幽霊と綿あめ 3
……どこからともなく花びらが一枚、風に運ばれて歩道に落ちてきた。
なんだ?
どこからだろう。
「ねぇ、ちょっとぉ……響介ってば、聞いてる?」
腕を絡め、しな垂れかかる甘ったるい女の匂いが、鼻につく。
「あ、ゴメン。聞いてなかった」
「えぇ〜っ」
酷い、とむくれ顔をして見せるので、覗き込むようにして囁く。
「柚月が可愛いのが、悪い」
……その頭ン中身が、とは言えないけど。
「もーう。響介、好き〜」
ぎゅっと腰に手回される。
その柔らかい身体が押し付けられるのを、腕を回して抱きしめ返すだけで、満足そうな笑顔で見上げてくるから大した話では無かったのだろうと思う。
女の子が、好きだ。
可愛いし、甘い匂いがするし、どこもかしこも柔らかくて気持ちいいから。
だけど……時々その甘さに、むせ返りそうになる。
この子も、そろそろかな。
信号待ちの歩道であろうと、どこでも構わず抱きついてくる彼女を、可愛いというより面倒くさいと思い始めてしまった。
他者に見せびらかすための、飾り物としての
信号が変わった。
歩きながら腕を取られるのが気に障り、そっと外す。
めげずに指を絡めて手を繋ぎ、笑いかけてくる柚月を見ながら、後腐れなく別れる方法を考え始めている時点で、この子とはもう終わったようなものだと、笑顔で繋ぐ手を握り返した。
その時、視線の先にあるものを見つけて、風に運ばれてきた花びらが、どこから来たのか不意に腑に落ちる。
道路脇、手向けられた花束。
無残な様子で、横倒しになっているそれを見て、思わず手が伸びた。
「もう響介、急に止まんないでよ。……なにやってんのー? ヤダ、やさし〜。優しいんだね」
別に優しさからなんかじゃなかった。
何の意味もない。
ただ、手向けられた花束は、誰かに思われている大事な相手に捧げられたものだ。
自分にはそんな相手など、いない。
そう思ったら、勝手に身体が動いていただけだった。いうなら、もしかして自分は可哀想な奴なんじゃないかと、考えまいとしていた事実に気づいてしまったということか。
――なるほど、それが出会いですか。
糸は真剣な様子で、しきりに頷いている。
「えっ。いまのどこに出会いとやらが、あったわけ?」
宗田くんのクズっぷりを、聞かされていただけじゃないの?
「どうぞ、気にせず続きを聞かせて下さい」
僕のことは無視ですか? いや、別に良いんだけどね。うん。
そんな僕のことを申し訳なさそうに、ちらと見てから宗田くんは、再び口を開いた。
「それからしばらくして、柚月と別れて、別の子と付き合い始めたんだ。まあ、正確にはそこまでヤッてない。付き合う一歩手前ってかんじ? 今度は近くの女子校の子で……」
期末試験の結果を思い出し、自然と頬が緩む。今回、学年四位とは思いの外よかった。
放課後、塾の時間まで、最近いい感じになってる子と待ち合わせをして、こうしてレモネードの酸味の効いた冷たい甘さをゆっくりと楽しめるのも、すべては自分次第だと分かっている。
勉強は嫌いではない。
努力すれば、その分ちゃんと自分に返ってくるところも、それを自分の武器として使えるところも気に入っている。
外見を気にするのも、女の子に優しくするのも、損得勘定をなしには語れない。
……もうすぐ夏休み。
塾の夏期講習の合間に、ぎっしりと遊ぶ予定を入れないと、楽しい夏はあっという間に終わってしまう。
夏の遊び相手には、事欠かないのが良い。
少しでも楽しいことを求めて、誰もが解放的になるのは、薄着になる事と何か関係があるのだろうか。
それとも、暑さが思考能力を鈍らせる?
面倒になってきていた柚月と別れるのは、思っていたより簡単に事が運んだ。
それどころか、はっきり言って拍子抜けしたくらいだった。
「……うん。仕方ない、よね?」
そう言って少しだけ笑った柚月を、不意に思い出す。
ごねたり、泣かれる覚悟をしていたのに、柚月に見えたのは安堵だったことには、驚いてしまった。
……安堵? なんだよ、それ。
結局、別れたかったのは
なんか、ムカつく。
別れた後、しばらくして友達に聞かされたのは、柚月が誰かから嫌がらせを受けていた、ということだった。
……道理で。
ホッとした。
こっちに身に覚えがないんだから、柚月の方に原因がありそうだな。嫌がらせのとばっちりを受ける前に、あるいは泥沼化する前に、別れられて良かった。
自分の幸運に、感謝したいくらいだった。
恋愛なんて、楽しくなくちゃ。
メンドーなのは勘弁。
……。
ストローを咥え、底にレモンのスライスが残るだけになった飲み物の容器を弄びながら、現在に意識を戻した。
俯いて
「……出来た。ね、そうだ。響介くんに言おうと思ってたんだけど、良かったら一緒にこのアプリ入れない?」
画面を指差す、莉子の何も塗られていない爪が、好きだ。
ん?
……やば。カップルアプリか。
親も校則も厳しいから、と爪に色も無ければピアスの穴もない。唯一、莉子の肌に付く色は、ねだられて付けた鎖骨近くのキスマークだった。ネクタイを緩めた制服の隙間から、ちらりと覗くその赤い色は、お堅い学校の中で自分は特別だと見せびらかすには、丁度良いからだと思っていたけど。
あーあ、誤算だったな。もしかしたら束縛が激しいタイプなのかも。
そんなアプリなんか、入れるわけない。
別れた後のことなんて、考えてもいないのだろうか?
それか何か試されてる、とか?
「え? オレら、付き合ってないよね?」もしかして、勘違いさせちゃった?
にっこり笑って、ハイ終わり。
恋は駆け引きも楽しみのうち、だからね。
プライドが高く、あれこれ計算できる莉子には、これで充分。
そんなアプリのこと言い出したりしなきゃ、もう少し一緒に居たんだけどな。
まあ、
「……あ、そ。そういうことね。ウチも本気になる前に、はっきり出来て良かった」
笑みを浮かべる唇が、微かに震えている。それを見て見ぬふりをした。
「これから塾だから、また連絡する。花火大会とか何人かで行かね? 莉子のこと可愛いって言ってる友達いるから、そん時にでも紹介するし?」
鞄を手に掛けながら立ち上がり、莉子に向かって、じゃあな、と飲み終えたカップを振った……振りかけた、時。
思い切った様子で、莉子が口を開いた。
「……あのさ。コレ、言うつもりは、なかったんだけど……響介くん、気をつけた方が良いかもよ。なんか響介くんのこと、マジで狙ってる子いるっぽいから……」
ナニそれ。
つまんねー捨て台詞、吐いちゃうんだ?
自分の評価下げてんの、分かんないかね。
鼻で笑って、その場を後にした。
まさかそれが間違いだったと気づくのは、その後すぐのこと、だったなんて――。
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