幽霊と綿あめ 7



 ……に。……そう……。

 ……かわいそ……うに。


 薄暗い部屋の中、眼が覚めた。

 カーテンから僅かに覗く光を見れば朝はまだ、少し先だ。

 また声が、すぐそばで聞こえた。

 誰かが添い寝している時のように。

 頭を掻きむしり布団を跳ね上げ勢いよく立ち上がると、部屋の電気を点ける。煌々と眩しい光が、真っ白に部屋を浮かび上がらせた。僅かな暗闇さえも完全に消え去るまで、目が慣れるまで、何度か瞬きを繰り返す。

 ほら、誰も……。

 誰も、いない。

 当たり前だろ?

 分かっていたことだった。

 いつからだ? いつからだった? 声が聞こえるようになったのは。

 いつの間にか、肩で息をしていた。

 あの、掠れたような声は、すぐ耳元で聞こえなかったか?

 ……怖い。

 怖くてたまらない。


「……ッんだよ、コレ!!」



 ――思わず地面に投げつけた上履きは、中に入っていた沢山の白い花びらを、周囲に撒き散らしただけだった。


 怒りに任せた行動とは裏腹に、ゆっくりと舞い落ちてくるその花びらに、その時近くにいた人達から詰めていた息を吐くのと同時に、感嘆の声が漏れるのが聞こえなかったわけじゃない。

 確かに、綺麗だった。

 現実離れした、その光景は。

 それでも、気味が悪いのには変わりない。


「どうしたの?」

 美紗都の声がした。いつの間に背後に立っていたのだろう。振り返って見たそこにあった、心配気な顔から目を逸らす。

「……コレ、あんたじゃないよな?」

 足元に散らばる白い花びらに視線を一旦落としてから、掬い上げるように美紗都を睨みつけて問えば「なんであたしが? そんなことするわけないでしょ。でも……誰だろう。まだ、居たんだ……あたしが知らない響介くんのこと好きな人」と、ぶつぶつと小さな声でよく分からないことを言っている。

 一定の距離をおいて離れて立っているにもかかわらず、頭ひとつ分小さくて華奢なその身体がまるで、何か大きくて禍々しいもに感じて吐き気がした。

 やはり柚月に電話して、何があったのか詳しく聞き出さなくてはならない。

 別れると聞かされて安堵していた原因は柚月じゃなく、自分オレにあったんだと思ったら、寒くもないのに身体が震えていた。

 


 「少し整理させて下さい」


 糸が、宗田くんの話を遮る。

「声は、今も聞こえていますか?」

「……今? いや……明け方だけ、かな。それも一人の時だけ。……まさか、オレがおかしくなっちゃってるって……暗に言いたいわけ?」

 違います、違いますと、糸は顔の前で両手を振る。

「それから柚月さんには、連絡が取れたんですか?」

「……取れた。直接は、会いたくないからって電話で……聞かされたのは……なんて言えばいいのか。別れたら、それがぴたりと止んだんだって、言うし? とにかくヤバい話で」誰かに一日中見られているような視線、自宅の玄関前には掌くらいの大きさの石がいくつも置かれて、部屋のガラスが突然割れたり、階段では背中を押される。夜中に声が聞こえたり、いきなり電気が点いたり消えたり。無言電話はもちろん。 SNSを荒らしまくられただけじゃなくて、文字化けメッセージとか送りつけられたり、保存してた写真が消えたり、コラ画像を知り合いに送りつけられたり、それから……。



 ――じゃあ、また連絡します。

「うん。こっちでも何か分かった時には連絡するよ」


 センターテーブルに、一枚の写真を残して席を立つ宗田くんの右腕にぶら下がる白い女性のものと見られる手は、依然として変わらずそこにある。

「データで送っても良かったんだけど、気持ち悪いかと思って。なんか増えそうじゃね? それにプリントアウトしてみたら錯覚かも、なんて淡い期待もあったし。だけどさ、コイツらと何度も確かめて、やっぱ幽霊じゃんってなってデータ消そうとかもしたんだけど……これ消しただけじゃ、意味ないんだよなって気づいた。はっきり映ってんのが、この一枚なだけで、結構あるって言うか……靄みたないなのが腕に白く、さ」幽霊から消さないと、何も変わんないんだよね。


 宗田くんが、疲れた顔で笑いながら窓の方へと目をやる。つられてみた窓の外は、早くも暮れ始めの様相を見せていた。

 その後は何となく三人とも黙ったまま、扉の前で宗田くんを見送った後、糸が僕を見上げるようにして尋ねる。

 

「シキさんは、どう思いましたか?」

「そうだね。幽霊とストーカーは、別……かな。まあ……ある意味、幽霊もまた、ストーカーではあるんだけど」

 宗田くんの腕にぶら下がる白い手を、思い出しながら言う。

 

 それを聞いて、にっこりと笑った糸のその屈託のない顔は何となく久しぶりに思えて、その笑顔を見られただけでも、答えを間違えずに良かったと思うのだった。

 応接セットまで戻り、そのテーブルの上、宗田くんが置いていった写真を見る。そこには花火を背に、笑顔で映る五人の男女。

 ……宗田くんの腕に絡まる女性の白い手。

 僕も糸も、恐ろしいのはそこではない。

 はっきりと映った心霊写真にばかり気を取られて、宗田くんはこのことに気付いていなかったのだろうか。多分、そうなんだろう。

 花火に背を向けて写真に映る彼らの後ろにいる人々は、皆、こちらに背を見せて夜空に咲く大輪の花を見上げている。

 その大勢の背中に紛れて、ひとり覗く顔。

 禍々しくも恨めしそうなその表情を、花火の赤い光に照らし出された一瞬が切り取っていた。


「宗田くんは、幽霊さんをストーカーだと思っているようですが、ストーカーは、この人です。幽霊さんは、宗田くんを守っているつもりなんです。……もちろん、幽霊さんなりに、といった方法ではありますが」

 この人、と糸が写真の中の端、その大勢の背に埋もれるようにして微かに覗くこちらを向いた顔を、指差して言った。


「つまり……それが宗田くんの誤解を生んだという訳かな」でも、幽霊はどうして……というか、何故、宗田くんを守っているんだろう? 


「宗田くんと幽霊さんの出会った場所にいけば、何か分かるかもしれません」

 写真を摘み上げた糸は、考えごとをする際の無意識の仕草でそれを口元に寄せる。

 やや伏目がちなその様子は、見方によっては写真に口付けをしているようで……。

 奇遇だね、僕も今それを考えていたんだよ……と言うかわりに


「また、明日にしようか」変わりゆく空の色を見ながら言った。

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