幽霊と綿あめ 8



 「花が置かれていた場所は、おそらくですが検討がつきます」


 宗田くんが帰った翌日の午前中、本格的に暑くなる前にと、僕は糸と二人でその糸の言うところの『検討がつく』場所に向かって歩いていた。聞けば学校からさほど離れていない場所で、それを見かけたような気がすると言うのだ。

 遮るものはなく、じりじりと照りつける日差しが、路上に立つ僕を溶かしてゆく。これからもっと気温が上昇するというのに、早くもどこか建物の中に避難したくてたまらない。コンビニの前を通り過ぎる度に、自動ドアが開いて冷たい空気を吐き出すのを浅ましくも期待してしまう自分がいた。隣にいる糸を見れば、暑さなど感じていないような涼しい顔をしているが、よく見るとこめかみに汗が浮いている。視線を下げれば首すじの汗が、長い髪をいく筋も貼り付けていた。


「……暑いね」

「夏ですからね? この耐えがたい暑さも、冬になると懐かしくなるなんて分かってはいても、夏である今は、早く冬にならないかと考えてしまうんですから」移りゆくとは、おかしなものですよね。

 そう言いながら、髪を重たげに後ろに払う仕草に「髪を結んだら?」と言うと糸に軽く睨まれた。


 え? なんで?


「……顔が剥き出しになるのが、恥ずかしいんです」

「そうかな? 試験勉強していた時に、ひとつに纏めていたの、なんか凛々しくて良かったよ?」

 それきり黙り込んでしまったので、もしかしたら怒っているのかもと顔を覗き込もうとして止める。慰め方を知らないのに、怒っていたとしたら洒落にならないからだ。

 そうこうしているうちに、信号待ちのため立ち止まった横断歩道の先に、くだんの花束が見えた。


「花が道の片隅に置かれている……手向けられているのは」

「そこで命を落とした、愛しい人のため」

 僕と糸は、顔を見合わせる。

 手向けられていた白い花びらのマーガレットの花束が、ことん、と横に倒れた。

 その時、まるでそれに呼ばれたように現れた男性が、その花束を拾い上げ、新しい花束と交換している姿を目にした僕たちは、信号が変わるや否や早足で、彼の元へと歩き出したのだった。



 「……まさかあの美しい手が、ね」


 冷房の効いた事務所に戻り、ソファに身体を投げ出す。

 階下したの喫茶店からテイクアウトしてきたサンドイッチとコーヒーのたっぷり入ったポッドを前にした糸が、どれから手をつけようか迷っている姿は微笑ましい。


「夏バテして、何も食べられないタイプだと思ってたけど、違うんだね」

「さすがに暑いときは、のぼせてしまってあまり食欲もありませんが、こう涼しい部屋にしばらく居ると、食べれてしまいますね。それにマスターの作ってくださったキュウリサンドやバインミーサンドは、前にもご馳走して頂いたのですが、野菜がたっぷりでさっぱりして美味しくて」

 うん、確かに。

 キュウリサンドも、新作だというバインミーサンドもみずみずしい野菜が、たっぷりと挟んである。

「これは、シキさんの好みなんですか?」

「恥ずかしながら、小さな頃は夏になると食べられなくてね。見かねたマスターが、あれこれ世話を焼いてくれたんだ」

 

 なんとなく遠い目をしていた僕に、糸は塩揉みしたキュウリがたっぷり入ったキュウリサンドを齧りながら尋ねた。

「シキさんは美しい手、と言いましたが、宗田くんの腕を掴む手は……」

「うん。僕には若い女性の綺麗な白い手が、見えていたんだ。どう見えていたの?」

「わたしには、優しそうなお婆さんです」

「……なるほど」

 宗田くんに、べったりと寄り添うお婆さんを想像して、思わず笑ってしまった。


 僕と糸が追いかけた男性を捕まえることが出来たのは、幸いだったと思う。

 七十代後半、白髪で姿勢の良い男性を呼び止める。振り返ったその男性が、宗田くんに憑いている女性の旦那さんであることは、話を聞く前から分かっていた。


「あの場所で倒れて、亡くなったなんて」


 彼女は、昔から方向音痴だったせいもあって、亡くなった今だって何処に居るのか分からないから墓参りの後はこの場所に寄っては花を手向けているのだと、寂しそうに笑った男性は、この後は他に寄る予定もなく、あとは一人の家へと帰るのだと言った。

 

「宗田くんが、旦那さんの若い頃とかぶって見えたのかな?」

「どうでしょうね? ただあの日、宗田くんの隣から、わたしに聴こえていた囁くような声は『この子は、まだ誰かに恋したことがないのよ。かわいそうに』と言う彼女の言葉でした」

「それは……難しいよね」


 ポッドのコーヒーを僕と糸のカップに注ぎながら、首を傾げる。

 まあ、それでも確かに宗田くんは、あの話ぶりからしても、誰かに恋したことはないような気がする。


「宗田くんは、すべての女性を愛しているようですけれどね?」

 キュウリサンドを食べ終えた糸が、手を拭きながら言った。

「うーん。あれは愛なのかな? ってことなんだと思うよ。恋と愛は違うけれど、あれは愛ではないし、ましてや恋なんかじゃない」

 カップに唇を寄せ、上目遣いで糸を見ながら言う僕に、糸は「それでは、シキさんは知っているんですね?」と小さく呟く。


 僕はそれに答えないまま、バインミーサンドに手を伸ばした。

「幽霊の彼女は、嫌がらせをして宗田くんから気のある女の子達を遠ざけようとしているよね。多分、それは宗田くんの為であり、女の子達の為なのかもしれない。だけど、昨日の話でSNSを使った嫌がらせや、付き纏いの半分は生きた人間の仕業だし。まずは、そっちを幽霊に退治して貰うのがいちばんかもしれないよね」


「……そうですね。確かにストーカー撃退には幽霊さんが良いかもしれません。その方法は、いまいち良く分からないのですが、ストーカーはどうすれば離れてゆくんでしょう?」


「宗田くんに、話してみよう。ストーカーは、二人いるんだってね? それに宗田くんが事務所に来れば、自ずと幽霊の方は一緒に憑いて来てくれるんだから」


 

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