君と嘘つき 11
「じゃあ、光は……」
「そうだ。お前が殺したんだよ、四季」
「違うッ……違います!!」
慣れない大きな声を出した糸が、肩で息をしていた。吹き上げる風によって吐き出される白い息が、染まり始めた赤い空に消える。
「これはこれは、お嬢さん。すっかり忘れてた。何か言いたいことがありそうだな? 聞いてやるよ。まあ、どうやったって事実は変わりようがないけどな」
腕を組み首を傾げた稜は、下から掬い上げるような視線を糸に向ける。
「そうです……変わりません。光さんは、自ら飛び降りたのでも貴方が突き落としたのでもありません」
「へぇ? まるで見てきたようだな」
「見てはいません。……聞いたんです」
「……?」
「……それは?」
「あの日、光さんは崖の上から足を滑らせてしまっただけの、単なる事故でしかありませんでした。まあ、それでもその場所に、貴方がどんな意図を持って光さんとそこに居たのかは知りませんし、知りたいとも思いませんが。ですから事実だけを言うなら、そこで貴方がしたことといえば、光さんを見殺しにしただけでなく自殺と見せかける小細工をしたというだけのこと。光さんの死は、シキさんとは関係がないんです」
……そうですよね? 光さん。
糸の視線は稜を通り越し、その背後を見つめていた。まるでそこに、光が居るのだというように。おそらく、糸には見えているのだろう。聞こえているのだろう。
僕にも稜にも見えない光の姿を、声を。
「ふッ。何を言うかと思えば馬鹿ばかしい」
しかし、稜は信じていないとしながらも、明らかに落ち着きを無くし始めた。
腕を組み替えると首を縮め、肩を竦めるようにして上目遣いで糸を睨む。
「……ハハッ。光はホントおめでたいヤツだったよな。俺とお前が親友だと信じていたくらいだ。知らなかったのかな? 俺とお前はそんなモノじゃないって。俺は光と出会ってからのお前のことが、大っ嫌いだったよ。
俺の知るお前は、人当たりの良い笑顔をその綺麗な顔に浮かべて、どんな時も相手を思いやっているようでいて実は、誰のことにも興味がない。いつだって澄ました顔をして、自分が有利になるように容易く物事を進める。時に冷酷で蔑んだ眼を見せていた、そんなお前だからこそ惹かれたのに。
だが光と出会った事で取り戻したという本来の心とやらを持ったお前とは、どうだ? それならばと光を奪って喪わせて、お前の目を覚まさせることにしたんだ。
……そうしたら、どうなったか。お前は良く知っているよな?
何もしなかった。
見ているだけ!!
大切なものだという割に奪い返すこともせず、相手を思いやるフリで自分が傷つくのを恐れているだけのつまらない奴だと知った時の、俺の気持ちが分かるか?
……もっと俺を楽しませてくれよ。
幻滅したね。がっかりだ。
俺はそんなお前が大嫌いだ」
……僕が、手を伸ばさなかったから?
去りゆく光を、引き留めることをしなかったせいで?
