幽霊と綿あめ 4


 何だろう。


 塾の帰り道、街灯がポツポツと照らし出す住宅街を歩いていると、誰かにつけられているような気がした。


 同じ駅で降りて、通りを歩く人はまばらにあったものの、それぞれが思いおもいに帰宅を急いでいるようだったから、たいして気にならなかった。ただこうして一歩、住宅街の中に足を踏み入れた途端、夜に取り残されたと感じるのは、なぜだろう。

 何気なく携帯スマホを取り出し、メッセージを見るフリをして歩く速度を緩めた。

 さっきから自分の足音が二重に聞こえるのを、確かめたかったからだ。青白い光に浮かび上がる時刻は二十三時になろうとしている。その時微かに、ざりっざりっと地面を踏む音が聞こえた。

 誰か、いる。

 立ち止まり、振り返る。

 しんとした、誰もいない真っ直ぐな道。

 こっちを見ていたのは、等間隔に並ぶ街灯だけ。

 ……気のせいか。


 莉子の捨て台詞のことは、今のいままで忘れたつもりだった。

 気をつけろって、何を気をつけるというのだろう。付け回された挙句、まさか夜道で襲われるとか? あり得ないだろ。


 あの一コマの記憶が、纏わりつくような湿気と共に、いきなり重苦しくのしかかり身体中にべとつく膜を張りつかせる。

 暗闇が怖かった小さな頃の感覚が、不意に蘇ってくるのが分かった。滲む汗が、いつの間にか冷や汗に変わっていた。

 再び歩き出す。

 繰り出す歩幅は、自然と大きくなるが構いはしない。

 ……確かに背後には、誰もいなかった。

 それに、こんな真っ直ぐな道では隠れようもない筈なのに、なぜか見られる感じは変わらず、首の後ろが痛いほどだ。思わず右手で首筋を撫でてしまう。持ち上げた右手が少し重いような気がしたが、先ほどまでずっと、同じ姿勢をしていたからだろう。

 自宅までは、あと少し。歩き慣れた道で、神経質になり過ぎだと、笑って誤魔化した。

 

 


 「あの……あのッ響介くん。す、好きです。いま彼女いないって……知って。だから、良かったら……良かったら、あたしと付き合って下さい」


 うっわ。

 ガチっぽい告白に、ちょっと引く。


 北校舎のこの屋上は、定番的告白の指定席とはいえ、自分がこの場に立っていること自体あまりにも不自然だった。


 期末試験後に残された特別授業日程は、半日で終わる殆ど自習時間のようなものだし、中身なんてない。ただ単に拘束されているだけのような時間を終えた途端、教室を飛び出し、北校舎と南校舎を結ぶ生徒ホールで、夏休みまで残すところ数日となったその解放感を友達と味わっている最中さなかの呼び出しだった。


 この後、昼はどこで食べて誰を誘って、どこに遊びに行くかで盛り上がっていた時、なんか誰だったかがフザケたことがツボって、大笑いして仰け反らせた頭を元に戻したら三人の女の子達がこっちに向かって来るのが見えた。

 オイオイ、響介。おまえ狙われてっぞ。

 いや、お前だろ? なんて冗談を言ってたら、まさかの自分オレだった。

 話があるから一緒に来て欲しいと言われ、生徒ホールで見送る友達に冷やかされながら、言われるままその子達についていくとグランドが見下ろせる北校舎の屋上で聞かされたのは、二人の友達が遠巻きにこちらを見ている中、予想通りのガチ告白で。


「え? なんで、オレなの?」


 思わず、本音が飛び出していた。

 目の前の、恥ずかしそうに俯き加減で顔を真っ赤に染めているのは、名前もよく知らない子だ。同じ学年だろうか? もしや先輩? いや、それはさすがにそんなヒマないか。

 それにしてもどう見たって、この子はいつも遊んでいる子とタイプが違う。

 ナチュラルメイクが、実のところがっつりメイクなのを知ってしまった身からすると、ほとんど素肌と言っても良いくらいの、この子のその顔の造りは……まあ、悪くない。やや垂れ目なところが、泣きそうに見えて思わず揶揄からかいたくなる。さらにあまり日に焼けていない肌を見ると、外を遊び歩いたりしないのか、文化系の部活なんだろうか。自分には、考えたところで分からないけど。

 ……それにしても。

 やれやれ、と空を仰いだ。

 見れば、そこには小学生の絵日記に描かれるような色は真っ青の、かき氷みたいな白い雲がでんと構え、わくわくすることが沢山起こりそうな空が広がっている。

 ああ、夏ってやつは、こんな子までも解放的にさせちゃうんだから、と全く驚いてしまう。

 

「宗田くんが、誰とも本気じゃないの知ってる。だったら、あたしにも付き合うチャンスがあるんじゃないかって思って……」


 ええ?

 なんつーか、ポジティブ思考に畏れ入る。

 本気じゃないのは、その通りだけど、誰でも良いって訳じゃないんだよな。

 後腐れない子で、お願いしたい。


 あれ。待てよ。

 ……もしかして、この子なんだろうか。

 莉子が言ってたのは。


 見た目こんなに大人しそうなのに、女の子なんて分かったつもりでも全然分からない。

 そういえば、この顔、同じ塾? かも?


 あの日、塾の帰り道で感じた視線は、その後もしつこく悩まされていた。最近では学校の行き帰りも、なんなら友達と遊んでいる時にだって見られているようだった。

 それにここ最近は、下駄箱に時々小さな花びらが入っていることもある。上履きを、靴を、履こうと持ち上げたときに、ひらりと。

 最初のうちは、偶然だと思っていた。

 その次に、悪戯なんだと思った。

 やがて、悪戯にしては密やかすぎるその一枚の花びらは、何かのメッセージのようだと思うようになった。


「……もしかして、あんた? オレの下駄箱に何か入れてない?」

 

「え? 何を?」


 惚けたフリをしているんじゃなければ、本当に知らないようだ。じろじろと眺め回すも、それだけでますます顔を赤くするくらいだから、演技が上手そうなタイプじゃなさそうだし。


「あの……コレ、あたしの名前と連絡先。良かったら……」

 

 その子が紙を渡そうと手を伸ばす。

 それを受け取るべきか、迷ったその一瞬。


 ……!


「あ……」

「痛ッ……」


 その瞬間、風もないのに紙切れは手を離れ、青空に吸い込まれるように、ひらりとグランドの方へと舞い、やがて落ちてゆく。

 え?

 同時に、ぱたぱたっと、コンクリートの地面に何かが滴る音がした。

 その方を見て、ぎょっとする。

 血だ……と、思ったら目の前には腕を押さえて蹲る姿があった。


 何だ? 怪我……?


 少し離れて見ていたその子の友人が、駆けつけて来た。

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