったく、良いですよじゃないわ! あーもう、アンタがいつも私の薬でどんだけデカく稼いでいるのか、こちとら知っとるぞ! そこは『あと三回分タダにしますよ』くらいデカいことを言えないもんかねぇ。肝のちっせぇ男だなぁアンタは!」
「流石にあと三回分は……、ちょっと……」
「あーもう、まったく! これだから!」
ようやくいつもの魔女の口調に戻った。
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