君と嘘つき 9


 宗田くんが姿を消してから二日目。


 友人と塾関係者、それら周囲の聞き込みとインターネットを駆使した調べ物の結果、さらには残されていたアプリのおかげで、宗田くんの足取りの軌跡を途中まで辿ることが出来た。

 何箇所かの候補に上った場所と目星をつけた建物に、足を運んで探してきたが、まだ宗田くんを見つけられずに気持ちばかりが焦る。


 今もこうして僕と糸が冬木立の中、借りた車に乗り向かっているのは、所有者不明の空き家や、放置されたまま朽ち果てようとしている行き場のない想いを抱えるままに忘れ去られた土地だ。


「こんな山の中にも家があって、住んでいる人が居たんですね」


「……そうだね」


 稜に見せられた映像にあったのは、久しく使われていない家の室内であることは一目瞭然だった。風雨に晒され汚れて透明を欠いた窓ガラス、埃やカビにより黒ずんだ壁、天井隅から垂れ下がる蜘蛛の巣。それなのに宗田くんが横たわるベッドとその付近、そこだけが周囲に比べて人の手が加えられ流れている時間が違って見えた。

 おそらく宗田くんの前に、稜が自分でそこを使っていたのだろう。

 姿を消していたうちのいずれかの時点で。


 とはいえ……。


「……く、車の運転がこんなに怖いのは、どうしてかな。きっと他の人は類稀な感覚外知覚を使って運転してるんだ。僕には、それがないからに違いないって……こ、こ、の山道は車道なんだよね?」


「左側前輪と後輪に注意して下さいね。しばらく前に県道の標識がありましたし、ナビの地図をどう見てもここは道です。この先に小さな神社があるところで行き止まりになるようですね。その少し手前に左右に分かれた細い林道があって目的の民家はその左を登って行くのですが、車は通れない林道のようですから一度行き止まりまで行って車を降りて歩いて引き返す形にしましょう」


「ごめん……半分くらいしか聞いてない。と、とりあえず道なりだね?」


「道を外れたら崖です」


 そうして、ようよう辿り着いたのは――。


 荒れ果てた、小さな神社だった。

 低い山地の木々が葉を落とした冬枯れの景色の中、その落ち葉に埋もれるようにしてその神社はひっそりとその役目を廃され、朽ちかけた鳥居の奥に見えるのは狛犬。

 その左右で一対の狛犬は片方は地面に倒れ、もう片方は顔の大部分が欠けている。


「このスペースに車を停めさせて貰って歩こうか」


 前日から幾度も繰り返して来たこれまでと同じように、トランクから必要なものが入ったリュックを背負うと、糸と二人、先ほど車で通り過ぎた分かれた林道の入り口のある所まで来た道を戻った。

 林道へと進む。

 こうしてあちこちの林道を歩いてみて、分かったことがある。

 それは気配、としか言いようのない何か。

 舗装されていないこの道は落ち葉に覆われ、夜になれば霜が降りることを繰り返すため足元が悪いことこの上なく、落石や倒木を避けるように進むこの先に、民家があるとは努努ゆめゆめ思えないのだが……。


「この道は……」


 これまで歩いた林道とは違うようだった。

 どこが違うのかと言われたら、はっきりと指摘出来る訳ではないのだが、気配が違うのだ。人の気配がするとでも言えば良いのだろうか。

 足元の落ち葉を見ても、落石の欠片も、何かが違う。


 気のせいとは片付けられない何か。


 無言で二十分近く歩いて見えてきた廃屋に近いその民家が近づいてくるにつれ、僕の身体は騒ぎだす心臓に支配され、すっかり感覚がなくなってしまった。

 そのままふらふらと力ない足を向け、今や僕の目の前にある窓ガラスは、あの映像で見たものとよく似ている。


「……シキさん」


 声を掛けられ、足を止め背後に立つ糸を振り返ると、何やら辺りを見回していた。


「ここ、人が居た気配がしませんか? 見てください。誰かが枯れ草を掻き分け、踏みつけた跡が……ほら」


 この気配とは微かな違和感。

 つまりは痕跡だったのだ。


 何はなくとも、まずは家の中を確かめなくてはならない。

 入り口を探し、ぐるりと家屋を回ろうとした所で、玄関の引き戸が斜めに傾いで大きな三角形の隙間があることに気づいた。

 そして、その隙間にある枯れ草が内側に折れているのを見て、やはりここに宗田くんが居るのでは、という思いを強くする。

 

「……ここは、僕ひとりで行かせてくれないかな?」


 口を開いて何かを言おうとした糸が、それを言葉にする前に僕は、早口でそれを押し留める。


「もし、宗田くんが居るなら……居て、意識があるのだとしたら……君にはその姿を見られたくないかもしれない。だから……」


 糸は僕の言葉に少しだけ目を見開いた後、こくんと小さく頷く。


「……ここで、待ちます」


 見送られるようにして、家の中に入って僕が目にしたもの。


 ああ……。


 両足首を結束バンドで拘束され、片方の手はベッドに括り付けられたまま、身体に薄汚れた毛布を巻きつけ、それをもう片方の手で掻き抱くようにして俯いている宗田くんの姿だった。

 そばに転がっているのは空になったペットボトルが一本と飲みかけが一本それだけ。

 水は二本しか用意されていなかった。


 ……間に合った。


「……四季さん? え? あれ? やっば……オレ、とうとう幻覚見始めちゃった?」


 宗田くんが立ち竦む僕に気づき俯いていた顔を上げ、その途端、泣き出しそうに歪んだ顔を見たと思う間もなく既に僕は、その身体をきつく抱きしめながら「ごめん」とただ、その言葉を繰り返していた。


 ごめん。

 怖い思いをさせて、ごめん。

 ごめん。

 すぐに見つけられなくて、ごめん。

 ごめん。

 謝るしかできなくて、ごめん。

 ……ごめん。




 ここ夜は寒さが酷くて寝られないんだ、と宗田くんが少し笑ったのは、拘束を解いて自由になった震える両手でカップを捧げ持つようにして、リュックから取り出した温かなスープを、ゆっくりと喉に流し込んだ後だった。


 しばらくして、結束バンドを切ってもなかなか動かせず固まってしまって不自由だった両足が動かせるようになった後も、立ち上がるのが精一杯のその様子は痛々しく直視するのを躊躇う。

 排泄で汚れた服を気にしないようにと、持って来ていたブランケットを腰に巻きつければ、それなら次はちゃんと下着とかスウェットとか持って来てよと言うので、また次があるんだと言ったら、もう一度少し笑った。


 そうして長い時間をかけて家の外へ出て、糸の姿を目にした宗田くんは、オレで良かったと僕にだけ聞こえる声で呟く。


 車があるところまで僕に背負われても、病院へ行こうと言う言葉には決して首を縦には振らず、後部座席で身体を縮めるようにして眠ってしまった宗田くんに僕と糸は、もう何もしてあげることが出来ない。


 後は、帰るだけ。

 ひとまず僕の家へと連れて帰る。

 それだけ。


 その帰り道のことは、あまり覚えていない。


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