君と嘘つき 7



 君は、稜と会ったことがあるよね?


 そう、あの日だ。

 次第に藍色が濃くなる空に、夜がすぐそこまで手を伸ばしていたあの時間。

 君を待ち伏せしていた稜から、僕が背後に君を庇ったはずが、逆に君に庇われることになったあの路地で。

 

 僕と稜の関係は、一言で表すのが難しい。

 ただ言えるのは、短くも長い人生の中で、ある一時近づいてはまた離れてゆくを繰り返す、そんな関係に違いないということだ。


 最初の接点は高校生の頃、気になる同級生の一人としてだった。

 そんな僕と稜が再び近づいたのは、別々の大学に進み暫くした頃に。

 ある一人の女性を中心として。

 彼女の名前は、光。


 そうだね。

 ……名前のような人だったよ。


 幼い頃に両親を喪い、また再び祖父を喪って天涯孤独になった僕の手放してしまった心を、再び取り戻してくれた女性だ。


 そう。

 彼女のことが好き、だった。


 僕が彼女に心を動かしてしまったことが始まりで、僕が彼女と恋に堕ちたことが結果的に彼女の命を奪うことになった。

 全ては僕の過ちなんだよ。


 ……うん。

 最初は、ありふれた恋人同士だったんだ。


 失うことを恐れて、大事な物を掌に乗せることを躊躇うこんな僕が誰かを好きになるなんて有り得ないと思っていたのだけど、恋とは不思議だよね。


 気づいた時には、既に遅い。

 あの甘く疼くような胸の痛みは、僕に感情があることを否が応でも思い出させた。


 光と僕が出会ったのは、この事務所の階下したの喫茶店だった。


 ……いや、違うよ。


 あの頃の僕は、天涯孤独ということを除けばごく普通の大学生で、この事務所はまだ無くてね。そう。ここには雀荘が入っていた。

 マスターは祖父と旧知の間柄でね。

 幼い頃から祖父に連れられて、この階下したの喫茶店にはよく来ていたんだよ。僕が高校に入学すると同時に祖父が亡くなってからは足が遠のいていたんだけど、何故だろう、ふと顔を出してみようという気になったのが光と出会うきっかけだったなんてね。


 ……一目惚れ?

 違うな。

 光は、パッと目を惹くような女性ではなかったからね。

 それでも何度か通う内に、親しく話すようになり、いつしか目で追うようになっていたから……まあ、なんて言ったら良いのかな。彼女の纏う雰囲気や人柄に、惹かれたのかな。 

 ふと気づけば眩しいくらいに輝いているのに、見ようとすれば目を傷めることなく見つめることの出来る……そう、まるで闇を照らす月のようだった。


 もう一度、自分に大事なものが出来たその恐々と割れ物を抱えているような時期を過ぎてしまえば、光の齎してくれた穏やかな日々は、動き出した僕の心を充足させ再び失うことの恐怖から麻痺させるに充分すぎる時間があった。


 光は、そんな女性だったんだ。


 ……彼女と二人でいさえすれば満ち足りた日々はどこまでも続くんじゃないかと思えるほど僕は、幸せのぬるま湯にどっぷりと浸かっていた。


 考えるのが怖くて、その思いを閉じ込めていたんじゃないかって?


 ……慢心していたんだよ。


 もう僕には彼女しかいないのなら、失うこともない筈だと何の根拠もなくただ漠然とそう思っていたんだ。


 幸せとはどんな些細なものでも突然に、それこそ思ってもみない形で、いと容易たやすく失われることを、身をもって知っていた筈だったのにね。


 ふらりと僕の前に現れた稜が、彼女に興味を持った理由を、今なら分かる。

 あの頃は単に稜もまた、彼女に惹かれたのだとばかり思っていたけれど……そうじゃなかった。


 いや、本当はそうなのかもしれない。


 ……分からない。

 分からないんだ。

 分かりたくない、のかもしれないね?


 ただ、僕の知っていることは光が、稜を選んだということだけ。

 

 ごめんなさい……って。


 光は、それだけ言って稜と二人で僕の前から姿を消したんだ。


 それから何日か経って稜から突然、電話があったと思ったらこれから死ぬんだって。


 ……訳が分からなかった。


 二人で幸せになるから僕の前から姿を消したんじゃないのかって、言おうとして言えなくて言う前に電話が切れた。


『残念だよ。おまえは、少しも彼女のことを分かっていない』


 僕は、稜のその言葉の意味を、あの日からずっと考えているんだ。

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