震える掌を、目の前に翳す。
沈みゆく太陽の朱は、まるで僕の罪の血に染まる手を浮き彫りにするかのように烈々と空を燃やしている。
……掌から溢れ落ちたのではなく、僕が
「違いますよ。貴方は嘘つきです」
そのとき澄んだ声が、した。
糸のその透明な眼差しが僕を、稜を射る。
「それは、貴方がシキさんに寄せる好奇心からしたことです。これまで貴方が出会った人とは違って、自分の思い通りにならないと知ってからシキさんのことが、気になって仕方がなかった。自分と似ているんじゃないかと。だからこそ自分にも、誰にも、感情を動かすことがないシキさんを、貴方は好ましく思っていたんです。それなのに、久しぶりに会ったシキさんの変化に貴方は驚き、裏切られた思いになりました。
それと同時に、光さんに向けられたシキさんの感情を、妬んだんです。何故なら……貴方は気づいてはいませんが、その感情を自分に向けて欲しくて、シキさんの頭の中を自分でいっぱいにして欲しくて堪らなかったから。なのに自分に向けられるべきシキさんの感情は、別の人へ向けられている。
だから、あんなことをしたんです。
彼女を
貴方は、シキさんのことが好きで、知りたかっただけなんです。貴方はシキさんに興味を持っていた。他の人とは違い、どんなことをしても、一緒にいても、シキさんの心を
だから貴方は、光さんを奪うことでシキさんの心を閉じ込めることにしたんです。自分が入れないのなら、誰も入れられないように」
「なんだかお前は、違うと言いたげだな?」
「いえ、わたしも同じです。
わたしも、その再び閉ざされてしまった心の中に入れて貰いたくて仕方のない一人です」
「……気づいていないのか?」
「えっ? 何をですか?」
「そうか。ははは。ハハハハッ……。やっぱりお前は、まだ分かっていないんだ。気づいていないんだな。四季にとってお前がどんな存在か。それで四季は、また同じことを繰り返すんだよ」
その時、僕は気づいてしまった。
稜の、本当の嘘がどこにあるのかを。
「僕の心に入りたい……? いや……違う。最初はそうだったかもしれないけど……そうか……稜、おまえは気づいてないんだ。僕のことが、大嫌いだって言ったよね? 人を
稜が僕を好きだったことはないよ。
自分に惑わされることも、靡くこともない珍しい僕を、単なる好奇心を持って見ていた。それだけの存在だった。なのに、それがいきなり、嫌いになった、だって?
その極端な感情は、稜が知らず、光のことを好きになっていたからだ。それで僕のことを嫌いになったんだよ。三人とも行き違い、報われない想いを抱えていたことを実際に知っていたのも、本当の意味で苦しんでいたのも、光だけだったから。
僕に向けていた稜の好奇心は、いつしか光を好きになったことで、光のその想いと同調したんだ。
稜は、これまで誰のことも愛したことがなかったから、その気持ちに気づけなかった、分からなかったんだよ。
自分の意思とは関係なく翻弄される。
その感情は、恐ろしかっただろう?
眩いくらいの輝きを見た後で、ふいに奈落の底に突き落とされる。胸を掻き毟るほどの甘く切ない痛みも、些細なことで鼻の奥がつんと痛くなるほどの幸せも、無意識に揺さぶれるその全てが怖くて堪らなかった。
世界が変わる瞬間を、体験したんだ。
……分かる、よ。
だからそんな自分から、感情から目を背け、全てを嘘だとして、光の存在を否定したかったんじゃないのか? 僕のことを嫌いになったことにして。
稜も僕と同じで、いつの間にか光に心を見出され救われていたんだ。でも……そしたら光は……」死んでしまった光は、誰が救ってやるんだ?
僕の言葉を掻き消すように、強く冷たい風が土手を走ったその時、思わず目を閉じた僕の耳元で懐かしい光の声が、確かに聞こえた。
『救う? 救われる? そんなことを思ってたの? 優しいのは四季くんだよ。そんなのは、いつだってお互いさまでしょう? 私たち二人が駄目になったのは、心の満たされた四季くんを前にして、身が竦んでしまった私のせい。私では、四季くんと並んで歩けない。そんな風に思ってしまったせいで四季くんを信じることが出来なくなったから……。
眩しかったの。
私には、四季くんが太陽みたいに眩し過ぎたんだ。
でもね……そんな私だからこそ分かってしまった。稜くんの嘘は、全部が嘘じゃないこと。私は稜くんを選んだ。それは私が決めたことなの。寄り添っていこうって、なぜなら……』
「『稜くんは、心の中で血を流していることに気づいてしまったから』って、光さんが言っています。
あの日、崖の上で海を見ながら貴方の全て
を信じて受け入れようとしていた。その光さんの手を貴方が払ったことで、結果として、思いもよらず足を滑らせてしまったことを、光さんは悔んでいます」
ああ、そんな……。
『稜くんが、もう嫌だって……自分のことが分からなくなったって……苦しそうで。私からは、絶対に手を離さないつもりだったのに……私それを知っていたのに……稜くんを、ひとりにしちゃった』
光の姿が、見えた。
僕の目に、糸の目に、そして……。
次の瞬間。
稜の慟哭が、空を突き破る――。
僕たちは光が優しく微笑むのを見たんだ。
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