君と嘘つき 10



 彼女の死の真相と向き合うのが怖かった。

 だが今は、それを知りたい。


 


 稜を呼び出した場所に、一緒に行くのだと言って聞かない糸にその訳を問いただすと「稜さんという方が、こんなことをする理由を、シキさんもその本人も知らないことを、わたしは知っています……いえ、そうだと確かめるまでは、わたしの臆測に過ぎないかもしれません。ですからそれを話すのは、お二人の前で。わたしが出した答えを、聞きたくないですか?」と言われて根負けした僕は、同席を認めるため頷くしかなかった。


 ひとりで、会いに行くはずだったのに。

 だったら黙っているべきだった。何故、喋ったんだともう一人の僕が自身を鼻で笑う。


 ――その通りだ。


「……あれから宗田くんは、どうですか?」


 僕を見上げて心配そうな顔をした隣を歩く糸に視線を向け、その出会った頃とは違うセーラー服姿でないことに何故か少し居心地の悪さを感じて目を逸らした。


 あの後、僕の家に身を寄せた宗田くんは、入浴と着替えを済ませるとゼリー飲料を流し込んだだけで、再び泥のように眠ったのである。

 目が覚めた時には普段の様子に近いほど回復したその宗田くんの強さに、僕はほっと胸を撫で下ろしたものの、時折り見せる翳る瞳は彼の中の何かを変えてしまったことを如実に物語っていた。


「うん。身体は、大丈夫そうだよ」


 その心の中までは分からない。

 身体に出来た傷のように、目で見てその治癒過程が分かるものではないからだ。その上また、治ったと思ってもそれは考えもしない時に偶然、軽く触れただけでも血を流したりするのだ。


「……ここは」

 

 冷たい風が、糸の髪を流す。

 吹く風に向かうように首を巡らせると、風に流れずその整った顔に残った一筋を、細い指で、つうと払った。

 鼻が赤い。寒いのだ。

 コートの上からでも分かる糸の細い肩を見ながら、隙間なく寄り添い抱きしめ温めたいと、不意に込み上げてきた感情に苦笑しながらそっと首を横に振る。

 

「うん」


 ここは、君を見つけたあの、土手。

 あの春は、もうずっと前になった。

 一面に枯れ草が生い茂る、以前糸が居たその斜面から、遠くを眺めている人物の後ろ姿が目に入る。


 ……稜、だ。


「さあ、行こう」


 その言葉を合図に僕たちはゆっくりと、しかしそれでいて確実に足は地面を踏み、稜へと近づいていく。

 稜が振り返り、着ていたチェスターコートの裾が、風で翻った。

 目が合う。


「……四季! やあ残念、俺の負けだ。今回は間に合ったな? それにしても……綺麗なお嬢さんと一緒とは、どうした? 新しいゲームでも始めるつもりかな」

 

 少しも残念そうに見えない、どちらかといえば酷く愉快気な様子で、そう言うと僕たちの方へと近づいて来た。


「アンタ、確か……糸とか言ったよな? 四季のオモチャは二つあるって後から知ったんだけど、その時に簡単に捕まえられる方にした俺の怠惰が、負けの原因だったらしい」


 糸の長い髪に触れようと、伸ばされた稜の手を僕は払う。


「……触るな」

「ふぅん?」


 にやにやと笑う稜に向かって僕は「宗田くんも、糸も、僕の玩具ではないよ」と静かな声で告げた時、稜の嘲笑いは大きな声となって空気を震わせた。


「くくッ……あはははっ。ああ! そうか。はははッ。つまり、お前のオモチャは光だけだったか。可哀想になぁ? お前のことが好きだから身を引いたのにな? ……アレ? 知らなかったのか?」


「……どう、いう……ことだよ」


 お前は少しも光のことを分かっていないって言ったの、覚えてるか?

 光はな、いつからかお前と一緒にいることが不安になってたんだよ。幸せと不安は対になっている。そのことを天涯孤独になったお前が一番良く知っていたはずなのに、光の不安には少しも気づいていなかったよな? 

 私なんかで良いのかとよく自問していたよ。だから俺は言ってやったのさ。欲しがっていた言葉をな。


 簡単だったよ。


 少しの甘い囁きと、光の不安を助長させる言葉を言うだけで、慰めを求めて俺を頼りにするようになるなんて。


四季は、お前に不満がある。

四季は、別にお前じゃなくても大丈夫。

四季は、そもそもお前と釣り合うのかな。


 好きだという態度が分かりづらい、あまり言葉にしてくれないと悩む光に、俺なら優しく取り繕うのは簡単だったし、何度だって言えた。それはただの言葉だ。何の思い入れる感情もない言葉だ。何を出し惜しみする必要がある?


俺なら、お前を大切にするのに。

俺は、お前しかいない。

俺なら、お前を不安にさせない。


好きだよ。

好き。

好きだ。


四季は、お前といたら不孝になる。

四季には、もっと相応しい相手がいる。


お前は、俺といる方が幸せだ。

お前は、俺しかいない。


 飢えというのは恐ろしいよな。

 お前は、自分が満たされたらそれで良かったんだろ? 相手の愛情とやらを貪り食べ終えて空っぽになったことも気づかずに、相手の飢えには気づきもしないで、くちくなった腹を抱えてたんだものな?


 ゾクゾクしたね。


 やがて俺と寝るようになっても、そのことに気づいていた筈のお前は、嫉妬すらしていないように見えた。

 光は泣いてたよ。

 やっぱり俺の言う通りだったって。

 だから、愛されていると思ったのは幻想だと教えてあげたよ。お前は嫉妬すら感じで貰えない、その程度のオモチャだってな。


「僕は、光が稜を選んだんだと……」


「選ぶ? 何を? 身体の相性か? 馬鹿だな。選ぶも何も、お前が食い尽くして捨てたんだろ。大事なら、譲れないものならば、抗えば良かったんだ。その姿はどんなに醜かろうと、大切なものの前で格好つけている暇などない筈だ。そんなに簡単に手離したのは何でだ? ほら、な? そうだろ?」



 ……ああ、そんな。

 



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