幽霊と綿あめ 2


 「シキさんは、温かい方が好きな様ですが、あれこれバラバラだとマスターに悪いので、全部アイスコーヒーです」


 紙袋をセンターテーブルに置き、次々と中身を取り出しながら糸は言う。

 前屈みで袋の中に手を出し入れするその最中に、はらりと落ちる長い髪の毛を片方だけ耳に掛ける。糸の剥き出しの耳から顎のライン、綺麗な横顔があらわになった。


「先ほどの続きですが、確かにこの制服を着てからいわれない非難を受けることは少なくなりました。……が、それだけでは無いはずです」多分。


「うん。そうだね。君も周りも、人間として成熟しつつある証拠なのかもしれないよね」

「あれ? 高桜さんって、やっぱ天然そっち? え、なんか良くね? ここで会ったのは運命ってことで、とりあえず友達から始めよっか」


 僕の良いことを言ったつもりで実のない言葉に重なる宗田くんのナンパ師のような台詞も、そこに共通する何となく漂うオヤジ臭を女性の本能で鋭敏に嗅ぎ取ったに違いない。

 だからこそ糸は、そんなことを気に留めた素振りを見せず、完全に無視スルーな様子で宗田くんにアイスコーヒーを手渡しているのだろう。


「どうぞ。ミルク一つ、ガムシロは二つ分の甘さでマスターが作ってくれました。それから、たいへん有り難い申し出ですが、宗田くんと友達になったら他には友達が出来そうにないので、やめておきます」


 あ、ちゃんと聞いていたんだ?


「え? 何ソレ。そんなにヤバい奴だと思われてんの?」

「まさか。違いますよ」


 アイスコーヒーの入ったプラスチックのカップを受け取る宗田くんの手が、糸の指に触れた時、部屋の蛍光灯が一瞬だけ点滅したように感じた。

 替えどきかな。

 何気なく天井を見上げてから視線を戻した僕は、宗田くんの右肘にあるものを見つけてドキリとする。

 ……指?


のは……宗田くんではなくて、宗田くんに人です」

 すごいことをさらりと口にした糸が、自分のアイスコーヒーを持って、僕の隣りの椅子に座った。 


 宗田くんを見れば、ミルク色に染まったアイスコーヒーの入ったプラスチックカップを持つ手が微かに震えている。

 やがてそのことに気づいた宗田くんは、カップをテーブルに置くと、震える手をきつく握り合わせ、祈るような仕草で額に寄せた。


「……まじか。高桜さんって、そうなんだ」


 呟くように言ったあと、そのまま両手で顔を覆う前にちらりと見えた宗田くんの、軽薄さを脱ぎ捨てた素顔に浮かぶ泣きそうに歪められた顔から、彼の右肘に向かって、僕はゆっくりと視線を送る。

 長く綺麗な細い女の指だ。

 そこにあるのは、まるで後ろから身体の脇をぬうように、腕にそっと手を掛け絡められた、薄く透けて見える細い指が見えた。



 ――幽霊にストーカーされている。


 宗田くんが事務所に持ち込んだ依頼内容は『その幽霊をどうにか出来るなら、どうにかして欲しい』というものだった。


「その前から、少しずつおかしなことが増えては来ていたんだけど……」


 宗田くんの言うその前、とは一枚の心霊写真を見る前のことだという。

 その写真は、花火大会で撮った一枚。

 打ち上げられた花火を背景に、仲の良い何人かで並ぶ、その中の自分。

 その腕に絡まる誰のものでもない、指。


「まあ、さっき高桜さんが言ってたのは、ほとんど事実なわけ。軽薄チャラさをウリにしてるだけで、実際はかなりの部分で計算してる。キャラ設定しちゃえば、後はその誘導した印象を持たせたまま、相手が望む顔さえ見せとくだけで良いんだから便利でしょ。正直そうでもしなきゃ、本当に薄っぺらの、ただの面白くも何ともない人間だっていう自分を見せることになるのが、嫌でも分かってるから。たとえ、がっかりされても、だってそんなキャラだし? って周りに言えるし、自分も慰められる。だから……」


 ラク、なんですよ。


 そう言って顔を覆っていた両手を膝の上に乗せ、苦笑いを浮かべた宗田くんは、今は少しも楽そうには見えない。

 軽薄さでガードしていた、本来の傷つきやすい宗田くんの顔が見え隠れしていた。


「で、こんなこと言うと、高桜さんには引かれるって分かってるんだけど、このキャラ活かしまくって、女の子ともテキトーに遊んでた。心にもないこと言って、優しくするのは得意だし。向こうもおんなじような、楽しければいーじゃんみたいなのばっかで。本気っぽい女の子は、上手くかわしてた」躱してたんだけど……。


 ――その子が、怪我をしたんです。


 テーブルの上にある宗田くんの、手をつけられるのを待つアイスコーヒーのカップの中身は、氷が溶け始めて早くも水の層が出来ている。


「え? もちろん、その子が幽霊とかになった訳じゃないんだよね?」

 僕は手にしたアイスコーヒーのプラスチックカップの蓋を開け、直接口をつけた。

 上唇が氷に触れる。

 その瞬間、ぞくりとしたのは気のせいだろうか。


「ああ……いえ、違いますよ。そうじゃなくて……それが目に見えておかしいと思い始める、最初の出来事なんです。その前から、何となくいつも見られていると感じていて、てっきりその子がストーカー紛いのことをしてるのかと思っていたんだけど……」

 

 ――順を追って、お話します。


 

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