鶯と枇杷 9
僕は、電車からホームに降り立つ。
ここは二つの鉄道が乗り入れる接続駅だ。
一見すると古い建物のように見える駅舎も、平成元年に改築されたものである。
そしてK鉄道の終着駅といえども、ここは無人駅だ。
海都の覚えていた電車。
それはK鉄道、ではなかった。
いや、K鉄道だけでは、なかった。
海都の記憶が間違っていたわけではない。
多分、どちらの電車も見ていた。
ノートに書いてあった断片的な文字や絵が、大きな切っ掛けになった。
駅舎の絵。
田んぼ。川。
そして……西、という文字。
隅のほうにあった鉛筆で消された自信のないホームを挟んで並ぶ電車の絵。
海都は、電車に興味がないようだった。電車の好きな子供なら間違うこともないが、海都は全くと言って良いほどだろう。
だから分からなかったのだ。海都が絵で書いていた電車は、それぞれ別の路線のものであるという事が。
いや、電車が何線も乗り入れる駅を見慣れた海都にとっては当たり前のことだった為に、ホームを挟んで並ぶ気動車を不思議に思わなかったのかもしれない。
もしかしたら、電車と気動車の違いも分からないのかもしれなかった。
つまり気動車であるK鉄道と同じ気動車のI鉄道が乗り入れるこの接続駅、そして次の駅までのおそらくその間に『ようちゃん』の暮らす家があったと思われた。
何よりも決め手となったのは「西」という文字である。駅名にも入っているその文字は、そのすぐ近くに同じ文字が入った小学校を見つけた時に、さらに手答えを感じた。
またその先のS駅も候補の一つだったが、並ぶ車両を見たという海都の絵が、このホームに降り立つべく僕の背中を押したのである。
調べるならここからだと思った。
事前に調べて分かったことのひとつ。
海都がテレビで観たという『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』が報道されたのは昭和の終わりから平成の初め。八月に容疑者が逮捕されたことで報道は苛烈になる。
そしてランドセルを背負ってテレビを観ていたのだとしたら、それは夏休みが終わった九月のはずだ。容疑者が誘拐・殺人罪で起訴されたことで再びワイドショーが賑わっていた頃ではないだろうか。
つまりそれまで『ようちゃん』は、生きていたのだ。
あとは、平成元年以降のこの辺りに起きた事件を調べれば終わりだったのだが、新聞に載るような事件はなかった。
――そして調べた、もうひとつ。
見つけたのは、書かれた小さな文字。
氏名、自宅、死亡日、年齢。
この辺りの地方新聞の訃報掲載欄である。
その中で分かるのは、おおよその死亡日と十歳という年齢だ。
だが、それだけで十分なのであった。
高齢の数字が並ぶ中、一際目を引くその小さな数字は、滅多なことではない。
幼い子供が亡くなること、出来ればそんなことは、あって欲しくないものだ。
新聞に書かれたその文字を、指でなぞる。
僕はついに、『ようちゃん』を見つけた。
駅を出て歩く。
海都が、『ようちゃん』の目で見た景色を、白黒ではない鮮やかな色彩の溢れる道を僕は歩く。
初夏の光は、瑞々しい新緑を跳ね返す。
水を湛えた田園風景は、優しくなだらかに空に溶けてゆく。
足元を見ながら歩く。
『ようちゃん』とは違う大人の足。
でも地面はあの頃に続いている筈だ。
調べていた住所は、予想通り二つの駅の間にあった。その近くには、随分と前から犬のいないと思われる犬小屋。
少し先に『ようちゃん』が怖々と走り過ぎる後ろ姿を、見たような気がした。
地面に残る錆だらけの杭が、繋ぎ止めるものもなくなって、寂しそうに傾いで見える。
……この家だ。
雑草の蔓延る庭の、手入れのされていない枇杷の木は、誰も捥ぐ人がいないのだろう。高く手の届かないところに実をつけていた。
人の気配がする。
僕は、玄関に足を向けた。
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