猫と鯖雲 4
「君たちもそれが、どうしてみつるだって思うだろう?」
ハハハ、と宮藤氏は笑う。
「部屋には誰もいないから? そうだな。だが、ただの空耳だと言われれば、それまでだ。その時の私も喋っているのが、まさかみつるだとは思っていなかった……いや、違うな。そうじゃない。みつるだと思ってはいたが確信は、なかった。まだ、その時はね」
かちゃかちゃ、と食器が微かに触れ合う音が、だんだんと近づいて聞こえる。
振り返ると友花さんが、この
「遅くなってごめんなさい。紅茶にしました。頂き物の美味しい焼き菓子があるの。ぜひ召し上がってくださいね」
にっこりと僕たちに向かって笑う友花さんを、愛しそうに宮藤氏は見つめる。
「大学に通うようになった友花が、以前にも増して、こうして度々遊びに来てくれるのが嬉しくてね。年老いた祖父が心配なのだろうけど、すっかり甘えることにしたんだよ」
「あら。お祖父さまは、まだいつだって忙しくしているじゃないですか。ようやく私と遊んで下さる時間が少し増えたって喜んでいるのに」
二人は顔を見合わせて、楽しそうに笑う。
「気が合うんですね」
友花さんから紅茶を受け取りながら、僕が宮藤氏に言うと「そうだな。どうしたって家族の中でも気の合う合わない、があるが、友花とはこの子が幼い頃から不思議と気が合うんだよ」と頷きながら答える。
それまで静かに宮藤氏の膝の上で丸くなっていた猫は、友花さんと入れ替わるように、するりと地面に降りて背中を伸ばすと振り向きもせずにどこかへ行ってしまった。
「ヤキモチ、かな」
猫を目で追いながら言った僕の言葉に、ティーカップに口をつけていた宮藤氏の唇が、ふっと笑ったのを目にする。
「……おそらく、そうでしょう。友花には近づきもしません」
ふと糸を見れば、いつになく大人しい様子で庭を眺めていた。少しの風が、まるでその細い髪を解くように糸の髪を撫でる。
「君たちは、良く似ているね」
そんな糸と僕を見比べるようにして言った宮藤氏の言葉に、友花さんが「やっぱり、お祖父さまもそう思いました? この前は聞きそびれてしまいましたけど、ご親戚なんでしょう?」と可愛らしく首を傾げて微笑む。
「……いえ、彼女とは」
僕が最後まで言い終えないうちに、宮藤氏が苦笑いを浮かべて言った。
「友花、私が言ったのは、そういう意味での似ているじゃないよ」
「……?」
首を傾げたまま、友花さんは宮藤氏の続きの言葉を待っている。
「……纏う空気、が」
その時、ニャアと声がした。
下を見れば、僕の脚に身体を擦り付ける猫…… いつの間に戻って来ていたのだろう、みつるの姿があった。
ゆっくり手を伸ばし、みつるの顔の前でしばらく待つと、目を細め顔をぐいと寄せて来る。
「やあ、これは妬けるな」
宮藤氏がそう言って腕を組むと、みつるがまた鳴いた。
――それ、なアに?
「……えっ?」
思わず声を漏らした僕に、宮藤氏は片方の眉を上げ、まさか? という顔をする。
カップを置くソーサーの音が聞こえるほど静かだったというのに、この時ばかりは糸も、そして友花さんも何も気づいていないようだった。ただ僕と宮藤氏だけは足元の、みつるの声が聞こえたようである。
見ているだけでは、分からない。先ほどと変わらぬ様子で、みつるはゴロゴロと喉を鳴らし、相変わらず頭や顔を僕の掌に押し付けていた。
「これは……いや、北村くんには参ったな。だがこれで信じて貰えただろう? この不思議な話が本当のことだってね。そう……本当だったんだよ……みつるが喋っていると確信を持ったのは、その朝の日からそんなに遠くないうちだったよ」
二度目、はそれから何日か後の夜だった。
夕食の前、書斎にいる時。
いつも部屋の扉は、細く開けたままにしているんだ。みつるが自由に出入り出来るようにね。
志乃さん……お手伝いをしてくれる女性が、夕食の支度が出来ましたと声を掛けてくれるまで大抵は本を読んでいるんだが、その日はどうやら、うつらうつらと居眠りをしていたみたいなんだよ。
とん、と机の上で軽く物音がした。
――ねてル、の?
はっ、と目が覚めた。
みつるが、その小さな頭を私の顔に擦り付けていたよ。私を覗き込む目が……彼女の目が、酷く心配そうに見えた。
間違いない、と思ったんだ。
今のは、みつるだってね。
そう確信してからというもの、それからはしばしば、みつるの声が以前にも増して、はっきりと聞こえるようになったんだよ。
大体は、他愛のないものさ。
『だれか、くルよ』とか『あそぼウ』とか『なにシてるの?』『おはよう』とか、だったろうか。
だけど、このところ変なことを言うようになったんだよ。
――まっクろ、どろどろ、クるシい。
みつるが顔を上げて、そう鳴いた。
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