一角獣とホワイトシチュー 4



 奇妙な人型の闇をじっと見続けていると、その真っ黒な穴に誘われるまま手を差し入れてみたくなる。


 手を、指先を、差し入れてみようか?


 否、そのようなことをしなくても、ホラ。手鏡を覗き込んでいれさえすれば、やがてその闇い穴に落ちそうになるのが分かる。

 途端に辺りが暗くなり音は消え、あらゆる感覚が失われ始めた。


 なんという漆黒。


 もう少し近くで見てみようか?

 まだまだ、奥がある。

 其処は、どうなっているのだろう。


 ああ、落ちて――。


 次の瞬間、ふわりと糸の匂いを感じた。

 温かな感触。僕の左肩に触れたのは、脇から手鏡を覗き込む糸の身体だ。

 

「……本当に、映りませんね」


 まるでその静かな声が合図だったかのように、光と音の洪水が押し寄せる。

 元の世界に引き戻された。

 手鏡を持つ手が少し震えていることに気づき、心を落ち着かせようとテーブルの上に面を伏せて置いた。

 

「えー? マジで? 見たいような見たくないような……つか四季さんも高桜さんも、よく見れんね? オレは無理……」


 置かれた手鏡に視線を送った宗田くんが、そのまま依頼人の恩田氏の方に目を向ける。

 俯きがちに肩を縮こませたままの恩田氏の顔を見ることは出来ないが、その固く結ばれた唇が微かに震えているのを僕は……僕たちは、見た。


 なんだろう?

 ああ、そんな……そういうこととは。


「え……何だよ、その顔。まさかこれ見て、何かあったとか? ……何だ……それ……それ知っててナンも言わないで見せるとか、ヒトとしてどーなの?!」

 それにいち早く気づいて反応したのは、宗田くんだった。


「……っざけんなよッ?!」


 今にも恩田氏に掴みかかりそうに半ば腰を浮かせた宗田くんはテーブルに乗り出すようにしている。


「宗田くん……少し黙って」

「四季さんは良いよ! でも……高桜さんは? こんなの見せられて……」

「わたしが自分から見たんですよ?」

「……ッ?!」


「すみませんっ!!」


 宗田くんがそれ以上何かを言うより早く、勢いよくがばりと頭を下げた恩田氏の肩が震えているのを目の前に、僕たちは口をつぐむ。つぐむしか無かった。

 気勢を殺がれて力の抜けてしまった宗田くんも腰を落とすと、椅子に踏ん反り返って恩田氏を睨みつけている。


「最初に……いちばん初めにお話するべきでした。それは分かっていたんです……でも、話をした後には鏡を見てもらえないかもしれない……そしたら、そしたらこの苦しみは……ひとりでこれを抱えていくのは怖くて、怖くて堪らなかった……」


 すみません、すみませんと謝りながら、ひと言話すたびに涙が落ちるのを、ただ黙って見ていることしか出来ない。

 何かあると、どうして気づけなかったのだろう。


「……それでは恩田さん。最初から順を追って話て頂けますか」

「四季さん……」

 僕は片手を上げ、宗田くんの言葉を遮る。

 恩田氏は一度眼鏡を外すと目元を擦り、しばらく俯いたまま小さく頷くと再び眼鏡を掛け、意を決したように顔を上げた。


「手鏡は、蔵にあった古い金庫の中で見つけたんです。この風呂敷に包まれたまま、仕舞われていました。……いえ、あれは隠されていた、と言った方が良いかもしれません。


 蔵をリノベーションするために、仕舞い込まれ塵のようになった古い物を片付けていた時に、この手鏡の入った金庫を見つけたんです。

 いえ、金庫といっても大層な物ではありません。

 手提げの小さな金庫です。

 蔵の隅に……それも繊維が朽ちて崩れそうな反物の山の中に覆い隠すように、仕舞われてました。


 ええ、そうです。

 もしかしたら中に価値のあるものがあるんじゃないかと……。隠すように置いてあったのだから、もしかしたら……。


 母屋に持ち帰り、父母に尋ねてみましたがそのようなものは聞いたこともないし、手提げ金庫なんて大したものは入っていないよと鰾膠もなく……。


 そう言われても開かないものを開け、中を見てみたくなるものです。


 鍵は、有りません。

 ダイヤル式の……。

 壊しました。

 どうしても中が見たくて。


 出てきたのは、この風呂敷に包まれた手鏡がひとつ。



 鏡を覗き込んでから、見えるんです。


 ――人の身体に絡みつく細い絹糸が」

 

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