一角獣とホワイトシチュー 10
「……姿を、消した?」
僕の言葉に、恩田氏は小さく頷くと「そうとしか言いようのない状況だったと、訪ねて行った婚約者の家で清一郎は聞かされたそうです」と話を続けた。
――清一郎の日記に、残されていました。
その日、婚約者が失踪したと言う話を聞きつけ呼び出されるまま行ってみれば、その家はまだ上に下への大騒ぎの最中。
なんでも、それは昨晩のことだというから清一郎の受けた驚きは、大きなものでした。
普段のように就寝前の挨拶に訪れるはずの娘が一向に現れない、寝てしまったのならば良いが万が一具合でも……と、部屋を覗いて見れば寝る支度を整えた布団があるだけでそこに居る筈の娘の姿はなく、家中を探し回ってもその気配すらない。
失くなった着物も消えた履き物もない、寝巻き姿の娘が一人夜中に素足で何処へ行くというのか。まるで、煙のように消えてしまったとしか思えない、ということでした。
あるいは清一郎が何かを知っているかもしれない、と呼ばれたものの自分は何の力にもなれなかった。もしかしたら想い合っているというのも実は勘違いで、手紙のやり取りも婚約を喜んでいたのも自分だけで、彼女には別に想い人でもいたのかなどと疑心暗鬼に陥る清一郎の心情が日記に吐露されています。
嫁入り前の女性の部屋とはいえ、夫婦になる筈だった女性の部屋です。帰りがけにちらと部屋を見せて貰った時、清一郎の贈った手鏡が、持ち主の不在を悲しむように文机の上に残されていたと書かれていました。
「その手鏡が……なぜ?」
「清一郎の手元に戻って来たのか、それについては何も書いてはありませんでしたので……ついぞ見つからない婚約者の形見分けみたいなものなのか、思い出にとのことなのか……何かのか、分かりません。ただ、手鏡など贈らなければ良かった、と清一郎が悔やんでいることも書いてあるので……」
「ひょっとして、さ。部屋を覗いた時に文机の上にあった手鏡を勝手に持ち出した……とかね?」
宗田くんが、腕を組み考える仕草をしながら首を捻った。
それまでテーブルに視線を落としたまま、ぽつぽつと喋っていた恩田氏はそこで顔を上げると、助けを求めるように僕の方を見て言った。
「……そう……なんですか、ね。そういえば清一郎が婚約者の女性から貰った手紙の中に、手鏡のことで家の者に注意された、という意味で書いたのだと思われる文言のある手紙がありました。『そう夢中になって手鏡ばかり覗き込んでいては、魂を抜かれると言われてしまった』云々です。私にはその気持ちがあまり分からないのです。手鏡はそれほど頻繁に覗き込むものなんですか? 覗き込む手鏡に何かを見つけて、思わず夢中になってしまったんでしょうか? そうであればしっくりきますよね? 理由もないのに手鏡をそんなに見ることってあるんですかね?」
理由?
容姿に評判のある年頃の女性が、贈り物にと手の込んだ美しい手鏡を貰う。
鏡は贈り物としては忌む物ではあるが、美しい貴女には美しい鏡が良く似合うと言われ、満更ではないその女性は手鏡を見る度に、そこに映る自身の顔に、何を思うのだろう。
「美人なんでしょ? その人。だったら綺麗ね、可愛いねっていつも周りに言われてたんだろうし、それ自分でも分かってるよね? そんなら鏡に映る恋に酔っている自分を見て酔ってるってヤツじゃね?」
「……宗田くん、さ」
そうかもしれない……そうかもしれないけど……そう、なんだろうか。
それぞれに考えることが違って、それでも宗田くんの放った一言は、相変わらずしょっぱいものの当たらずと
「……そうでした。いや、すっかり。すみません……他にも何か手掛かりになることが書かれているかもしれないと思って、その手紙と日記を持って来ていたのに、皆さんに見せるのを忘れていました」
その言葉をすべて言い終えないうちに、黄ばんであちこち薄汚れ、端はすでに欠け、折り目は今にも破れそうに脆くなった紙の束をテーブルに取り出した恩田氏は、それを丁寧に広げだした。
「日記は組んでいた紐が解けるわ紙は千切れるしで、バラバラになってしまって……読みづらいですが……あ、あとこっちが手紙で、この写真が……」
すっと、糸の手がテーブルに伸びたと思ったら、恩田氏が寄り分けようとしていた写真をテーブルの上を滑らし、指でつうと自分の目の前へと引き寄せた。
長い睫毛が、白い頬に影を落とす。
「ああ、やっぱり……そうじゃないかと、思いながら話を聞いていました。この写真、婚約者の方ですよね? この女性です」
シキさんの眼の中に見えるのは――。
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